第六章 ライオン + 退っ引きならない事情 = ライオン
「はい、リピートアフターミー。ああロミオ、どうして貴方はロミオなの?」
「ちょっと待て、流石の俺でもそれは違うって分かるぞ」
「ちぇっ、ちょっとは乗ってくれてもいいじゃないか」
二日目の昼。この日はクラス内で班に分かれてのカレー作りという、結束を固める為の調理実習が行われていた。
施設から離れた場所にある、木漏れ日の下の掘っ立て小屋。そこに備え付けられている昔ながらのかまどを使っての料理の経験など、愉坂達のような高校生にとって初体験となるものだった。
「しっかし余計なことを言いながらも手は動いているから余計に腹立つわ」
「クラス長を任されているんだから、これくらいできないと」
エプロン姿で包丁片手に人参やジャガイモの皮むきを素早く済ませていく愉坂の手際の良さは目を見張るものがあるが、ここで褒めてしまえば図に乗るのは明らかだと分かっているからこそ、神村はわざと悪態をつく。
「絶対クラス長と関係ないと思うけどな」
「まあまあ。それより早くタマネギ切ってよ。こっちはそれ待ちなんだから」
「それぜってぇ俺を泣かせたいだけだろ」
「さあ? それより向こうも火をつけ始めてからだいぶ経つから、そろそろこっちも準備を済ませないと」
そういう愉坂の視線の先には、苦労して着けた火を消すまいと必死に空気を送るクラスメイトの姿が。
「ったく、さっさとタマネギも切っちまえよテメェがよぉ」
「はいはーい」
手際よく野菜類を切っていく愉坂と、その隣で切った野菜を鍋に投入していく神村。息が合っているのか合っていないのか、傍目にはよく分からないものである。
「ふーん、他のところは肉だけを炒めているみたいだけど、ここは先に野菜まで全部切っちゃうんだね」
ふと顔を上げた愉坂の目線の先に、見覚えのあるサイドテールがたなびいている。
「これはこれは、稲山先輩じゃないですか。味見ならもう少し待っていただけると――」
「それより良いのかい? 君の相方がとんでもないことをしようとしている気がするけど」
各班の様子をのぞき見に来ていた稲山が笑みを浮かべつつも横やりを入れてくるが、その内容は実に
「もしかして、具材を入れる順番を伝えてなかったりする?」
「……あっ! 神村君!」
「んぁ? とりあえず全部入れて問題なかっただろ?」
「あぁー、この様子だと当たりって感じかな?」
気づいた時には時既に遅し。神村の手によって大鍋に肉や野菜が大雑把に全て投げ込まれ、それが勝手な独断だと知らないクラスメイトが一生懸命に炒めている光景が愉坂の目に映ってしまう。
「うわぁ!? 手順を聞かずに全部入れちゃってるし! ……まぁ、なんとかするけどさぁ」
元々料理などには疎い神村を鍋との中継役にしてしまった愉坂の単純なミスであったが、ここから挽回するのがクラス長。
「仕方ない、こうなったら気合い入れて炒めないと」
「しっかし全部入れちまって大丈夫だったのか?」
「全部入れた後にそれ言っちゃうかな……はぁ」
大きな鍋に大量の具材。となればかき混ぜるのにはそれなりの力が必要になる。
「――というわけで、責任をもって神村君が混ぜるように」
「あぁん!? なんで俺が――」
「考え無しに全部鍋に投入したのは一体誰だろうねー?」
「そう言われればそうよね。まっ、材料を入れる順番を聞きそびれたといっても、力自慢が必死にかき混ぜればまだフォローできるだろうし」
既に同じ班のクラスメイトをも味方につけた賢い
「分かったよ! やりゃいいんだろやりゃあよぉ!!」
半ばやけくそになってガタンゴトンと音を立てて大鍋をかき混ぜる神村をよそに、愉坂は改めて稲山の方を振り返って用件を伺う。
「それはさておき。一体どんな用事ですか」
「ん? 私は別にキミ達がどんなカレーを作るのか興味があってね」
