第七章 一年五組クラス長 ― ライオン = 愉坂善治郎 その1

「後片付けも終わったことだし、急いで広場に集まらないと」

「この後は何があんだっけか?」

「行けば分かるよ」


 食器類の返却という雑務を終えた神村の疑問に対して、答えるまでもないといわんばかりに愉坂は腕時計で時間を確認ながら広場の方へ顔を向ける。


「行けば分かるって……その前に知りてぇから聞いてんだろ」

「まあまあ、着いてからのお楽しみの方が良いかなって」


 そうして愉坂は最後に自分のクラスの全ての班の後片付けのチェックに取りかかり、そして神村にも手伝うようにお願いをする。


「テーブルの拭き残しとかないかもしっかり見ておかないと」

「面倒くせぇ……」


 文句を漏らしながらも一緒にせっせとテーブルと椅子一つ一つを見て回り、愉坂ほど丁寧ではないものの頼まれた分のチェックを終えた神村は、今度こそ次の予定を聞こうとしたが――


「あっ、やば! ちょっと走っていかないと間に合わないかも!」

「流石にクラス長が遅刻はまずいか?」

「それは副クラス長も同じだってば! ほら、早く行くよ!」


 結局は広場に行かなければ何も分からないと、神村は胸にモヤモヤとした感情を秘めたまま広場の方へと走って向かう羽目となった。


「よかった、今度はきちんと並んでくれてるみたい」

「お前達、時間内とはいえ少し遅かったな」


 広場に到着するのと同時に、偶然にも同じく一年の前に立とうと動き出した皇城に愉坂は見つかってしまう。


「どうした? 何かトラブルでもあったのか?」

「いえ! そんなことではなく、調理実習で使わせていただいたテーブルを最後にチェックしておこうと思いまして!」

「……そうか」


 元気よく答えてみせる愉坂に対して、皇城はどこか思うところがあるような、歯切れの悪い言葉で愉坂との会話を打ち切った。


「……いや、えっ? 変なこと言いました僕?」

「別にそういう訳ではない。気にするな」


 意味深長な態度を前にして、愉坂のいつもの元気に揺さぶりがかけられる。


「うっ……僕、何か会長怒らせちゃったかなぁ?」

「知らね。別にどうでもいいだろ」

「良くないから!」


 本来であれば次のイベントに向けてまた劇場を仕掛けていくつか提案をしようとしていた愉坂だったが、ここでは大人しく前に立つ会長の話に耳を傾けることに。


「全員揃ったか、ならばよし。今からこの森林一帯に広がる自然公園を利用したウォークラリーを開催する! 流石に下手に遭難されても困るからな、地図はこちら側で用意させて貰った」

「なんだ、ただ歩き回るだけか」

「ただの自然散策だと思うな。当然ながら山道を歩くんだ、危険もある」


 とはいえチェックポイントを目指して歩くだけという中学時代に適当にこなしたことの二番煎じを感じていた神村にとって、ここまではなんの不安も覚えることはなかった。


「それでだ! ここでは一旦クラスというものを忘れて、諸君等一年生という括りで活動をして貰おうと思う!」

「あぁー、やっぱり……」


 どこで情報を掴んでいたかはさておき、ここで愉坂が提案してなんとしても話を変えたかった部分が会長の口から皆へと告げられる。


「条件は三つ! 一つは三人組を作って貰うこと! 二つ目はそこに知り合いや友人を交えることを禁ずる! 諸君等の行動は一日を通して観察させて貰っている! だいたいの交友関係は既に把握しているから、こちらの目を誤魔化せると思わないように! そして三つ目が――」


 ――その三つ目こそが愉坂にとって本当に回避したい条件であり、そしてその他大勢にとっても、状況の整理をせざるを得ない条件。


「――同じクラスの者と組むことは禁止する。前二つは難しいにしてもこれは明白であり、かつ絶対的な条件だ」

「んだよ面倒くせぇ。知らねぇ奴と歩き回るなんざお前は得意かもしれねぇが――って、どうした愉坂?」

「……っ、ん!? 別に何も!?」


 ここでまた突拍子もない提案でもするくらいの余裕があると思われていた愉坂だったが、神村の視線の先には明らかに挙動不審でいつもの雰囲気からは想像できないクラス長の姿があった。


「どうしたんだ? いつもの無茶ぶり提案でもしなくていいのか?」

「い、いや! 別にここでそこまでする必要はないかなーって!」


 まるで誰かのご機嫌取りの為に下手に出ているかのような態度の愉坂を目にした神村は、滑稽さを覚えたもののそれ以上は何も触れず、再び目線を前に立つ会長の方へと向けなおす。


