第42話 森へ行く聖女3
屋敷の中へ入り直ぐに個室へ案内してもらったが、ハナコ様は部屋へ入るなりベッドに倒れ込み毛布を頭から被った。
「無理だ……無理だよ……絶対に無理……」
ぶつぶつと一人で呪文のように呟くハナコ様がどんどん心配になってくる。食事が運ばれて来たが食欲はあるはずもなく、ベッドから起き上がろうともしないハナコ様の傍へ行った。
「ハナコ様、もうすぐ森へ出発の時間ですよ」
お気の毒で見てられないが、ずっと引きこもっている事は出来ない。どうにか毛布から顔を出したがそれでも起き上がろうとしない。
「行きたくない」
涙を浮かべながら訴えられて胸がぎゅうっと痛くなる。
「森の中ではグウェイン様が護って下さるから大丈夫ですよ、ダンテ様もジェラルド様もいますし」
すると私の手をひしと握りしめる。
「でもエレオノーラさんは行かないんでしょう?」
「それは……」
森の中は危険なので戦えない者は出来るだけいない方がいい。護らなければいけない者が複数いればそれだけ護衛に負担がかかる。ハナコ様だけに集中してもらうためには私は行かないほうがいいだろう。
「そろそろ来るわよ」
リゼットが知らせてくれて直ぐにドアが開きダンテ様とジェラルド様がやって来た。ハナコ様はそれでもいやいやと首を振り抵抗を続ける。
「私があんな大勢の人の期待に答えられるわけない!クラスでの成績だって下から数えたほうが早いし何やったって上手くいった事ないんだから絶対に無理っ!!」
また頭から毛布を被り丸まってしまったハナコ様を見てどうすればいいかわからなくなってしまう。
「ハナコ様、森へ行くだけで構いませんから」
ジェラルド様が優しくそう言ってくれるがグスグスと泣き続けるハナコ様の耳に届いているとは思えない。
「そんな言い方をなさっても出て来られませんよ」
リゼットがジェラルド様の横で不機嫌に溢す。
「だからって何も言わない訳にはいかないだろ」
ジェラルド様が何故かリゼットに言い訳のような事を言う。
「もっと心に響くような言い方があると思います」
いやいやリゼットは何を言い返しているのかな?
「だけど何を言っても聞いてもらえない相手にどう言えば良いかなんて私にはわからないよ」
段々とお互いムキになってやしませんか?一体なんのお話?
「ちゃんと心を込めて接していればいずれ気持ちは伝わるのではないですか?相手にだって立場があるのですからそう簡単に答えるわけにはいかないでしょう?」
なんだか二人が向かい合い必死に言い募っている気がする。それを呆気に取られて見ているとハナコ様が毛布から顔を出した。
「ジェラルド様はいつもリゼットさんに言い寄ってるけど本気なのかな?リゼットさんは身分が違うしからかわれているだけだって言ってるけど、エレオノーラさんはどう思う?」
まだ涙が乾いてもいないのに興味津々で二人を見つめるハナコ様、お好きですね。
「ジェラルド様は良い方なんじゃないかと思いますが私やリゼットは無爵位ですから、そこは確かに気になると思います」
「身分で付き合えない事もあるんですか?」
「ありますよ、貴族は普通お付き合いすれば自然と婚姻を視野に入れるものですから」
勿論自由に恋愛を楽しむ貴族もいるがそれは大抵男性の方で女性貴族がそんなことをすればたちまち噂が流れまともな婚姻は期待出来ない。はじめから正式な結婚はしないと決めている方なら構わないだろうけど。例えば上位貴族の愛人の座を狙っている方とか。
「古い戯曲の話みたいですね、好き同士なのに家同士がいがみ合ってる」
「別にあの二人は家同士がいがみ合ってる訳では無いですけどね。
……ハナコ様、私が一緒にいれば森へ行って頂けますか?」
起き上がりベッドに座るハナコ様の涙をハンカチで拭いながら聞いてみた。
「ずっと傍にいてくれますか?」
「はい」
「途中でグウェイン様の所へ行ってしまいませんか?」
「はい、森の中ではハナコ様のお傍に必ずいます」
いつも途中で居なくなるのを気にしてらっしゃったのか、申し訳ない。
