第七章 一年五組クラス長 ― ライオン = 愉坂善治郎 その2
「――へっくし! 誰か噂でもしたのかな?」
「今更そのような迷信を信じるのか?」
「それをいうなら政治家の選挙ダルマにもツッコミを入れなくちゃならないけど?」
「二人とも馬鹿げた話をしないで、さっさと歩いて貰えるかしら?」
神村達よりも先にウォークラリーの山道を進むクラス長三人組。それなりの斜面を登っているものの、愉坂の足取りはまだまだ軽やかといった様子である。
「それより千鳥川さんこそ、誘ってきた割には親睦を深める為の会話すらしようとしないじゃん」
「……現状、貴方達と喋ることに対して何のメリットも無いようにしか思えないので」
こちらはこちらで探りの為とはいえ愉坂と組んだのは失敗だったと、一人頭を抱えて足を進める一組クラス長の苦悩が窺える。
「どうせならもっとお互いのことを知った方が――」
「ただでさえ貴方に振り回されているというのに、このウォークラリーですら
友好的に立ち回ろうとする愉坂に対し、千鳥川はあくまで敵対的な態度をとり続けている。
「貴方が場を引っかき回しているせいで、皆が迷惑していることに気がつかないの?」
「確かにこいつが下手に煽らなければ、全員が演劇をする必要がなかったしな」
「そもそもこの宿泊研修の目的はそれぞれのクラス独自で積み上げた成果を見せる筈なのに、いつの間にかどこのクラスが一番かという話にすり替えられてしまっている。それに貴方、さっきも本当は何か仕掛けようと考えていたでしょう?」
結団式での独壇場を見て以来、千鳥川はずっと愉坂を警戒し続けていた。いつまたどこでとんでもないものを仕込んでくるのか、千鳥川が生きてきた中では初めての|性格ともいえる愉坂の奇行は、普通に見過ごせるものでは無かった。
そんな険しい表情を見せつける千鳥川とは対照的に、愉坂はあくまでいつも通りの営業スマイルを浮かべては千鳥川の進む先に回り込んでプチ劇場を始めようとしている。
「まさかそんな! 僕はただこの研修を通して皆ともっと親睦を深めようとしているだけですよ!」
あくまで友好的。そのスタンスを崩すつもりがない愉坂であったが、次に千鳥川が発する言葉に対しては、即座に言葉を返すことができなかった。
「あら? じゃあ私の元にきたこの相談、どう受け取れば良いのかしら?」
そうして立ち止まった千鳥川が取り出したのは、調理実習の際に稲山が見せつけてきた盗撮写真とまったく同じものだった。
「……っ!? えっ、ちょっ、何それ!?」
「何それって、貴方が一番知っているはずでしょう?」
「んんー? どういうことだ千鳥川。全く話が見えてこないぞ」
状況が理解できない氏波は千鳥川に問いかけるが、その答えは愉坂にとっては他の人間には知られたくないものだった。
「何って、これが彼のいう友達を作る手段よ」
あろうことか稲山は、本来であれば自分のクラスとは全く違う千鳥川に対して愉坂についての情報を流していたというのである。
「“先輩”から全部聞かせて貰ったわ。貴方はこうして探偵なり何なりを使って、自分に関わる人間の個人情報を集めてるって」
「何だと? それってとんでもないことじゃないか!? ストーカーか何かとしか思えない!」
「ち、違うってば! 誤解だよ氏波君!」
「ではこの写真の説明はどうしてくれるのかしら? それと、最近私の周りを嗅ぎ回っている人もいるみたいだけれどその説明も合わせてお願いね」
完全な悪者扱い――というよりも、入学式の後のリムジン内で神村が危惧していたとおりの出来事と、愉坂は直面することになった。
「僕はただ、知らない人と話す時に何かきっかけとかあればなーって思ってるくらいで――」
「それで普通は探偵派遣や盗撮までするのかしら?」
「だからそれは誤解だってば! 普通の人にはそこまでしないって――」
「……では愉坂にとって、自分の先輩は探偵を派遣してまで探りを入れないと信用できない存在だとでも言いたいのか?」
