第44話 森へ行く聖女5

 皆がいるであろう方角へ静かに歩いて行く。魔物の気配もしないが人の声もしない。足元の木の葉や小枝を踏みしめる音だけが聞こえ不気味な感じが高まって来る。

 私とハナコ様はお互いに手を握りしめ、木々の間に魔物が潜んでいないか、もしくは助けてくれる誰かがいないかを窺っていた。恐怖心か走ったせいか喉はカラカラで体力は尽きようとしている。

 だがなかなかグウェイン様達には合流出来ず、歩く方向を間違えたのか森を抜けてしまい、見覚えのない大岩が点在するなだらかな丘が目の前に広がった。

 日は沈み空に溶け込みそうな存在感の薄い月が空に浮かんでいる。きっと夜は漆黒の闇になるだろう。気温も下がり少し寒気もする。

 

「あ!エレオノーラさん、傷の具合はどうですか?」

 

 急に私が腕を負傷したことを思い出したのかハナコ様が握っていた方と反対の腕を見た。

 

「あぁ、忘れてました」

 

 すっかり感覚が麻痺していたのか思い出したとたん痛みを感じた。城とは違い上級メイドのお仕着せではなく私服のワンピースだが、濃紺で長袖という代わり映えしない格好だ。魔物の爪で引っ掛けられ破れた袖をめくりあげると現れた傷は思っていたより深く出血もかなりしていた。服が濃紺だった為わからなかったが、手先から血が滴っていたようで手の甲に血がこびりついていた。今は出血は止まっているようだ。

 

「酷い……大丈夫ですか?」

 

 肘の下あたりの傷は腕を動かすとまた血が滲み出してくる。持っていたハンカチで傷口を押さえようとするとハナコ様がそれを細長く折りたたみ傷に巻きつけ縛ってくれた。

 

「ありがとうございます」

 

「そんなお礼なんて……私のせいなのに……」

 

 落ち込むハナコ様の頭を傷の無い方の手でそっと撫でる。

 

「これはハナコ様じゃなくてゴブリンが引っ掻いたのですよ。それに今はそんな事より今夜をどうするか考えないと」

 

 きっともうすぐ隣りにいても顔が見えないくらい暗くなるだろう。その前に何とか身を隠せるところを探さないといけない。だけど今頃探してくれているはずだから森からあまり離れない方がいい。

 薄暗いなか岩陰を探して丘を少し下った所で何とか二人で寄り添えるくぼみを見つけた。横を通り過ぎても覗き込まないと人がいることはわからないだろう。風も当たらないし一晩くらいは何とかなりそうだ。

 

 やっと腰を下ろしてホッとした。

 森へ入ってからずっと歩いているか走っていたのでもう足が限界だった。水もなく食べ物ない。こんな事なら伯爵邸でオヤツをもらってくれば良かった。

 

「ハナコ様、今夜はここで隠れて過ごしましょう。不便ですけど辛抱してくださいね」

 

 気温はどんどん下がり寒いだろうとハナコ様の肩を抱きしめお互いに身を寄せた。

 

「助けに来てくれるでしょうか?」

 

 不安そうな声を出すハナコ様に頭を寄せた。

 

「大丈夫ですよ、ダンテ様もジェラルド様もきっと探してくれています。きっとグウェイン様は怒りながら探しているでしょうね、エレオノーラは私の許しもなく勝手にどこへ行ったんだ!って」

 

「ふふふ、そうですね。オーガスト様がそれを宥める姿が眼に浮かびますね」

 

「あの方たちは魔術が使えるからきっと夜通し探してくれるでしょう。時々森の方へ見に行ったほうがいいかもしれませんね。暗闇なら灯りが見えるかも」

 

「その時は置いていかずに一緒に連れて行ってくださいね」

 

「勿論です、私もハナコ様と離れたくありませんから」

 

 肩を抱いている手に力を込めた。

 

 

 しばらくはポツポツと話をしながら夜と魔物の恐怖から気をそらしていた。

 予想通り直ぐに闇夜は訪れ寄り添う体温だけが独りではない事を確認できた。疲れ切っていた二人は次第に口を開くのも億劫になりまんじりともせずに過ごしていたが、真夜中を過ぎた頃気まぐれな月が顔を出し煌々と岩場を照らしお互いの顔も見えるようになり少し安堵した。でもこれでは魔物からも私達がよく見えるだろう。

 一度森の様子を見に行こうと二人で岩陰から出てなだらかな丘を上った。月明かりのお陰で足元が照らされ危なげ無く進む。周りの様子を警戒しながら森が見える場所まで来ると近くの岩陰から目をこらして木々の間に灯りが見えないかと窺った。

