第16話 逃げた賢者3

 ぎゅっと手を握りしめて抱きしめたい衝動に耐えているとツンっとリゼットが斜め後ろから突いてくる。チロリと横目で見ると呆れたような顔してる。キッチリと私の欲求がバレているようだ。

 スーハースーハー呼吸を整え今一度冷静さを取り戻しハナコ様の答えを待った。

 

「私は賢者じゃないんです」

 

 グラリと体が傾きそうになった。

 国を上げての一大事業、一年以上かけて準備をしてきた大魔術師グウェイン・ウィンザー公爵の働き、その他多大な人の手、多数の国から協力を経てこの召喚魔術を行なったはずなのに。

 

「それは……ご謙遜ではなく?」

 

 リゼットが思わずという感じで問いかける。私達としては「とんでも御座いません、私は賢者などとおこがましい者ではありませんよ。ただ少し人より物を知る機会が多かっただけのことです、オホホホ」なんて答えを期待していたがあっさりと裏切られる。

 

「違います。私はただの高校生です、学生なんです!しかも自分で言うのもなんですが出来が悪いと言われています」

 

 その言葉を皮切りにハナコ様は一気に事情を話し始める。

 

「どうしてここにいるのかわからないんです。見たことも聞いたこともない言葉で話しかけられて、訳がわからない賢者とかお話の中でしか聞いたことがない呼ばれ方されて、誰もまともに話を聞いてくれないし、お母さんに連絡もしてくれないし、ご飯を出してくれたのはありがたいですけど、ずっと傍でクスクス笑われて、わたし、わたし……うぅ、お母さん、帰りたい……」

 

 うわぁ〜んと声を上げて泣き出したハナコ様を抱きしめたって流石にリゼットも止めたりしなかった。

 

 この娘はだた母親を恋しがる子供だ。

 

 

 

 しばらく抱きしめてハナコ様の背中をリズムよくトントンと叩く。母が私にしてくれたことを思い出し、こうすればグズっていた幼いエドガールだってうとうと眠りについたもんだ。

 

 少し落ち着いた感じのハナコ様からそっと体を離し、ハンカチで涙と鼻をふく。乱れた髪を手ぐしで整え、泣きすぎて放心しているハナコ様に微笑みかける。

 

「ハナコ様、ここが居心地悪くて逃げ出してしまいたかったのですね」

 

 泣いた子供が黙って頷く。

 

「それは大変申し訳ございませんでした。これからはハナコ様がそんな思いをしないように私が全力を持ってお世話を致します。ですから一度お部屋にお帰りいただけませんか?ここで充分にお世話が出来ませんわ」

 

 後ろでリゼットが驚く気配がしたが私は既に決心していた。

 

「エレオノーラさんがずっと一緒にいてくれる?」

 

「はい、勿論です。ここにいるリゼットもとても優しくて優秀なメイドです。私が居ないときはリゼットに何でも申し付けて頂ければいいのですよ」

 

 ゴメンねリゼット、勝手に決めて。

 

 ため息が聞こえた気がしたがリゼットが話を合わせてくれる。

 

「ハナコ様とお呼びさせて下さい。私はリゼット・カーターと申します。このリゼットもハナコ様を全力でお世話致しますからお部屋へ戻りましょう」

 

 遠慮したり遠回しに言っては話が通じないと感じたのか、リゼットは少し距離を縮めた接し方をしたほうがいいと判断したようだ。

 

「早速ですけど、ハナコ様。それはメイドの服なので着替えましょうね。何色の服がお好きですか?」

 

 リゼットは少し背が低いハナコ様の手を取り立ち上がらせると顔を覗くように首を傾け笑顔で尋ねる。ハナコ様もそれを見て安心したのか恥ずかしそうに笑む。

 

「私、一度メイドさんの服を着てみたかったの。これはシンプルだけどもっとフリルとかレースを一杯つけてリボンも付いてる方が可愛いと思うんだけど」

 

「そ、そうですか」

 

 私とリゼットは思わず顔を見合わせた。確かにこれはちょっと違うかも。メイドは平民や爵位がない貴族の娘が仕事として選ぶ職業だ。

 働く場所によっては憧れとかあるのかもしれないが、基本働かなくては食べていけないから働いているのだ。特に貴族ともなれば更に働かない生活を夢見るのが普通だ。

 

 ハナコ様の言動はまるで平民のそれだ。さっき食べる様子も見ていたが作法や所作は全く身についておらず、侍女達の態度が失礼だった理由がハッキリとわかった。これは何とかしなければ。

 

 三人で本邸に向かい上位貴族が使う一番階段を上る。

 本来ならメイドだけで使うことが許されないこの階段。すれ違う貴族達が一瞬眉間にシワを寄せて睨んできたが、ハナコ様を探し回っていた騎士達が私達に気づき駆け寄ってくるとハナコ様の無事に安堵した様子を見せた。

