世紀の大発見!? 中編

第7話 あれはすでに、前世紀の「遺物」なのであろうか?

 東氏の話が途切れた後、しばらくの間、両者間に沈黙が走っている。

 森川園長は、少しがっかりしたような、それでいて、まあ、仕方ないものか、といった表情をしつつ、その弁に応えた。


 まず、昨晩の突然の電話ですが、これにつきましては、申し訳ありませんでした。

 よくよく考えてみれば、夜にする話ではありませんな。

 うちに時々来られる大宮哲郎君が言うには、ヒトラー氏は演説をできるだけ夜に組んでいたとのことです。朝や昼、特に朝は、いくら熱情を込めて演説しても、頭が理性的になっている故、盛り上がらないからであるとのことらしい。

 それは集団でなくとも同じこと。

 わしも、やるからには思い付きで突っ走るだけではだめですな。

 こういう話は、いきなりやろうとか賛成反対を迫る性質のものではなかったことは確かじゃが、いや、東先生、あなたの御意見、あくまでも、あなた個人の御意見を、ここでぜひとも、お聞きしたい。

 教育勅語は、今の時代にはもはや、無用のものであろうか?


 いささかならぬほどの不満を押さえつつも、老園長は自らの思うところにつき、熱情を抑えながらも、少し角度を変えて、幾分若い元学校長に尋ねてみたのである。


 私個人としましては、かの教育勅語の精神を現代風にアレンジして普及することには、むしろ大賛成です。

 とは申しますものの、養護施設という公共の場を預かる者といたしましては、政治的論議に巻き込まれかねない運動を国民運動と称して、この地から推進するというのは、今どきの教職員組合の一部の過激な活動同様、いかがなものかと考えます。


 東副園長の見解は、この言葉の中に詰まっている。

 確かに、東副園長は学校長時代、赴任先の学校で組合系教師らとやりあってきた。

 教師各位は皆、個人としては優秀な教員であり、児童や保護者の信頼も厚い者が多かった。組合幹部の「能書き」をトレースしただけの主張をわめくように述べたり、あるいは教師は労働者であると標榜して自己の権利を必要以上に(と言うより、必要を超えて)強調したりする者に出会わずじまいだったのは、幸いであった。組合活動家としての要素が入ったときの彼らの発言には、正直、辟易させられていた。

 自分の考えではなく組織の発した考えをトレースした形での主張に、東氏は退職した今もなお、大きな違和感を持っている。

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