 森の中は月の光が木々に遮られ、ここからは漆黒の塊にしか見えないが所々にぼんやりと白く浮かび上がっている物が見える。

 

「あれは探してくれている灯りですか?」

 

 ハナコ様が指差した森の中の白い光は全く動いていない。

 

「恐らく月の光が隙間をぬって差し込んでいるのでしょうね。人ならば移動するでしょうから」

 

 幾つかの光を慎重に観察しているとその内の一つがぼやけた後二つに分かれた。

 うぅ、マズイ気がする。

 

「ハナコ様、あの光は動いていますか?」

 

 差し出した指も歪んで見える。

 

「う〜ん、動いているようにも見えますが……エレオノーラさん!?大丈夫ですか?顔色が悪い……熱が!?」

 

 どうやら傷を負ったせいで発熱しているようだ。ちょっとダルいなと思っていたが、自覚してしまったせいで余計に体が重く感じる。

 

「大変!どうしよう、解熱剤もないし、水も……」

 

 あわあわとするハナコ様をどうにか落ち着かせる。

 

「大丈夫です……とにかくここにいては魔物に見つかってしまいます。さっきの所に戻りましょう」

 

 ふらつく足で来た道を戻ろうとして森に背を向けた時、何かの気配を感じてぞくっとした。振り返ると暗闇から突然グールがそろりと月明かりの下へ出てきた。

 

「ヒィッ……」

 

 ハナコ様もそれに気づき小さく悲鳴をあげた。グールは一体だけでよく見ると片腕がちぎれ体も半身えぐり取られたように負傷し瀕死の状態のようだ。それでも私達を見るとヨロケながらも襲いかかろうと近づいてくる。

 

「ハナコ様、さっきの隠れ場所はわかりますね、そこへ向かって走って下さい」

 

 ジリジリと後ずさりながらハナコ様を押しやる。

 

「エレオノーラさんも一緒に……」

 

「駄目です、私は走れません」

 

「嫌です、ずっと一緒にいるって約束したじゃないですか!」

 

 そんな可愛いこと言われたらお姉さん泣いちゃう。

 

「申し訳ありませんが、約束は森の中でのお話ですよね。ここは森の中ではありません」

 

 屁理屈だけど仕方が無い。話している間にもグールはこちらを窺いながらそろりと近づいてくる。いくら瀕死の魔物でも素手の私達が敵うはずがない。

 

「もう時間がありません、早く岩陰へ行って!」

 

 ハナコ様を突き飛ばすように押しやり私は反対方向へ走り出した。上手い具合にグールは私に釣られこちらへ向かって来た。熱に浮かれて足元はふわふわとし地面の硬さは感じない。

 点在する岩を利用しながら必死に逃げているが、負傷し本来の動きでなくてもグールはジワジワと距離を詰めてくる。何度か転び足は段々と感覚が無くなってくる。いつの間にか涙が溢れもうすぐ自分は死ぬんだという思いが頭の中を巡り後悔が溢れ出す。

 こんな事なら森へついて来るなんて言わなきゃよかった、危険だってわかってたのに。

 ハナコ様を追いかけ無ければ良かった、そうすれば今頃グウェイン様達と一緒にいてこんなに怖い思いをしなかったのに。

 

 とうとう足がもつれ派手に転ぶと額を強く打ち付けた。熱に浮かされている上に強打した箇所から顔を生暖かい物が伝う。起き上がろうと腕に力を込めたが熱のせいか直ぐにグラリと体が傾く。また起き上がろうと体をよじった所で何かが覆いかぶさってきた。反射的に腕を振り上げ防いだそれはグールの頭部でゴキッと鈍い音がすると腕に噛みつかれた事を悟った。

 あぁ……もう終わりだ。

 元々怪我を追っていた方の腕を噛まれ反対の手でグールの頭を押しやる。もちろん魔物の力の方が私よりも断然強く、噛んだ腕にさらに歯を食い込ませるとグシャリと潰され使い物にならなくなった腕を口を開いて離した。

 私の腕がぼとりと力なく胸元に落ちる。痛みは感じずくっついているのかさえわからない。頭を押えていた手をグールが残った片腕で掴み地面に押し付けると私の首に齧り付く為に顔を近づけて来た。

 死ぬ……死ぬんだ……もう本当に死ぬんだ。

 涙が溢れ最期に頭に思い浮かんだのはグウェイン様の顔だった。

 

「グウェイン様の馬鹿ぁーー!!専属を護るのだって主の大事な役目でしょ!!」

 

 最期と思い目一杯叫ぶと生臭いグールの息を吹きかけられぎゅうっと目を閉じた。

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