「それはついでですよね? 本題は何ですか?」
まずは世間話でもと思っていた稲山であったが、愉坂は愉坂で神村とは違う面倒くささをここで知らされることになる。
「キミもせっかちだねぇ。もう少し女子との会話を楽しんだらどうなの?」
「ごめんなさい、僕はそういったことには疎くて。今度勉強しておきます」
営業スマイルをしながらも、会話の中身は稲山の提案を拒絶している。それはある意味政治の世界でいう、“前向きに検討する”という言葉と同じ意味なのかもしれない。
「……はぁ、キミってば結構強敵だね」
「まさか! 僕が先輩の敵になる訳ないじゃないですか! 僕は尊敬する先輩と同じ組で光栄に思ってるくらいなんですから!」
愉坂はあくまで自分はただの後輩であると言い張っているが、それも次の話題転換でもって打ち消されることになる。
「まあいいや。じゃあそんな尊敬する先輩に対して、こういうことは止めて貰えるかな」
そうして愉坂の目の前に掲げられたのは、二枚の写真。どちらとも誰かを監視しているか、あるいは隠し撮りをしているような私服の男の姿。
「なんですかこれ?」
「とぼけなくてもいいっての。これ、キミの雇った人でしょ?」
男の視線の先には、写真には写っていないもののどちらの方角にも稲山がいる。そしてこれはそれを完全に別角度から撮った写真ということになる。
「…………」
「これ、尊敬する先輩に対してやることかな?」
「……はぁ、流石は先輩。一枚上手でしたか」
観念した様子で首を振る愉坂だったが、それが稲山の苛立ちを余計に加速させていく。そしてそれはそのまま責め立てる言葉となって愉坂へと向かっていく。
「キミさぁ、こういうのって常識的にやっていいことだって思ってるの? 他人のプライベートを盗み見るようなことしてさ」
――しかし愉坂の言葉一つで、それまで責め立てていた言葉がそのまま稲山へと返っていくことになる。
「でもその盗撮行為自体、先輩の
「……っ!」
「言ったじゃないですか。僕は先輩を尊敬してるって。結構好きなんですよ、“事なかれ主義”」
愉坂の喧嘩を買うこと。それすなわち愉坂劇場の壇上に演者として上がってくるということ。稲山は感情にまかせて、自分が上がったステージが何だったのかに気がついていなかった。
「…………」
「急に黙りこくって貰っては困るんですけど……まあいいや、今度はこっちから質問いいですか?」
手早くタマネギをきざみ終えた愉坂は、神村に皿ごとそれを渡して、ようやくといった様子で本腰を入れて稲山との対話を始める。
「この“事なかれ主義”、僕も結構見よう見まねでやっているんですけど、先輩のおっしゃるとおりこのやり方はかなり邪道ですよね。特にこのSNSから情報を集めるなんて、それなりにその道に詳しくないといけないというか、調べるポイントが他と違うというか――」
「っ、この話はもう終わり! ハイお終い!」
バンッ! と突然話を打ち切って帰ろうとする稲山の背中に向けて、愉坂は更に話をしようと問いかけるが――
「待って下さい先輩! まだそれを始めたきっかけを――って、話す訳ないか」
もっと問い詰める様に見えて、稲山がその場を立ち去るなり愉坂はあっさりと諦める。
そしてそれまでの光景から目をそらさせる為にわざと間違えを重ね、そして自慢の力技でクラスメイトの注目を集めていた神村が愉坂のすぐ傍に立つ。
「これでよかったのか? 俺はともかく、お前まで喧嘩売っちまってよ」
「まさか、今のが喧嘩な訳がない。今のはただの“撒き餌”だよ」
「その撒き餌の為にカレー作りを潰す価値があったか? ちゃんとした美味い飯を食うのも結束には必要だってさっき会長も言ってたのによ」
「そこまで力を入れる必要はないと思うよ。だってもうクラスの皆とは友達になってるから――痛っ!?」