それまで様子見だった氏波だったが、これ幸いと思ったのか愉坂を陥れる為にも千鳥川の味方となって攻めかける。
「違うってば! 僕にとって稲山先輩は尊敬する人で……そ、そうだよ! このやり方だって稲山先輩をリスペクトして――」
「いい加減にして!!」
「っ!?」
突然の大声に、男二人が黙りこくる。そして二人の目の前には自分の先輩を、友達を侮蔑されたことに怒りを露わにする一人の少女の姿があった。
「尊敬!? リスペクト!? 馬鹿にするのもいい加減にしなさい!!」
「いやっ、だから――」
「貴方はただ言い訳にしているだけ! 間違った人の間違った手口を、その人を理由にして貴方も同じ事をやってるだけの、ただの卑怯者!!」
「えぇー……それって稲山先輩も侮辱しているってことに――」
「当然よ! もし貴方の言うことが本当だとするなら、稲山先輩にもビシッと言わないといけないわ!」
千鳥川の怒りは、愉坂だけではなくこの場にいない稲山にも向けられていた。
「中学校時代のあの人ならこんなことをするはずが無かったのに……どうして……」
中学校時代の憧れの先輩であり、そして親しい仲だった稲山に何があったのか。それは愉坂も知りたかった部分であり、そして昔からの友達である千鳥川の知らない部分でもあった。
「そうそう、それ僕も知りたかった――」
「貴方は黙ってて! それと、二度とこんなことしないように!」
「はい……」
並々ならぬ剣幕に流石の愉坂もタジタジに――というだけではなく、今度は愉坂自身が自分自身に対して危惧していた感情がわき上がってくる。
「……はぁ……」
「くっくっく、まあまあ誰かを犯人を決めつけようとする奴ほどそういう傾向もあるというが、まさかお前がそうだったとはな」
「最悪だ……僕はもう、お終いだ」
「ん? どうしたんだ?」
よくできたハリボテ――本当の愉坂善治郎を的確に表すには、この言葉が思い浮かぶだろう。
勇敢なライオンとは違って、キツネはずる賢くも臆病な動物。そして愉坂がどうしてこのウォークラリーを苦手にしていたのが明らかになる。
「はぁ……」
「どうした? 何か言いたいことでも?」
「いや、何も……」
そこにいるのはライオンを背に雄弁に語るキツネではなく、ただただ臆病な痩せ細った一匹の孤独な動物だった。いつものはつらつとした雰囲気とはまるで逆で、日向よりも日陰を好むような、陰鬱とした雰囲気の別人が、氏波の前に立っている。
「……お前本当に愉坂か?」
「…………」
意気消沈。最早そこには誰もが知る愉坂善治郎という少年など、残ってはいなかった。
「はぁ……」
普段は皆に笑顔を振りまく八方美人だが、その実は相手から嫌われることを極度に恐れる究極の小心者。ゆえに相手のことを深く調べた上で、更に嫌われない為の根回しを回してからの接触しかできない。
それが愉坂善治郎という、矮小なキツネの正体だった。
「…………」
「……これまでのことはさておき、貴方に一つだけご忠告させて貰うわ」
先輩の真似事――例え間違っていたとしても、真似することは誰でもあり得る。それを踏まえて千鳥川は、これ以上何も愉坂を責めることなどしなかった。
しかし同じ学年の人間として、そして友達とは行かないものの一人の人間の間違いを正す第一歩として、千鳥川は愉坂に厳しい言葉をぶつけ始める。
「今の貴方は、人のことを心から信頼していない。だからこそその人の裏も何もかも全て知ろうとする。今の稲山先輩も、多分そう」
うつむく愉坂に向けて真っ直ぐと指を指し、鋭く突き刺すナイフのような言葉を千鳥川は更にぶつける。
「でもね、本当にその人のことを信頼しているなら、相手の方から全てを打ち明けてくれるものなの。それが友達。それが友情。ある意味だからこそ稲山先輩は今の高校の友達じゃなくて、中学校時代の後輩である私を頼ってくれた。だけど貴方が今身の回りに作っているのは、ただただ嫌われたくないだけの薄っぺらなバリア。だから誰も貴方に自分の深くにあることを話そうとしないし、誰も貴方を心の底から信用しない」
