第32話 訓練を開始した聖女3
オーガスト様と一緒に本邸一階の図書館へ向かった。
入口にあるデスク前に昼間と同じ女性職員がいて困り果てた顔をしている。彼女と目があってはたと思い出した。
中へ入らず立ち止まると前を行くオーガスト様がついて行かない私を振り返った。
「何してる?早く来なさい」
「オーガスト様、申し訳ありませんが私は図書館を出禁になったんです」
「はぁ?」
女性職員がうっと気まずそうな顔をした。
「どういう事だ?」
「グウェイン様に食事をして頂こうとして禁書部屋に食事を持ち込んだんです。それをその方に見咎められて」
オーガスト様が女性職員に不快そうな視線を向ける。
「何か被害があったのか?」
女性職員に詰め寄るオーガスト様、怖い。
「いいえ、それは……ですけど規則ですから。規則に違反した者を図書館へ入れないようにする権利が私たち図書館職員にはあります」
「だが実害はなかったのだろう?」
「で、ですけど、食事をなさった手で図書にお触りになったなら本が汚れてしまいます。いくら公爵といえど規則は守って頂かないと示しがつきませんから」
女性職員は何とか怯まずオーガスト様に立ち向かう。どう見てもオーガスト様が悪者だけどここはハッキリ言っておかないと。
「グウェイン様は汚れた手で本には触れておりません。私が食べさせて差し上げましたから」
お二人が驚愕した表情で私を見ています。
「あぁ、勿論私は本には触っておりませんからご安心を」
手だってちゃんと拭いたしね。
オーガスト様がこちらに向けていた顔をぎりぎりと音がしそうなぎこちなさで女性職員に向けた。
「こ、こう言っているぞ。今回は見逃しても良いんじゃないか?」
「で、ですけど規則ですから……その、ウィンザー公爵閣下ですよね、禁書部屋にいらっしゃるのは」
鍵を渡したのは自分のはずなのに女性職員が確認してくる。
「勿論そうだ。だからエレオノーラを連れて来たんだ、彼女なら禁書部屋のドアが開く」
不思議な生き物を見るような目つきで私を見る女性職員。私なら禁書部屋のドアが開くと言われたがまだ逡巡しているようだ。
「決められ無いならもう構わん。行くぞエレオノーラ、私は早く帰りたい」
しびれを切らしたオーガスト様が図書館の外にいる私に向かって歩き出した。
「待って下さい!わかりました、今だけ特別に許可します」
このままグウェイン様が出て来なければ自分は帰れないと焦ったのか女性職員が慌てて言った。それを聞いてオーガスト様がニヤリと笑う。
「行くぞ、エレオノーラ」
くるりと踵を返し再び禁書部屋へ向かうオーガスト様に私はまだついて行かない。
「何をしている?」
「あの、出来るなら今度から禁書部屋にお食事を持って行ける許可を下さい。勿論グウェイン様限定で」
ちょっと卑怯だがここで言質を取っておけば今後禁書部屋でのお世話が楽になる。
「それは、私の一存では」
「非公式で構いません。他の方に見つからないように気をつけますから」
女性職員はチラリと時計を見た。
「わかりました、こっそり持っていく分には見逃します。でも他の利用者の方に知られれば規則に従って頂きますからね」
誰だって早く帰りたいよね。
渋々折れた形ではあるが何とか許可を頂きすぐに禁書部屋に三人で向かった。
トントントン、トントントン、トントン……ガチャリ。
すぐに鍵が開く音がし女性職員が驚いていた。それに構わず中へ入ると突き当りのキャレルの横で床に座り込むグウェイン様を発見し退出を促す。
「グウェイン様、お時間です」
周りに無造作に置かれた本に触れないように気をつけながら回り込んで近づく。
「うん?もうそんな時間か……ふぅ」
調べ物が捗々しく無かったのか、ため息と共に立ち上がると本を片付けていく。何が気に食わなかったのか編み込みも乱れて解けた髪が美しい顔にかかっている。反射的にそれを指で整えるように後ろへ流すとさっと手首を掴まれた。