「それでは早速だが三人組を作って貰おうか。それとも我々先輩側で決めてやった方がいいか?」

「っ! と、とにかく皆急いで三人組を作ってきてよ! 会長の手を煩わせないように!」


 愉坂にしてはらしくもない行き当たりばったりな指示。やはり何か様子がおかしいと神村は訝しんだが、まずは愉坂の言ったとおりに他のクラスの者と三人組を組む為にその場を離れていく。


「知り合いも友達も駄目っつっても、そもそも俺にこの学校で知り合いも誰もいねぇしな……」


 かといって待っていたところで、誰も金髪の少年に声をかけることなどないだろう。

 それは彼が三年生の前であろうと堂々と吠える獰猛なライオンだと知っているから。下手に関われば目をつけられる事を知っているから。自らに危険を及ぼしかねない存在に、わざわざ近づく者などいない。

 それこそ、よっぽど奇特なものがいない限りは。


「……まっ、いいか」


 植え込みの近くにあるベンチに腰を降ろし、神村は物憂げな目で次々と三人組ができていく様を一人見回す。

 最悪一人でも回ろうと思えば回れる。愉坂キツネという親友を封じられた神村ライオンは、久方ぶりの孤独を受け入れようとしていたが――


「――もしかして、暇?」

「……暇も何も、誰も組む相手なんざいねぇよ」


 神村の目の前に三度現れたのは、ぱっちりとした目で真っ直ぐとこちらを見つめる奇特な少女だった。

 高座千桜。小首をかしげて黒髪を揺らし、相も変わらずジッと目を見つめている。


「んだよ。お前は知り合い……に入るのか?」

「ううん。名前しか知らない。だから知り合いじゃない。セーフ」


 神村からの疑問に対して、高座は即座に答えを返す。

 この際なら別にいいか――というよりも、むしろある程度は雰囲気を掴めているからこそ彼女がいる方がマシかもしれないと、神村は邪推を内に秘めた状態であくまで組んでやろうというスタンスで高座に提案をしてみることに。


「……お前が良いなら、組んでやっても良いけどよ」

「組んでやる……? 組んで下さい、じゃないの?」

「ぐっ……痛いところ突いてきやがる」


 しかし高座の方はあっさりとそれを看破している様子で、逆にわざと一度突き放すような言い草で神村の本心を引き出しにかかる。


「それで、どうするの?」

「……チッ、分かったよ。組んでくれよ」

「くーだーさーい」

「……組んで下さい」

「うむ、よろしい」


 ふんす、と偉そうに鼻息を漏らす高座であったが、神村の方はこれで一安心といった様子で安堵の息を漏らしていた。


「ひとまず一人で回らずに済んだのはよしとするか」

「それやったらうちも混ぜて貰っていいかなー? 生憎こっちもひとりぼっちなのは嫌なんだよねー」


 ホッとしていたのもつかの間で、ベンチの裏にでも隠れていたのか、今度は神村の背後から耳元に声が届けられる。


「うおっ!? 誰だテメェ!?」

「そんなさみしいこと言わないで、うちも混ぜてーな。同じ副クラス長同士、仲良くやりましょ」


 怪しさ満点の笑顔を携える猫系少女、猫川愛鈴。一年一組の副クラス長を務める彼女もまた、知り合いじゃない人との三人組に苦戦しているような雰囲気を醸し出している。


「うちってなーんか避けられてるみたいなんよ。あんさんみたいに怖いこともしてないのに」

「その胡散臭い口調で怪しまれてんだろ。生憎だが俺もテメェを信用できねぇ」


 最初の通常議会で行われた自己紹介を耳にしていた神村は、自分のことを棚に上げておいてそう言い放つ。


「信用できないって……そもそもその辺のギクシャクした関係をなくして一年生同士仲良くするのがこのウォークラリーの目的でしょうに」

「そうかよ。だったら俺よりも愉坂の方に行ったらどうだ?」


 神村としてはこれ以上相手をするのが面倒な人間を増やすことを拒んでいたが、猫川の次の言葉が耳に入ってしまい、見事猫川が垂らした釣り針に引っかかってしまうことに。


「心配しなくてもそっちはうちのクラス長が“ちょっかいかける”予定だから気にしなくててええよー」

「んぁ? どういうことだ?」

「まあまあ、このウォークラリーも普通のウォークラリーな訳ないでしょって話ですわ」


 一年生同士、クラスを越えた交友関係の構築――それはあくまで会長側が目論んでいる表の目的。しかし既にこのウォークラリーの情報を握っている一部の生徒にとっては、これをいかにして己が目的に利用できるかという裏での暗躍に利用されていた。


