第八章 キツネ + キツネ = 確かな友情 その2
「――さて、ここであってる筈なんだけど」
事前に部屋の番号は知らされている。一年生の間で何かトラブル等あった際に上級生からアドバイスなどを貰えるようにと、皇城がそれぞれのクラス長に個別に教えていたものである。
「302号室……ここだ」
既に十二時を過ぎようとしている時間帯、ノックの音は廊下にももちろん響き渡る。
「周囲を確認して……よし」
コン、コン、コン、と間を開けての三回のノック。できる限り小さく鳴らしたいところでもあるが、それで中にいるはずの稲山に聞こえなかったら元も子もない。故に見つかるリスクを背負いながらの三回のノックである。
「お願い、気づいて頂戴……!」
思わず心の声が漏れ出る愉坂。するとその祈りが届いたのか、ドアからカチャリ、という鍵を開けるような音が聞こえてくる。
「誰かいるの……? って、あら? 消灯時間はとうに過ぎている筈だけど」
「よかったー、稲山先輩に気がついて貰えた!」
しかしノックをしたのが愉坂だと分かった途端、稲山は即座に開けていたドアを閉めようとする。
「ちょっと待って下さ痛ったぁ!?」
「ちょっと、何してるのよ!?」
閉じようとするドアに反射的に足を挟ませる愉坂だったが、思ったよりも稲山の力が強かったようで、上靴に大きくしわが寄っているのを感じることができる。
「早く足を外しなさい。ここまで来たことは見逃してあげるから」
「そ、それはできない相談ですね……!」
「別に私がここで悲鳴を上げてもいいのよ? ほら、さっさと足を離して――」
「違うんですよ稲山先輩! 僕は、稲山先輩と友達になりたいだけなんです!」
その瞬間だけ、意外な言葉を耳にしてしまった稲山の手の力が抜けていく。そしてその隙を逃すまいと、愉坂は今度は半身を乗り出してドアをこじ開ける。
「っ、本当に叫ぶわよ! どうなってもいいの!?」
「とにかく、話を聞いて下さい!」
そうして半ば突進するかのようにして、愉坂は無理矢理部屋の中へと転がり込む。力負けした稲山はというと、愉坂に押し倒されるような形で床へと倒されてしまう。
「うわぁっと!?」
「きゃあっ!」
幸いにも悲鳴と同時にドアが閉じられた為、外には聞こえなかっただろう。しかし愉坂はそんなことよりも先輩を押し倒してしまったことにまず謝罪の言葉を並べた。
「すいません先輩! 大丈夫ですか!?」
てっきりここからとんでもない量の罵声を浴びせられることになるかと思いきや、下敷きになった稲山は、何故か怯えに怯えていた。
「っ……」
「せ、先輩……?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
それは愉坂に怯えているというよりも、この状況でトラウマを呼び起こされたかのような怯え方に思えた。両腕で顔隠し、震え声をあげて縮こまる。そこには愉坂のよく知る稲山の姿は無かった。
「……先輩、大丈夫ですか?」
「うぅ……ひっぐ……」
それは愉坂にとってはどこかデジャヴを感じさせるような、まるで遠い昔の自分を見ているかのような錯覚に陥ることになった。
「先輩……」
勝手なこととは分かっていても、ひとまずは稲山を落ち着かせる為に、愉坂は稲山に手を貸し、身体を起こしにかかる。
「先輩、立てますか?」
「うん……」
愉坂の介助も受けながら、稲山はゆっくりとベッドの端へと腰を降ろす。愉坂はそのまま敢えて隣に座らず、自分が下だということを示すかのようにそのまま地面に座り込む。
「安心して下さい。僕からは何もしません」
「うん……うん……」
それまでの元気はつらつといった声ではなく、目の前の先輩を落ち着かせる為の、静かな声。愉坂はここでようやく、事前に調べたりといった小手先を抜きに、稲山永実理と真っ向から言葉を交わす。
「……先輩は多分、優しすぎたんですね」
「えっ……」
愉坂から出てきた言葉。それは意外なものだった。
「本当の先輩は優しい人だった。多分そうじゃないと、千鳥川さんも先輩のことを慕わなかったと思うんです」
「…………」
事前調査がなくとも、培ってきた会話術は確実に愉坂の中に根付いている。そして会話の中での相手の所作、機微からおおよそではあるものの相手の性格を分析できる。
「二年生の中では笠木先輩を差し置いてトップに立てるはずの優等生、それがどこかのタイミングで何かが起こって、変わってしまった」
「…………」
そして稲山のことを調べている中で少しだけ聞いた噂話――それを愉坂は本人にぶつける。
「……先輩は、副クラス長の変更をしたことがあるんですよね?」
「――っ! 止めてその話は!」
ようやくクリティカルな部分をつくことができたと、愉坂は確信した。
――稲山永実理、十六才。私立南羽台中学校卒業。後輩には千鳥川習子、猫川愛鈴などを持つ。中学校時代は生徒会に所属しており、生徒会会長も務めていて将来を有望視された存在。
そんな彼女を支えていたのが――
「――
「その話は止めて今すぐ出て行って!!」
「わ、分かりましたごめんなさい! これ以上は触れないので落ち着いて下さい!」
慌てた様子で取り消す愉坂だったが、こうなってしまってはこの切り口からは話ができずに振り出しに戻ってしまう。
相手の奥底を知らないままの、手探りの対話。どれが相手にとって地雷のキーワードか分からないままの、オチの分からない会話。愉坂にとって初めての、手探りでの
「……僕はあの時先輩のことを尊敬してるって言いましたけど、本当はもっと違う感情なんです」
「…………」
尊敬ではなく、親近感。どこか自分と似ているようで、そして自分より先を進んでいるような、そんな感情。しかし稲山はそれを拒絶していた。