「どうかされましたか?」
ちょっと驚いた様な顔で見おろされているが驚いたのはこっちの方だ。そのままじっと長いまつ毛に縁取られた惹き込まれそうな青藍の瞳で見つめるとか私に気を失えと命令しているのだろうか?何だか様子が変だ。
「あの、大丈夫ですか?」
掴まれたままの手で思わずそっと頬に触れそうになる。時々エドガールが悩み疲れた顔をしている時にやってあげていた事だ。頬に触れて感じる人の温かさは安心感がある。だけど待って、この人は公爵閣下だった。
我に返り触れるか触れないかのところで手を止めた。指先が少し触れてしまったことは無しにして頂きたい。慌てて手を引き戻し取り繕う。
「オーガスト様がお待ちです」
そう言って一歩下がると頭を下げた。一瞬間があったが黙ってドアへ向かうグウェイン様について部屋から出ると女性職員が驚いた顔で迎えてくれた。
「か、閣下、鍵のご返却を」
差し出された手に無言で胸元に差してあった鈍色の鍵を載せそのまま足を進める。様子が変だと思ったのかオーガスト様がすぐについて行った。私は女性職員に軽く会釈すると二人の少し後を付いて行く。
誰もいない執務室へ戻るとお茶を要求されすぐにお二人へお出しした。
「今日はもういいから帰りなさい。誰も待機させなくていい」
有無を言わさぬ雰囲気に「畏まりました」とだけ答えて部屋を出た。
帰っていいのか……帰っていいのか!
ヨシッ!と拳を突き上げているとリゼットに見られた。
「帰れるの?」
彼女も丁度ハナコ様の部屋から出て来たらしく今夜の当番のため仮眠室へ向かう所だったようだ。
「そうなの、やっと家に帰れるの」
「そう……ところでエドガールがそこの客室に泊まり込むって知ってる?」
「……知らない、なんで?どうして姉の私が知らないのにあなたが知ってるの!」
衝撃の事実に思わずリゼットに詰め寄る。
「ちょっと、落ち着いて。私もさっきたまたま知ったのよ」
リゼットに教えてもらった部屋へ向かうとドアをノックして返事も待たずにそのまま入った。
「エドガール!」
「うわぁ~姉さん、早いね」
エドガールは丁度荷物を持ち込んだところなのかカバンを広げていた。
「どうして?!ここに住むの?」
側に寄り手を広げて抱きしめた。最近嫌がっていたが優しく抱きとめられポンポンと軽く背中を叩いてくれる。
「勿論仕事の為だよ。ちょっと忙しくなりそうだから、父さんはいつもの様に陛下のお傍の自分の執務室に、僕はここにしばらく常駐するから」
抱きとめた手を緩め、私を見下ろす弟はいつの間にこんなにしっかりしてしまったんだろう。エドガールはニッコリと微笑み荷物を整理し始める。私は何だか泣きたくなってしまい、無言でそれを手伝い始めた。
ひと通り整理し終えるとエドガールの顔を見上げる。
「しばらくってどれくらい?」
父はどうせいつも帰って来たり来なかったりだったから気にならない。エドガールが居ないなら私は家に帰っても一人だ。
「姉さんも少しは知ってるだろう?
『黒霧による魔物大襲撃』、知ってしまった時の衝撃はいまだに忘れていないが日々の仕事に追われて考えないようにしていた。
大陸全土を不安に陥れるであろうこの事案はまだ平民や殆どの貴族にも知らされていない。もし知ってしまえば大混乱を招きかねないから当たり前と言えば当たり前だ。
大多数の者はまた他国から援助を申し込まれて、仕方無しに賢者を召喚したと思っていてその意味を深く知ることはない。
エドガールは私の頬に優しく触れる。
「姉さんも早く休んで」
触れられた手の温かさにホッとするが寂しさもこみ上げる。
「そうね、ここで毎日顔を会わせるんだしね」
「そうだよ、だからって部屋まで毎日押しかけないでよ。僕はもう自分の事は自分で出来るんだから」
チッ、先に釘を刺されたよ。
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