第53話 焦る聖女1
ハナコ様はまだ上手く聖なる力を使えるとは言えないがそれはレスリー山脈へ向う道中で覚えて頂く事となったようだ。
テキパキと指示を出すグウェイン様は無表情に顔を固めオーガスト様やダンテ様がそれに従いすぐに部屋を出て行った。ハナコ様とジェラルド様はこのまま訓練を続けるようでエドガールと父さんがグウェイン様について部屋を出た。
「私達はハナコ様の荷物の準備をしましょう」
リゼットと私は荷物を入れる衣装箱を用意しそこへ着替えを詰めていく。レスリー山脈はこの時期から気温が下がり到着する頃には雪が積もり始めると聞く。リゼットと相談した結果手持ちの防寒具では心許ないので追加でハナコ様の冬用の下着やコートを購入しようということになり、私は外出の許可を取りにグウェイン様の部屋へ向かった。
ドアをノックし部屋へ入るとグウェイン様と父さんがただならぬ雰囲気で睨み合っている。よく見れば睨んでいるのは父さんだけでグウェイン様は先程と同じ様に無表情のままだ。
「どうした?」
グウェイン様が父さんに構わず私に声をかける。
「いえ、お忙しいようでしたら後で伺います」
「構わん、エルビンの話は終わった」
「終わっておりません、閣下!」
父さんが食い下がりエドガールが困ったようにグウェイン様と父さんを見ている。
「父さん、とにかく一度下がりましょう。もう少し冷静になってから……」
エドガールが父さんの肩に手を置き部屋から出そうとしているようだがそれを振り払う。
「何を言う、冷静に話など出来るか!グウェイン様、エレオノーラはすぐに王都へ連れ帰ります」
「駄目だ、何度言ってもその話は聞けん。其方一人で帰れ」
「帰りません!!」
「では勝手にしろ、だがエレオノーラは渡さん」
…………私ですか?
この険悪な雰囲気は私のせいですか……えぇっと、バレてるってことか。
エドガールをチラリと見ると細かく首を横に振った。出処はエドガールじゃないならもっと前に誰かが密告……じゃない報告してたのか、はぁ……
「父さん、自分の事は自分で決めるから、王都へは帰らない」
床に視線を落として出来るだけ淡々と言う。ここで感情的になるほど私とグウェイン様に深い関係性はない。
「エレオノーラ……」
父さんが悲痛な声で私を呼んだが顔を見ることが出来ない。
「心配……してくれてるんだよね。ありがと、でも大丈夫だから」
いたたまれず、グウェイン様にまた後で伺うと告げ部屋を出た。
なに今の、なんだか私グウェイン様の傍に居たがってたみたい。
急に頬が熱くなると頭がのぼせてきた。ドキドキと鼓動が早くなり今更ながら恥ずかしくなってくる。なんでこんな気持ちになっているのかよく分からず、このままリゼットと顔を合わせる気にもなれず屋敷の中庭へ出ると独り頭を冷やした。
「すぅ〜、はぁ……」
何度か深く呼吸して体の中の空気を入れ替える。
チャンドラー伯爵邸の中庭は広々としよく手入れされた美しい庭で、時々ハナコ様と気分転換に散歩していた。
ハナコ様は聖女として大々的に歓迎されて来たため街へは気軽に外出できる雰囲気ではなくずっと屋敷に籠もりきりだが、これだけ広い庭があるお陰で閉鎖的な感じは無かった。どちらかといえば王都にいるときの方が息苦しかったのでは無いだろうか。
「ここにいたのか」
今一番会いたくない美丈夫の麗しい声がする。
「はぁ……何か御用ですか?」
ついため息をついて返事をしてしまう。
「なんだ、つれないなぁ。さっきはハッキリとエルビンの話を断ったのに」
意地悪そうな顔でニヤつき私の頬に触れる。
「無闇に触らないでください。父に反したと言ってもただ王都へ一緒に帰らないと言っただけですから」
頬に触れている手を顔をそらして避ける。
「それだけで充分だろう。エレオノーラはいつも私には淡々としてるからなぁ」
いい年した公爵が口を尖らすなよ。
「別に、淡々としてるわけでは……ただ」
「なんだよ」
今度は耳にそっと触れてくる。
どうしたんだ?部屋の外でこんなにも触ってくることはこれまで無かったのに。
