第25話 父娘

 グレタとメイド用の控室の前の静まり返った廊下で小声で押し問答を繰り広げていた。

 どちらが私の家に行ってエドガールに会うかを取り合っているのだが冷静に考えればグレタがエドガールに会いたい訳ではない事はわかっている。

 私が会いたいのだ!

 

「エレオノーラ、落ち着きなさい」

 

 馴染みのある優しい声に振り返るとエドガールと同じ金色の髪に柔らかい微笑みを浮かべた父エルビンがそこにいた。

 

「と、父さん!どうしてここに!?」

 

 同じ城内で働いているのだからそれほど不思議ではないかも知れないがこれまで父が私の職場を訪ねたり、その反対も無かったからかなり驚いた。

 私が父と呼んだ事でグレタはこの言い合いの解決をみたと感じたのか失礼しますと逃げるように控室のドアを閉めた。

 あぁ、今夜はエドガールの顔が見れないのぉ〜

 ガックリとしてしまうがそれ以上に父の顔を見ていたら沸々と何かが湧き上がる。

 

「父さん、話があるんだけど」

 

 エドガールに会えない八つ当たりもプラスされグッと睨みつける。

 

「わかっている、ここじゃあ話せないだろう。閣下の執務室へ行こう」

 

 この時間なら勿論文官は誰もいないだろうが勝手に部屋は使えない。だが私がグウェイン様の専属であるためグウェイン様の執務室へはいつでも入れる、ということを既に知っているようだ。

 

 静かな執務室へ入ると私は父を睨みつけた。

 

「今日一日でエルビン・スタリオンという私の父親と同姓同名の知らない人がいるんじゃないかと思ったんだけど」

 

 私の言葉に父はいつもの穏やかな微笑みを浮かべた。

 

「国内は勿論他国でもスタリオンという家名は私達だけだし、いるとしても傍系のお前の祖父の末弟の未婚で亡くなった者が一人いただけだ。だからエルビン・スタリオンといえばお前の父で間違いない」

 

「チッ!」

 

「はぁ……父親に舌打ちは感心しないな」

 

「それだけの事はしたと思うけど、今回の事は前より酷い」

 

 これまで散々仕事が忙しくて家に帰れないと言われそれを信じてエドガールと二人、子守もいない官舎で過ごしてきた。

 あの当時、幼い弟はまだ四歳で私は七歳だった。父が上位貴族からも目をかけられるほど優秀なら誰か大人を雇ってくれても良かったはずだ。幼い子供を置き去り同然に放置した。

 

「エレオノーラ、すまなかったと思っている。だがあの時は私自身も打ちのめされその上、王国が侵略の危機に瀕していたからそちらを優先したんだ」

 

 母が突然の病で急逝したことは覚えている。直後から父はほとんど帰らず、弟の手を引いてダイニングカフェへ行き食事は取れていたが掃除や洗濯は隣の人に手伝ってもらいながらこなした。

 父がやっと家に落ち着いた数週間後には私とエドガールは二人で生活する事が馴染んでいたし父を見て喜ぶ弟と違って私はこの人はいついなくなるかわからないというレッテルを貼り付けていた。

 

「そうね、私達も母親を失ってショックを受けていたし父親も・・・いなかった。逃げたくてもお金も無かったし何処にも行けなかった」

 

 こんな事を言うつもりは無かったが今日知ってしまった秘密が大きすぎて受けたショックをまだ消化しきれていないのかも知れない。あの時以来の衝撃だ。

 

「エレオノーラ、こっちにおいで」

 

 父は悲しそうな顔で私に手を差し伸べてくる。あれ以来父に対して恨んでいる訳では無いが期待もしていない。父は相変わらず仕事に明け暮れ家にはあまり居なかったが私達に愛情を持ってくれていることもわかっている。けれど私は父に頼る事は無くエドガールの面倒も、ついでに父の面倒も見てきた。

 私は差し伸べられた手から目を背けた。今更何なの、という気持ちになる。

 

「人の執務室で親子喧嘩は止めてくれないか?」

 

 音もなく続き部屋のドアが開きグウェイン様が顔を出す。

 

「閣下、申し訳ございません。急に上級メイドになった娘の様子が心配で来てしまいました」

 

 父は差し出した手を所在無さげに引っ込めるとグウェイン様に礼を取った。

 

「申し訳ございません」

 

 私は顔をあげる事が出来ず視線を下げたまま謝罪した。

 ここで話すことでは無かった。エドガールに帰らないことだけ伝えて貰えば良かったのに。

 自分の失態だと落ち込んでいると肩に優しく触れられ思わず顔をあげると目の前にグウェイン様の美しい顔が迫り右眉が不満気にピクリと動くのがわかった。

 

「エルビン、私の専属を泣かすのは止めてほしいんだがな」

 

 ポロリと溢れた涙をそっと指で拭われ体が固まってしまう。

 えっ!?わたし泣いてるの!!