普通の人間であれば、どこでどう人脈が繋がっているかも分からない資産家の御曹司に拳骨などくらわせはしないだろう。しかし神村和水という恐れ知らずのライオンにとって、人間関係と食材を雑に扱った者に別け隔てなどなかった。
「ったく、何の為か知らねぇが飯作りで遊んでんじゃねぇ。それに友達だってんなら余計にちゃんとしろ」
「お、親父にもぶたれたこと! ……無いわけじゃないから別に良いけどさ、君の場合本当に洒落にならない痛さなんだよなぁ、って無視されちゃったし」
頭を何度もさすりながら愚痴る愉坂をよそにして、神村は再び同じ班のメンバーの手伝いに加わってカレーの仕上げに取りかかる。
小皿によそって一口。味を見る限りでは特に問題なく食べられるように思える。
「ちょっと手順間違っちまったが、まずくはねぇな」
「どれどれー? ……うん、確かに美味しいね。まっ、僕の手順通りに作っていればもっと美味しかったんだけど」
「だったら今からでも一から作り直すか? テメェ一人でよ」
「おっと、それは勘弁」
神村の脅しを前にしてもひょうひょうとした様子で愉坂は皿に盛り付けを始める。こうしてようやく昼食の時間となる訳であるが――
「――そういえば先輩の分も用意しないと!」
「お前さも今思い出したみたいな雰囲気出してるけどバレバレだからな」
「まあまあ、それはさておき。僕はクラス長としてしっかりと先輩の分をお運びしてくるから先に食べててよ!」
「あっ、おい!」
ここまで全て愉坂劇場延長戦の筋書き通り。その場を神村に放り投げるように任せて、自身はというと自分の分のカレー皿も含めて二人分のカレーを両手にスキップするかのようにリズミカルに去って行く。
「いーなやーませーんぱい! どこにいますかー?」
森の中を両手にカレーをもってスキップする様は傍目に見てとんでもなく滑稽に思えるが、本人はそのピエロ具合も含めてわざと行動を起こしている。
「……本当にどこ行っちゃったんだ?」
愉坂は首をかしげて辺りを見回すが、他の班の食事光景が目に映るばかりでそこに稲山の姿はない。
「まさかまさかの他のクラスに……まあ、そこまでは無いと思うけど」
とはいえいくら鋼の心臓を持つ愉坂でもこれ以上演じる必要はないと判断、元のテーブルへと戻ることに。
「たっだいまー! 結構探したんだけど先輩が見つからなくて……って?」
「ごめんごめん、先にいただいてるよ」
「運が悪かったな。丁度入れ違いでこっちに来たぞ」
「ぐぬぬ……しかももう食べてる途中だし……」
敵と分かればもう容赦する必要など無い。この後昼食をダシに一対一の状況に持ち込もうとする愉坂の考えなど、稲山にとって既にお見通しだった。
「でも本当に凄いね神村君。あれだけのミスから殆ど味に問題ないくらいにリカバリーできてるし」
「そうか? まあ俺は飯が食えるなら味はそこまで気にしないけどよ」
「でも本当にこれよくできてると思うよ? ……それはそうと、ちょっと噂で聞いたけどお家の方結構大変だってね。だとすれば聖学に入学できて本当に良かったと思うよ。この学校、卒業さえできれば色んな進路が開けるから、きっとお母さんの方も楽になると思うよ」
そしてこれぞ本家本元といわんばかりに、稲山永実理は他人の素性を調べた上での懐柔術を、神村を相手に発揮しようとしていた。
「そうか? バイトしてた方がマシだったって今のところは思えるけどな」
「ちょ、ちょっと神村君。先輩の話術に釣られて――」
「そんなこと無いと思うよ。バイトで稼ぐ三年間のお金なんて、ここを出てから稼ぐお金に比べればさ」
「おーい、聞いてますー?」
「ここまで無視される愉坂君初めて見たかも……」
「というか、カレー二皿もって歩き回った挙げ句これはちょっと可哀相かも」
――完全に蚊帳の外に追いやられてしまった愉坂は、遂には同じ班のメンバーからも同情を買われる始末。