 

「賢者様どこにいらっしゃったのですか!?」

 

 五階について知らせを聞いた侍女やドアを護っていたらしい護衛騎士が詰め寄るように取り囲む。

 ハナコ様が怯えた表情で身を固くし私とリゼットの後ろに隠れた。

 

「恐れ入ります、先ずはウィンザー公爵閣下にお目通りしなければいけませんので失礼いたします」

 

 彼らの脇をすり抜け公爵の部屋へ向かおうとすると一人の侍女がハナコ様の腕を掴んだ。

 

「お待ちなさい。私がお連れ致します」

 

 侍女は怯えるハナコ様を乱暴にグッと自分の方に引き寄せた。きっと自分が見つけてきたと言い張る気だろう。

 

「痛い!」

 

 ハナコ様の悲鳴を聞いて何かがブチッとはじける。

 

「お止め下さい、そのような扱いをなさるからハナコ様は逃げ出されたのですよ!」

 

 リゼットがぎょっとした顔をしてるが構うもんか。

 

「なんですって、私は選ばれて侍女としてお世話しているのよ。あなたみたいに格下のメイドとは違うの!」

 

 侍女は恥を欠かされたと思ったのか少し頬を赤くする。

 

「それは失礼致しました。まさか選ばれし侍女の方のお世話が居心地が悪くてハナコ様が逃げ出されたとは思いませんでした」

 

 自分の世話の仕方が悪くて逃げ出されたと言われていは立場が無いだろう。かなりキツい言葉だが本当の事だからそこは仕方無いからね。

 怒り心頭で震える侍女が手を振り上げると私の頬を激しく叩いた。

 

「ヒィ!」

 

 ハナコ様が驚いて体をビクつかせる。私は怯まず切れたくちびるの血も垂れるままに侍女を睨む。

 

「なんなのその態度、私がフロイト伯爵家の者だと知らないの!!」

 

 そんなこと知るか!

 もう一度手を高く上げた侍女を睨みつけていると、振り下ろされる瞬間誰かが素早くその手を掴んだ。

 

「そこまでにして頂けませんか。このメイドは公爵閣下の専属だと知らないのですか?フロイト伯爵令嬢」

 

 いいタイミングでカッコよく登場したのは赤い髪を振り乱したウルバーノ卿だった。息を切らせているところをみると階段を駆け上がってきた所のようだ。

 

「なっ、公爵の専属!?」

 

 位で言えば伯爵令嬢の方が私はもちろん子爵家ご令息のウルバーノ卿だって下だが、ここで効くのが公爵の専属・・・・・ということだ。勿論専属であろうとたかがメイドを殴ったって罪には問われない。ただ公爵からの心証はかなり悪くなるだろう。専属とはつまりお気に入りということだから。私は別に公爵のお気に入りというわけではないがそれを教えるつもりはない。

 

 公爵の専属という言葉に怯んだ侍女をそのままに、ウルバーノ卿は私とリゼット、そしてハナコ様を公爵の部屋へ連れて行った。

 

 ドアの前でウルバーノ卿が私を振り返る。

 

「拭いておけ、傷は誤魔化せんが見てられない」

 

 差し出されたのは真っ白な高級ハンカチ、これで血を拭くのは大変躊躇われる。洗濯しても血の汚れが落ちるかどうか、まして代わりの物を用意して返すにはお金がかかる。

 

「いえ、大丈夫です。自分のがありますから」

 

 と言って取り出したのはさっきハナコ様の涙と鼻水を拭いたヨレヨレビショビショハンカチだった。

 

「何だそれは汚いな、いいからこっち向け」

 

 そう言って強引に私の顎に手を添え上向かせると口の端に垂れた血をハンカチで拭う。

 

「はぁっ、待って、痛い!そっと、そっとして下さい」

 

 驚きと痛さで焦っていたら、ウルバーノ卿の真剣な顔が間近に迫っていて更に驚いた。エドガールよりウィンザー公爵より攻撃力は劣るとはいえ充分男前なその顔にドキッとする。

 すると横でぱぁーっと顔を輝かせてハナコ様が私達をじっと見ている。

 

「凄い、ラブラブだぁ〜」

 

 ラブラブ?

 謎の言葉に反応出来ずにいるとリゼットがハナコ様の体を後ろに向かせた。

 

「そんなにじっと見てはいけません」

 

 子供に見せてはイケナイものかのような扱いをされウルバーノ卿が慌てて私から手を離した。

 

「ほら、じ、自分でやれ」

 

 そう言ってハンカチを手に押し込まれた。そっちが勝手にやって来たクセに。

 

「申し訳ありません。ありがとうございます」

 

 血を拭い、改めて部屋のドアをノックした。

 

 

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