 

「あれ……こんなつもりは」

 

 驚いて自分の指で目を拭うと急に体が引っ張られた。

 

「エレオノーラ、すまない。だがこれ以上閣下にご迷惑はかけられません、失礼致します」

 

 父の腕に抱きとめられそのまま部屋から出るように体が押される。

 

「悪いがエレオノーラは仕事中だ」

 

 グウェイン様が何故か回り込み私達の前に立ちはだかる。

 

「直ぐに代わりの者を寄越します」

 

 父が無表情ながらグウェイン様を冷たく鋭い瞳で見る。これが仕事をするときの父の顔なら昼間に聞いた二つ名にも納得がいく。『裏公爵』って怖い。

 

「他の者では無理だ」

 

「そこまでエレオノーラをお気に召して頂いて幸いですがまだ見知って二日でしょう。なら勘違いということもあります」

 

 父が頑なに私をここから連れ出そうとする意図が読めず混乱する。今まで私の仕事に口を挟む事は無かったのに。

 

「私の判断を疑うとはエルビンも老いたか」

 

 険悪な雰囲気が漂いこのまま黙っているわけにはいかない感じだ。

 

「父さん、これは私の仕事よ。自分で判断出来るわ」

 

 抱き寄せられていた手から逃れ父から離れた。だいたいこんなに接することなんて滅多に無い。エドガールじゃあるまいし。

 私は二人から同じくらい距離をとりそれぞれから謎の視線を受ける。

 何だかこれってどっちを選ぶか待っている感じだ。なんて言えばいいんだ?

 

「エレオノーラ、来なさい」

 

 グウェイン様が部屋へ体を向けながら私を呼んだ。私は反射的について行こうとすると父が咄嗟にという感じで私の手を掴んで引き止める。

 

「閣下!」

 

 父の声に振り向くグウェイン様がふっと笑う。

 

「なんだ?」

 

「お願いです、エレオノーラを専属から外して頂きたい」

 

「無理だ」

 

「閣下!!」

 

 父が無表情を崩し必死にグウェイン様に訴えているように見える。無爵の下位貴族が公爵にここまでしていいのだろうか?

 流石に私も不安になってきて腕を掴んでいる父の手に反対の手を重ねた。

 

「父さんどうしたの?これ以上はご無礼になるわ」

 

「エレオノーラ、頼むから私の言う事を聞いてくれないか?このままでは危険だ」

 

 何が危険なの?

 私が不思議に思っているとグウェイン様が突然笑い始めた。

 

「ぷっ、クックックックッ。エルビン、流石に私も傷つくぞ。そこまで信用が無いか?別に何も悪い事はしないぞ」

 

「閣下の悪い行動だけが危険な訳ではありませんから」

 

 ちょっと意味不明の発言だが父は私を心配しているらしい。

 

「父さん、私はもう成人してるのよ。自分の仕事の事は自分で解決するから」

 

「成人しているから厄介な事もある。いいから専属をお断りしなさい、後は私が何とかする」

 

「それが駄目なの。父さん知らないの?グウェイン様がメイドを誰も寄せ付けないのを」

 

「知っているから言っているのだ」

 

「私が抜ければリゼットに負担がかかるわ」

 

「もう一人いるなら大丈夫だ」

 

 食い下がるなぁ、何なんだ?

 

「だから駄目だって。ハナコ様のお世話もあるんだから」

 

「ハナコ様……賢者様か。もうそこまで関わっているのか……」

 

 ガックリとして手を離し父が力無く俯いた。ハナコ様の情報は今この国で最高機密だろう。それに関わっている私をおいそれと他へ移すのは難しいとわかったのだろう。これでやっと諦めるかと思ったら急に無表情な顔をあげた。

 

「ではエドガールを閣下の文官としてここへ置いてください」

 

 何を血迷ったか父は弟をここで働かせろと言い出した。

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