「何してるんですか、さ、触らないで下さい。誰かに見られたら……」
振り払いながらも頬に熱が集まって来ることを意識してしまう。
「もうエルビンも知ってるんだから構わんだろ」
「知ってるって何を?」
「私がエレオノーラをそばに置きたがっている事を」
どうして?とは聞けなかった。自分の気持も良くわからないのにグウェイン様の私に対する気持ちを知るのが怖かった。
グウェイン様もそれ以上は何も聞いてこなかったので街へ買い物に行きたいと言うと屋敷へ店の者を来させるから行くなと言われた。
「何かあるんですか?」
『黒霧』がこの国へ流れ込んだ事により不穏な噂でも広まっているのかも知れないと思ったが違った。
「私の目の届かない所へ行くな」
そう言って頭にチュッと何か落とした。
まさかもう隠す必要がないと部屋以外でもこんな風に接して来るのだろうか?絶対に止めてもらおう。
グウェイン様に外での接し方を変えないでほしいと頼みハナコ様の部屋へ戻った。部屋の中なら良いんだなと言われたが返事はしなかった。
ハナコ様はジェラルド様と必死に術式を覚え使えるように訓練を続けていた。思っていたよりずっと早くにここを出なくてはいけない事に焦りを感じているのか、疲れが見えるのに休憩をすることを拒否している。
「さっきからずっと聖なる力を使い続けてそろそろ限界のはずなのに休もうとなさらないの」
リゼットが困り果てていた。ジェラルド様も日頃は多少の無理をしなければ使いこなせないと言っているが今回は違うようで戸惑っている。
う〜ん、これでは出発前に倒れてしまうな。
「ちょっと行ってくる。リゼット、お茶の用意しといて」
私はすぐに廊下へ出るとエドガールに用意されている部屋へ急いだ。エドガールが来ればきっと話を聞いてくれるだろう。
ドアをノックし返事も待たずに部屋へ入るとそこにはエドガールと顔色の悪い父さんがいて私を見ると泣きそうな顔をした。
「エレオノーラ、お願いだ」
そう言って私を抱きしめる父さんが震えている。こんな父さんは初めてだ。そんなにグウェイン様とのことが嫌だったの?
「父さん、ちょっと落ち着いて。エドガール、悪いけどハナコ様をお願い、休ませてあげて」
話が長くなりそうだったのでエドガールを先にハナコ様の部屋へ向かわせ父さんをソファへ座らせた。
落ち着かせるつもりだったがそれでも父さんは私の手を離さず懇願するように真剣な表情で見つめてくる。
「エレオノーラ、よく聞くんだ。ここから先はかなり危険なことが続く。これ以上踏み込むな」
「ハナコ様はレスリー山脈へ行かなくてはいけないのよ。お一人には出来ないわ」
「ハナコ様にはリゼットがいるだろう」
「それは……でも私だってお傍にいて差し上げたいわ。ハナコ様がそうお望みだもの」
父さんは頭痛を堪えるように顔をしかめた。
「大変なのはわかってる。グウェイン様も最近よく父さんと同じ様な顔をなさってる」
そう言って父さんの悲しそうな顔に触れた。父さんは私の手を掴むと弱々しく微笑む。
「お前はよく気が利くし優しい娘だ。閣下が傍に置きたがるのは仕方が無いかもしれない。だが今回だけは私の言う事を聞いてくれないか?頼む……」
その言葉にグッと胸がつまる。でもなんだか違和感も少し感じる。
「父さん……何か隠してるの?」
いくら当てにしないと思っている父とはいえ家族としての愛情が無くなった訳では無い。出来れば頼みをきいてあげたいが、そんな父さんがこれ程までグウェイン様との関係を反対するのに何かがある気がしてしまう。それに私に対して隠し事をするのは今に始まった事ではない。
父さんは迷った末ため息をつく。
「すまない、今は話せない」
今回も私には言えない何かがあるようだ。それを無理に聞き出す気にはなれない。聞いたところでハナコ様やグウェイン様と離れ王都へ帰る気にはなれないだろうから。
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