全ての言葉が身体を貫き、愉坂の心をへし折っていく。しかし千鳥川は一切の手心を加えることなく、とどめのひと言を投げかける。
「本音でぶつかってくれる本当の友達……貴方にそんな人、一人でもいるのかしら?」
「僕は……僕は……っ!」
「……おっ、思ったより早くすれ違ったな」
凍てつく氷壁のように立ち塞がる千鳥川。しかしその背後から、愉坂のことを一番よく知る少年の声が聞こえてくる。
「なんつーか、ウォークラリーって歩き回るだけで退屈だよな――って、どうした?」
「あら猫川。もう追いついたの?」
「追いついたっていうより、これ回る順番をランダムに割り振られてるみたいやねんな。それはそうと、なんか意気消沈してるあんさんがおるんやけど」
愉坂達とはルートが異なっていたのか、丁度入れ違うかのように反対側から加村達の班が姿を現わす。
「どうした愉坂。顔真っ青だけど腹でも下したか?」
「あ、ああ……神村君!!」
大海の木片。地獄に仏。狐にライオン。愉坂にとって神村の登場はまさにその通りとしかいいようがなかった。
「か、神村君は僕と友達だよね!?」
「はぁ? お前何言ってんだ?」
藁にもすがるように腰にしがみつく愉坂に対して、事態を理解できていない神村は気味の悪さにドン引きするばかり。
「一体何を言ってんだよ」
「も、もしかして神村君“も”僕のこと、友達じゃないって――」
「アホかテメェ、いちいち友達って確認するもんじゃねぇだろ」
それは狡知な狐よりも友達というものを知っているライオンだからこそ、自信を持って堂々と言い放てる言葉。
「そんなにいちいち確認しなくちゃいけねぇ程、俺とお前は仲良くないってのかよ」
「……っ! ……そうだね、そうだったね」
それまでに何と言われようが、どうでもいい。たった一人の
「……残念だけど千鳥川さん、こんな僕でも親友の一人くらいはいるよ」
「あらそう、意外ね。というより、そんな人ぐらいしか友達になってくれなかったのかしら?」
あくまで余裕を保ったまま冷ややかな声を浴びせる千鳥川の前に、友達を馬鹿にされて怒りを露わにする神村が立ち塞がる。
「わりぃな。こんな人だからテメェみたいなお高くとまって友達選びそうな勘違い女とはお友達になれそうになくてよ」
「別に馬鹿になんてしてないわ。貴方のような人間とわざわざ親交を深める理由が無いってだけよ」
「けっ、テメェみたいな調子こいた奴に吠え面かかせるのが愉坂の得意技だからな。楽しみに待っとけよ」
一組対五組。ここで決定的な溝が生まれてしまったのは、誰の目から見ても明らか。
「さっさとこんな下らねぇウォークラリー終わらせて、劇の練習やるぞ。エリートだかなんだか知らねぇが、負けた時の言い訳を楽しみに待ってるぜ」
「っ! ……だったら賭けてみましょうか。私達と貴方達の席を賭けて!」
神村の煽りが予想外に突き刺さったのか、頭に血が上った千鳥川はとんでもない勝負を仕掛けてくる。
「明日の発表会で負けた方のクラス長と副クラス長に、この学校を自主退学してもらいます」
「っ!? ちょっとあねさんカッカしすぎやて!」
「黙りなさい猫川。これは互いの将来、そしてプライドをかけた勝負なのだから」
「ケッ、おもしれぇ。その話乗ってやるよ」
「ちょっと神村君何勝手に――って……まっ、いいよ。やろうか」
相方の暴走を止めようとする猫川に対し、相方の意地に乗っかる愉坂。こうしてその場にいた二組のクラス長副クラス長を放置したまま、とんでもない戦いが始まろうとしている。
「……ふん、どうなろうが知ったことではないが、この戦い、この氏波竜平が最期まで見届けてやろう」
「むしろわたし達も勝負に混ざらなくて良かったの? 氏波」
「ばっ! 何を言っているんだ! こんなところで総理大臣への道を賭けの対象にしてたまるものか!」
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