「実は僕も、最初に他人のことを深く調べないと話しかけられないんです」
相手の性格、好き嫌いについて、出身地、学歴――ありとあらゆる事を調べた上で、どう接触すれば嫌われずに済むのか。とことんまで調べ上げてからしか、愉坂は紛い物の“友達”を作れなかった。
――ただ一つの例外を除いて。
「相手が何を考えているのか分からない、相手がどう思っているのかを知らない。自分が相手にとっての何なのかが理解できない。そんなことが僕にとっては怖かった」
「…………」
稲山はベッドの上で体育座りのまま、黙りこくっていた。愉坂の独白にはいともいいえとも答えず、静かに耳を傾けている。
「以前の先輩は、僕みたいじゃなかったんだと思います。だけど僕みたいになってしまうような出来事が、起こってしまった」
予想できるのは、副クラス長の裏切り。クラス長が直々に任命するとうことは、それすなわち一番の腹心であり親友である存在を側に置いておくだろう。しかし稲山が腹心として置いておいたはずの存在は、稲山が思っていた存在とは異なっていた。
「今、先輩はほぼ一人でクラスを引っ張っている。他の人からすれば大変なことに見えたかもしれないけど、逆にいうとそうしなければならないような出来事が――」
「あっちが先に裏切ったのよ!」
この場に奥山由良本人はいない。しかし稲山はその人に向けて責め立てるような、あるいは言い訳するかのような声で次々と言葉を並べる。
「私は一生懸命クラスのことを考えてた! なのに、なのにあの子は……あの子は私だけが空回りしているかのように仕向けた! 私だけがピエロを演じているような風潮を作って、皆で私に冷ややかな目線を送った!!」
それが文化祭だったのか、何だったのかは分からない。分かるのは、稲山がクラスの為を思っての表立っての頑張りを全て否定していたということ。
そこからは愉坂の想像でしかなかったが、恐らくはクラスの団結も無くなり、全てが台無しになったのだろう。そう推理するのは容易だった。
表立って皆を引っ張ることを止めた稲山は、それまでやっていたことから百八十度手口を変えて、裏で手を引いて波風が立たないようなクラス運営をするようになったのだろう。
それが他の人の目には“事なかれ主義”として映ってしまい、そのまま評価へと繋がったのだろう。
「私は、私はもう、誰かに裏切られたくない! 誰も信用したくない!」
「……稲山先輩」
頭を埋めたままえずく稲山に向けて、愉坂はそっと手を差し伸べる。
「誰かを信用したくない。その気持ちはよく分かります」
「キミに、何が分かるのよ!」
一度目は手を振り払われた。そして二度目も。しかし愉坂は何度も何度も、稲山に向けて手を差し伸べる。
「しつこい、もう帰って……!」
「いいえ、帰りません。僕はまだ稲山先輩と交わしていない」
神村はこんな風に主張していた。わざわざ友達だと確認するのは馬鹿らしいと。
しかし不器用な愉坂と稲山にとって、それは何よりも確認したいもの。
「僕は先輩を裏切りません。僕は先輩と……“友達”になりたいんです」
「……っ!」
ハッとした表情で顔を上げれば、目の前には一切の演技もない真摯な表情で手を差し伸べる愉坂の顔がそこにある。
「…………」
「友達同士、約束します。僕は絶対に、先輩を裏切ったりしないと」
「……そんな言葉、どうやって信じろっていうのさ。口で言うだけなら誰だってできるわよ!!」
「ならば、証明して見せます」
そういって愉坂が自分の携帯端末から抜き出したのは、一枚の小型のチップ。
「これには僕が調べ上げてきたありとあらゆる生徒情報や、教員情報が入っています。僕はこれを壊すことで、他人を信用しないことからの脱却をします!」
「っ!?」
愉坂善治郎にとって、これは本当にとても怖いことだった。このチップ一枚にはありとあらゆる情報が入っている。それを捨てるということは、それまで見透かすことができていた相手の本質がまた見えなくなってしまうということ。
しかし愉坂はそれを必要とはしなくなっていた。なぜならばこんなものがなくとも、友達を作ることができていたのだから。
「……えいっ!」
両手でチップを真っ二つにへし折る。それは今までの愉坂のやり方を、信条を折ることに等しい。しかしそれを愉坂はあえて稲山の前でやってみせた。
「僕はもう一度、人を信用しようと思います。先輩は……今すぐ同じようにとは言わないですけど、少なくとも僕のことは信用して欲しいし、友達だって思って欲しいです」
それは今までの劇場とは違う、愉坂本人の想いがこもった言葉。縁起でもなければ裏もない、本心からの訴え。
「……キミは良いかもしれないけど、また私が裏切るかもしれないよ? 副クラス長をたぶらかそうとしたり、情報を横流ししたりするかもしれないよ?」
「僕は……しないって信じています」
「えっ……?」
「でももし万が一しちゃったら、怒ると思います。まっ、それは友達としてですけど」
心の底から相手を信用する。そして間違っていたら、全力でそれを正す。神村から教えられ、千鳥川から指摘される。そうして愉坂の中の友情、友達というものの最初の形が産まれようとしている。
「だから、遠慮無く裏切って下さい。その度に僕はこうして、夜遅くにやってきますから」
「……やだなぁ、そんな風に言われちゃうと、構って欲しい時すぐ裏切っちゃいそう」
「えぇーっ、それはちょっと困るなぁ」
「……ぷっ、あははははっ!」
それまでには無かった、二人の間には本当の笑顔と、自然な笑い声が広がっていた。
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