第9話 世の中、捨てたものではないかもしれないが・・・
「そうですかな・・・。世の中、捨てたものでもありませんな」
19世紀末生れのこの老紳士は、福祉・保育の世界の先陣を切って走ってきたばかりでなく、旧制中学卒業後は代用教員を務め、同郷の若者たちの学び舎を作るなど、先駆的な取組を生涯にわたって実践してきた。
彼は、2回り近く若い目の前の人物の、子どもも大人も、そしてその周囲にいる大人たちも交えた、学校という名の「群れ」の中で、建前と本音を厳密に分けつつ教員人生を全うしてきた人生に相容れないものを感じつつも、自らの不満を抑え、自らの言葉をもって少しでも希望を見出そうとしているかのようである。
私も、それにはまったく同感です。先の大戦前の若い頃が、懐かしいです。
戦後の民主化とやらで、私ら教員は、先生もご存知の、それこそ、あの黒塗りの教科書を使って、民主主義が云々と、わかった口で子どもらに教壇の上から正面切って叫んでおりました。
ですが、私個人としては、どうしてもしっくりこないものが、常にありましたな。
元学校長は、建前の中にいささか本音を交えたような返答をするにとどめた。
老園長は、気を取り直して、思うところを述べ始めた。
東さんのそのお気持ち、よくわかります。
あなたがその「民主主義」とやらを教壇で児童相手に披露しておった時期、わしはこのよつ葉園に参って、常務理事として前園長の古京友三郎さんと戦災孤児や被虐待児童らの世話をしておった。
別に学校教育を非難する気はないが、職員会議と銘打った集いを大仰に開いて適当なガス抜きをして、では前例を踏襲して、まあこの案件でもちょっと大々的にやってみようとか、そんな玉虫色の決定ごっこなどやっとる暇もなかったですな。
老園長の回想は、確かに、学校教育の現場以上の壮絶なあの時代の児童福祉を、聞く者をして否応なく感じさせる。
ここで森川園長は、目の前の湯呑に残った液体を飲み干した。
若者に人気のグループが数年前、「思い出の渚」という曲をリリースして、一世を風靡していた。もう帰らない、否、もう帰れない、あの夏の日であることには変わりないかもしれないが、こちらは、ただ懐かしんで感傷に浸って歌っていられるようないいものなどでは、到底なかったのである。
かくして森川氏は、よつ葉園にとって痛恨の事件となった、あの「夏の日」のことを引合いに出し、思うところを再度語り始めた。
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