「本当はリゼットさんにも付いて来てもらいたいけど……」
なるほど、ハナコ様の最上の布陣は私とリゼットが揃っている時か。あら、いつの間にかこちらを見ているリゼットが満足げだわ。
「出来るだけが人数は少ない方がいいと思いますので申し訳ありませんが森へは私だけ同行しますね」
いくら護衛が沢山いたって危険な場所には違い無いからリゼットに無理させちゃ悪い。
ダンテ様に良いですよねって視線で合図するとため息と共に頷いた。
やっとハナコ様の準備を整え部屋から出ると玄関前に向かった。
イライラしたグウェイン様が待ち構え事の経緯をダンテ様が話すと更に機嫌が悪くなった。
「わざわざ危険な場所へ付いて来なくもいいんじゃないか?」
美麗なお顔で睨むのは止めて頂きたいです。
「何かあれば私の事は捨ておいて下さって構いませんから」
「それが出来れば苦労はない」
「基本的には助けて欲しいですけど二者択一ならハナコ様が優先されるのは当然です」
大陸を救える聖女はハナコ様だけですから。
グウェイン様は何も言わずに馬車へ乗り込んだ。
今回はグウェイン様とハナコ様は同じ馬車に乗り森へ向う。ここから魔物が出る森までは小一時間ほど。ダンテ様やジェラルド様もだがオーガスト様までが騎乗し、馬車を護りながら森へ向かっている。
考えてみればグウェイン様の周りには優秀な魔術師が揃っている。この馬車の中は今、大陸で一番安全な空間なのではないだろうか?
そんな事を考えているうちに馬車は森へ近づいていた。ずっと私の手を握るハナコ様の手が段々と汗ばんでくる。緊張のせいか顔色は悪いものの馬車酔いのことは忘れているようで吐く様子はない。このまま気づかずに済めば良い。
森の入口についたのか突然馬車が止まり周りが騒がしくなった。グウェイン様は素早く馬車から下りると私達にも出るよう促した。
いよいよ森を前にしハナコ様が私の腕に掴まりピッタリと寄り添う。少し震えているようだが自分を落ち着かせようとゆっくりと呼吸している。思っていたより大丈夫そうで安心した。
グウェイン様の傍にいると伯爵家の騎士が少しソワソワした感じでやって来た。
「ここからは徒歩でお願い致します、なにせ急な討伐だったのでどれだけの魔物が潜んでいるか見当がつかないのです」
「ほう……私に出された報告では連日魔物の討伐に追われ応援を要請するとされていたのだがな」
血も凍りそうな視線で睨まれた騎士は直ぐに膝をついて謝罪した。
「も、申し訳ございません。ですが、その、当初は本当に、魔物が……」
しどろもどろで答える騎士を無視してグウェイン様は私達を連れて森へ入って行った。どうやら最初のうちは本当に普段より魔物が増えて大変だったがここ数日は落ち着いてきていたようだ。
伯爵家の騎士達が慣れた様子で森を進む。地元だけあって足取りは確かだが静まり返った森には魔物どころか動物や鳥すら見かけない。これって聖なる力のせい……じゃないよね?
「確かに様子は変ですね」
グウェイン様の横でオーガスト様が警戒しながら呟く。
木々の間から心地よい日差しが降り注ぎ、爽やかな風が時折吹き抜ける一見長閑な森だ。けれど進むにつれよく見ると伯爵家の騎士達が言った通りあちこちで戦闘の痕跡が目立ち始めた。
森の奥へ進んで行くと急に拓けた空間に出た。そこも戦闘の跡なのか木々がなぎ倒され処々地面に黒ずんだ跡があった。
「これってもしかして血痕ですか?」
ハナコ様が怯えながら足元の黒い血の跡を踏まないように避けて歩いている。私の腕を掴んだハナコ様を気遣いながら歩いていたが突然前方を行く騎士が止まるよう指示を出して来た。
「静かに、何か音が……」
耳をすませると地面の奥深くから段々と近づいてくるような音が響いて来る。
「まずい!総員、構えろ!!魔物の大群が来るぞーー!!」
右前方からもうもうと土煙が立ち上り近づいてくる地響きが魔物の足音だとハッキリとわかった。
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