第36話 上手く行かない聖女2
部屋の中に誰も居なくなりグウェイン様の食事も済むとお茶を淹れて机の端にそっと置いた。
「御用はございませんか?」
無いだろうと思いながらお聞きしたがグウェイン様が顔をあげた。私を見ながら何かを思案していたようだがおもむろに口を開く。
「ハナコ様は……あまり魔力を操作することに熱心ではない気がするが、エレオノーラから見てどうだ?」
ちょっと意外な質問だった。私から見れば充分頑張っていた感じがしたがグウェイン様の思うところは違うようだ。
「指示通りになさっていたと思います。先程ジェラルド様のお話もきちんと聞いていらしたようですし」
グウェイン様は背もたれに体を預けると形の良い顎に手を添え少し考え込む。
「私にはただ時間が過ぎるのを待っているだけのように思えた」
「結果が出なかったからですか?」
グウェイン様のハナコ様に対する指導は周りから見ても厳しい気がしていた。ご自分にも部下の方にも魔術と剣技の両方を兼ね備えることを望んでいらっしゃると聞いていたせいか素晴らしいと思う反面、厳格過ぎるようにも感じる。
「私は訓練を始めたその日のうちに魔石に魔力を込めることが出来たし木を燃やす事も出来た。次の日には魔石から魔力を抜く事も出来た」
「それはグウェイン様が優秀だからですよ」
なにせ稀代の大魔術師なんだから。
「私が皆より秀でているのは魔力の量だけだ。魔石に魔力を込める訓練も早朝からぶっ通しで夜遅くまでやり続け、出来た後で数時間、火の魔術の訓練をして深夜を過ぎた頃に木を燃やした。別に簡単だった訳ではない」
確か魔術師の家門は幼い頃から訓練を始めるはず。
「それはおいくつだったのですか?」
「五歳だ」
「そんなのありえませんっ!」
答えを聞いた私はその非道な行為にカチンときた。
「誰がそんな過酷な訓練をさせたのですか!?まだ五歳の子になんてこと……考えられない!」
五歳といえばエドガールが母親を亡くした年と同じだ。あんな幼い子にそんな無茶をさせるなんて。
「どこに引っかかってるんだ。そこじゃなくて、私だって訓練を重ねた結果を積み上げて今の地位にあるという所に着目してくれないか、全くお前は」
何故かグウェイン様が呆れたような顔で笑った。
「何をおっしゃってるんですか。幼いグウェイン様がその訓練を淡々となさったわけないでしょう?そんな酷い事」
現在の眉目秀麗さが際立った
グウェイン様は呆れていた顔を今度は申し訳無さそうにした。
「いや、父母や指導者は何度も止めるよう説得してきていた。だが私が出来るまで止めるのを嫌がったのだ」
私の頭の中には泣き叫ぶ我が子を鬼のようなイジワルな父親がムチで痛めつけながら訓練をさせる姿を想像していたのにどうやら少しばかり誤解があったようだ。
「私は将来公爵家を継ぐ事を自覚していたし、優秀な魔術師の家門であることも理解していた。だから何としても魔術師として優秀でなければいけないと思って訓練に励んだのだ」
もしかして可愛気のない子ども時代をお過ごしかな。その時期にお会いしてなくて本当に良かった。
「何故そこまで思い込まれたのでしょうね」
「使命感、だな」
齢五歳にして使命感に燃えるとかその時点で既に常人とはかけ離れていると断言できる。しかし精神的にかなり早熟で変わった子供であっても、体力的には五歳の子供だったのだからかなり厳しい訓練を自ら課していた事は間違いない。
「グウェイン様の素晴らしい所はたゆまぬ努力という事なのですね」
「私が揺らげば公爵家、ひいては国家の安寧が揺らぎかねんからな」
そんな五歳児存在したんだ。っていうか一切の謙遜とかないんですね。
国の行く末を案じる幼児って……一体どんな教育したんだよ。
「だがエレオノーラだって同じ様なものだろ」
「私がですか?まさかそんな」
国の行く末なんて考えた事無かった。『魔物大襲撃』の話を聞いても恐怖は覚えるが国の事なんて考えない。
「お前だって母親を喪ってから懸命に弟の面倒をみたんじゃないのか?」
「それは、そうですが」