「あんさんとこのクラス長、うちの見立てだとここでまたぶっ込んでくると思ってたけど、意外にも大人しかったら肩透かしやったな。まっ、うちらとしては何を提案されようと今度こそは封じるつもりやったから好都合といえば好都合なんよね」

「そうかよ。だったらなおさら組む気が失せるな。あいつを陥れようとする奴と手を組むなんてよ」

「でもここで組まなかったらそもそも今回のうちらの計画すら推し量ることもできんけど?」


 神村がここで懸念していたのは、猫川に対して下手な発言をしてしまい、後々に揚げ足を取られたりすることで愉坂の足を引っ張ることだった。しかし猫川はそんな神村を自分のホームグラウンドに引き込む為に更に説得を重ねる。


「あんさんが失態犯さんくても、他の誰かが喋っちゃったら意味ないで? それよりも目の前のカワイイ女の子とお喋りしてぇー、あわよくば一組の情報とか聞き出せちゃった方がお得感がしない?」


 ただし情報を引き出すには猫川との腹の探り合いに勝つ必要がある。失敗すれば、逆にこちら側からこぼれ話をポロリと漏らしてしまう可能性すら存在する。神村にとってはハイリスクであり、ハイリターンでもあるように聞こえた。


「…………」

「まっ、無理強いはせんけど。うちかて気まぐれに声かけただけやし」

「えっ、組もうよ。わたしも一組のこと知りたいし」

「おっ? そっちは乗り気みたいやね?」


 訝しむ神村とは対照的に余裕があるとでもいうのか、はたまた何か考えでもあるというのか、高座はすんなりと猫川の提案を受け入れようとしている。


「まさか、こいつと組む気かよ?」

「うん」


 営業スマイルの猫川と、相変わらずキョトンとしながらも真っ直ぐな目を見せる高座の二人の交互に目を向けつつ、神村はさてどうしたものかとベンチに座ったまま腕を組み足を組む。


「……なーんかお前ら組んでたりしないか?」

「ん? あぁ、それは心配しなくて問題なし! うちとしてはあんさんとお話しすることが目的やし、それ以外は“どうでもいい”から」

「ふーん……わたし“は”神村と組みたいんだけど」

「……ねーさん“は”、神村君と組みたいんやね?」

「そうだけど?」


 疑問を呈した当の本人をそっちのけにして、猫川と高座による謎の対立が始まろうとしている。


「いや、別に何か仕組んでいたりしてねぇなら別に良いんだけどよ」

「大丈夫だよ神村。わたしが守ってあげる」

「いやいやいや、守るって普通男女逆やろ! それにうちかて別にとって食ったりしませんって。ていうか二人とも、まさかこの短時間で親交深めちゃってたりするん?」

「そんな訳ねぇだろ。名前しか知らねぇってのに」


 茶番はさておき三人組ができたということで連れてウォークラリーの受付に向かうべく神村が立ち上がる。すると丁度タイミングが重なっていたのか、神村が気にかけていたクラス長が同じく三人組を組んだ様子で受付の方へと向かっていく姿が目に映る。


「……ん? あいつももう組んだのか」

「うんうん、予定通りに組んでくれたみたいやね」


 先頭で率いるのは一組のクラス長こと千鳥川習子。威風堂々、長い髪を靡かせて早足に受付の方へと向かっていくその姿は、まさに人を引っ張っていく存在として相応しい姿に見える。

 そんな千鳥川の後をついていくは二組のクラス長氏波と、意外にも千鳥川とはやり口が異なるものの人を引っ張るのが得意なはずの愉坂の姿だった。


「はぁー、他の組のクラス長を引き連れて行くお姿、まさに未来の指導者として相応しいお姿に違いありませんわ」

「むぅ、主導権握られるなんてダメじゃん氏波」


 副クラス長としてそれぞれ自らの長を評する二人。対する神村が気がかりとしている愉坂の姿というと、クラス長としての姿ではなく愉坂本人としてのらしくない姿だった。


「……あいつ、大丈夫かよ」


 表面上は最低限取り繕って元気を装っているが、それは内に秘めた不安の裏返しだということを、この場にいる何人が知っているだろうか。

 現時点でそれに気がついているのはごく一部、その中には愉坂が親友だと誇る神村も含まれていた。


「あいつがヘマやらかすとは思えねぇが……」

「ほら、クラス長達も受付済ませたみたいやし、うちらもいこう」


 一抹の不安が残ったままであるものの、かといって自分がヘマをしでかしてはお話にならない。一時的に愉坂の事を忘れることで、神村は自分自身のことにまず集中するよう気持ちを切り替えることにした。