対する神村はというと自分の素性を調べられているにも関わらず、それに気がつくことなく身の上話に花を咲かせている。
「だとしてもやっぱりバイトの一つくらいしておいた方がいい気がするんだよなぁ」
「そう? だったらバイト許可申請したらどうかな? なんなら私の方からも推薦しておくけど」
「マジで?」
「うん、マジで」
初対面では険悪な雰囲気だった二人が、いつの間にか先輩に頼る後輩という理想的な関係に変わりつつあるという巧みな
「それはダメだってば!!」
そうしてもう少しで相方が完全に堕とされるところを、愉坂はそれまでのキャラに似合わない大声でもって牽制する。
「神村君は副クラス長、つまり僕の相方なんです! バイトなんてしちゃったらクラス運営に支障が出てきてしまいます!」
――そしてまさにこの瞬間、愉坂は稲山の垂らしていた本命の釣り針に引っかかることになる。
「でも自分の生活を犠牲にしてまで身を捧げるなんて、もっと大人になってからでもいいんじゃないかな? それとも神村君の家庭事情なんてどうでもいいってこと?」
自然な笑みを交えての優しい提案。しかしその裏には愉坂に対する倍返し以上の仕返しを企むという、稲山の腹黒い本心が見え隠れしている。
そして何より忘れてはいけないのは、この場にいるのはクラス長副クラス長だけでは無いという事。
「へぇー、神村君の家って結構大変なんだ」
「実は私のところも結構大変なんだよねー。まあ、私の場合バイト申請も出すからなんとも言えないけど」
このまま神村を副クラス長として起用し続けることを断言すれば、それすなわち
極限の二択をさりげなく仕込む稲山の狡猾さを、この時の愉坂は身をもって知ることとなってしまった。
「っ、そういう訳ではないです!」
「じゃあどういうつもり? ここでしっかりと方針を言わないと、他のクラスメイトにも示しがつかないんじゃないかな?」
逃げ道など与えるつもりなど一切ないという、稲山の鋭い追撃が愉坂の言葉を詰まらせるが――
「――その辺にしておいて貰っていいか? 先輩」
「おや? 私としてはキミのことを思っていったつもりなんだけど」
それまで完全に話術にのまれていた神村が、ここにきて稲山にストップをかける。てっきり完全に話術で堕とされていたと思っていた稲山にとって、この状況はまるで想定されるものではなかった。
「実際キミの家は結構苦しいでしょ? だったらクラス長としては他にも――」
「そのクラス長が俺を副クラス長に任命したんだ。だったら俺は黙ってこなすだけだ」
「…………そこまで言い切っちゃうんだね」
急に態度が一八〇度変わった神村を前にして、稲山は目を丸くした。ついさっきまでバイトをしようか迷っていた少年とは違って、一切の迷いが無くなった副クラス長を前に、稲山は次の言葉を失ってしまう。
「俺は愉坂にデケェ借り作ってんだ。バイトされるのが困るんだったらしねぇし、副クラス長を最後までやれってんならやってやるよ」
「……ふーん、そっか」
意外な形で仕掛けた罠が不発に終わったことに不満を覚えながらも、稲山は残ったカレーをササッと食べ終えて席を立とうとする。
「ご馳走様。カレー、中々美味しかったよ」
「そりゃよかった。後片付けは……こういうのも後輩がやるんだっけか?」
「ううん、今回は私がやっておくよ。美味しいカレーを食べさせて貰った分、自分の皿くらい洗わせて貰おうかな」
そうして稲山は愉坂と神村を残して自然とその場を離れ、二学年の集合予定時刻に間に合わせるべく手早く皿を洗い始める。
「……ありがとう」
「何がだよ気持ちわりぃな」
「いや、ただ助かったって思っただけ」
義理堅い
だからこそ愉坂は、神村の存在に心から感謝の言葉を漏らしていた。
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