「幼いエレオノーラが一人でさらに幼い子供の世話をするのは簡単では無かったろう」
母親を恋しがるエドガールをどう慰めればいいかわからず一緒に泣いていたときもあった。私だって母を亡くしたばかりだったのだから。
「確かにそうですが、それとグウェイン様の事とを比べるわけには」
「同じだろう、自分がやらねばならないという気持ちは」
事情の大小あれ必死であるという点は同じと言っているのか。
「グウェイン様はハナコ様に切迫感が無いと思ってらっしゃるのですか?」
静かに息を吐くと肯定したようだ。
これまで少しだがハナコ様の世界の話を聞く限り確かに切迫した生活を送っていたようには思えない。召喚された時に着ていた衣服も変わってはいたが悪い物では無かった。かなり小さめだったが肌触りのいい下着を身に着けていらっしゃったし健康面でも問題なさそうだった。
魔物のいない世界で三世代前に戦争が終わった国なんて平和そのものだろう。命が脅かされた経験のないハナコ様に魔物を倒すということがどれだけ理解出来ているだろうか。
グウェイン様が仕事を再開したので私は食器を片付けハナコ様の部屋へ向かった。静かに中へ入ると食事を終えたハナコ様はまた訓練を始めたのかダンテ様が魔石を差し出してお手本を見せていた。
「体の中にある魔力、ハナコ様の場合は聖なる力を手を通して魔石へ注ぐ感じです」
ダンテ様がグッと集中すると握られた魔石に渦を巻くように赤い煙のような物がぐるぐると渦巻きやがて全体に広がり火の魔石が出来上がった。
「わぁ〜凄いですね、でも私には無理です」
ハナコ様は感心したあとすぐにガックリと落ち込む。素直な反応だと思うが確かに出来ない事に対する失望感は薄い気がする。だからといってこういう事は他人がどう言っても上手く伝わらない気がする。ましてハナコ様は無理矢理連れて来られたと思っているし、実際にそうだ。
私達が勝手に助けて欲しくて召喚したのにこれ以上何が言えるだろう。
ダンテ様もジェラルド様も上手く行かない訓練に頭を悩ませているとノックが聞こえた。近くにいた私が対応するとそこにエドガールがいた。
「姉さん、ここにもうすぐソロモン・チャンドラー伯爵がいらっしゃいます」
素早く部屋へ入るとダンテ様達にも聞こえるように言った。訓練はすぐに中止し魔石を箱へ片付けてそれを戸棚へ隠す。
「ハナコ様、いいですか、訓練のことを話してはいけません。今はこの大陸事情を聞いているという事にしてください。聖なる力が使えない事を知られてはいけませんから」
ジェラルド様がそう話すとハナコ様は怖くなったのか顔を引きつらせてながら頷いた。エドガールがダンテ様とジェラルド様に何か話したあとハナコ様の傍へ行く。
「大丈夫ですから、落ち着いて下さい。姉さん、傍にいてあげて下さい」
「わかってる」
本当なら自分が寄り添いたそうだが男性のエドガールではあまりよろしく無い。エドガールは離れた所にさがり、私はハナコ様のすぐ後ろに立った。
ルーにお茶の準備を任せるとそれと入れ違うようにチャンドラー伯爵が数人の部下と共にやって来た。
でっぷりとした重量感のある腹を突き出しながら伯爵がハナコ様に慇懃に礼を取る。
「聖女であるハナコ様にご挨拶申し上げます、ソロモン・チャンドラー伯爵でございます」
なんだか含みがあるように感じるのは私だけだろうか?分厚い唇をニタリとし一応の笑顔でいるようだ。
「チャンドラー伯爵閣下、いきなり訪ねていらっしゃるなんて無礼ではありませんか?」
ダンテ様がハナコ様を庇うように前に出る。
「いやいや、聖女様はまだこちらの生活に慣れていらっしゃらないでしょうから出向いたまでだ」
「だがハナコ様の件に関してはウィンザー公爵閣下を通すべきです。お帰り下さい」
チャンドラー伯爵は不快さを隠そうともせずダンテ様を睨みつけた。
「公爵の直属だからといって伯爵である私にそんな口をきいても良いと思っているのか。生意気な、たかが子爵風情が」
見た目通りのクズ伯爵、裏切らないねぇ。
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