「すいませーん、この三人でウォークラリー回ろうと思うんですけど」


 クラス長に釣られるように自分も引っ張っていこうと、猫川は早速受付に立つ三年生にウォークラリーの申し込みを行う。


「ふむ、クラス長同士、そしてこちらは副クラス長同士ということか。面白い」


 この時受付に立っていたのは、現生徒会会長の皇城王臥。そして――


「別に狙った訳じゃないんだけどな」

「会長に向かってそのような口をきくな」


 この時の神村の小さな悪態も逃さずに注意したのが、皇城の横に立つもう一人の受付役であり、そして現生徒会副会長でもあり神村と少なからず因縁のある加賀慶一だった。


「ケッ、誰かと思えばあんたも来てたのか」

「なんだ貴様は。初対面だというのに随分な物言いだな」

「はぁ!? テメェ何言ってやが……って、まああんたにとっちゃ俺はその程度だったってことか。しゃーねぇ」


 東京中の不良が集まって大乱闘を起こしたとされる“渋谷大乱闘”。そこで加賀と神村は一度出会っていた筈の認識だったが――


「――“渋谷大乱闘”。結局全員を叩きのめしたあんたにとっては、俺もその有象無象の一人だったってことか」

「なっ! 貴様……!」


 キーワードを聞くなり加賀の方も目の前に立つ格下の不良が何を知っているのかを悟り、そして今にも肩書きを捨てて口封じをしようと拳を握りしめる。


「この野郎……っ!? 会長!?」


 しかし今の自分を一番理解している者によって拳は抑えつけられ、とっさの凶行は遮られる結果に。


「へぇ、あんたみたいな奴が意外にも人の言うことを聞くなんて意外だな」


 現生徒会会長に間に割って入られてもなお挑発を続ける神村だったが、それも射殺すような視線によって、それ以上は何も言えない雰囲気となってしまう。


「…………」

「……けっ、あんたには興醒めしたよ」

「お前達の間にどんな因縁が知らないが、ここは未来を担う若者を育む学校だ。暴力で全てを解決する所ではない」


 明らかに加賀よりも腕力は劣っている。しかしそれ以上の力を、会長であるこの男は持っている。

 神村は皇城の一言一句に乗せられたその言葉の力をよく分からないままに感じ取りながら、加賀と同じくその場は手を出すこともなく受付を離れていく。


「……うーん、ちょっとは面白そうやと思ったけど、そんじょそこらのチンピラと変わらんかもしれんなぁ」

「そうかなぁ?」


 この短時間で神村の底が見えたとでもいうのだろうか、猫川は期待外れといった様子で眉をしかめて神村の後ろ姿を見つめる。対する高座はというと首をかしげるばかりで、ある意味ではまだ神村のことを見限っているようではなかった。


「こんなんやったらまだ三組四組に探り入れた方がよかったかもしれんなぁ」

「だったら今からでも混ざってこいよ。俺は一人でも回ってやっからよぉ」

「げっ! 聞こえとったんか」


 親睦を深める筈のウォークラリーが、既に険悪なムードを抱える二人。そんな二人をおいて高座はのうてんきにも先に進み始める。


「おいてくよー」

「ほ、ほらっ! ねーさんもあんな風に言ってるし先に急ぎましょ!」

「チッ、後で覚えてろよ……」


 不機嫌な印としてポケットに手を突っ込んだ状態で歩き出す神村の後ろ姿を見て、同じく不機嫌さを露わにして腕を組む加賀。


「……あ、あのー」

「あぁ?」

「ひぃっ、ご、ごめんなさい!」

「加賀! きちんと受付の応対をしろ!」

「……すまん」


 神村も、そして自分の右腕である加賀もまだまだだと首を振ると、皇城は気を取り直してウォークラリーの受付の続きにとりかかる。


「……お前達二人はライオンのように強い。だが群れを、皆を率いる為にはそれだけでは駄目だ」


 孤独なライオンには、相棒たり得るキツネが必要だ。そして孤独なキツネにも、同じように――

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