第五章 (キツネ+キツネ) ≧ ライオン その1

「いぃいい! 日に焼けてヒリヒリする! これじゃあタオルでこすれないじゃないか!」

「大人しく日焼け止め塗ればよかっただけだろ。調子こいてかっこつけやがって」


 林間学校に備え付けてある大浴場にて、裸一貫のお付き合い――というには少々騒がしすぎるものがそこにある。


「全くだ。外で集団訓練をするというのなら直射日光に晒され続けるに決まってる。その点俺はきちんと日焼け止めを塗っているから、このように美しい素肌を――」

「ガリハゲの白いデコなんざ誰が興味持つかよ」

「んぅうっ! おっ、お前こそ! ……お前こそズルいではないか! 何だその引き締まった肉体は!?」

「わりぃな、不良やってりゃ否が応でもそれなりに鍛えられるからよ」


 指定された時間内での入浴。この時間帯で許可を受けているのは一組と二組、そして五組の男子生徒。

 そして神村、愉坂、氏波という順番で、クラスを纏める役割を担う者同士、特に意図する訳でもなく洗い場にて隣に並んで座っていた。


「そういえば氏波君は覗きグッズを準備してきたんだっけ?」

「ばっ、何を言っているのだお前は!?」

「えっ、君の鞄から見えたカメラってそういうことじゃなかったの?」


 泡立てたシャンプーで頭を洗いながら、愉坂はまるで世間話でもするかのようにさらりと爆弾発言を氏波にぶつける。


「残念だったなガリハゲ。ここは仕切り一枚どころか天井まで壁で封鎖されてるみてぇだ」

「だーから、この二組クラス長という立場の人間が持ってくる筈がないだろう! あれは本来この近辺の景色を撮る為のものだ!」

「女湯も景色の一つってこと?」

「そんな訳ないだろう! 馬鹿かお前達は!?」


 口では勝てないと半ばやけくそになって愉坂にシャワーを浴びせる氏波であったが、運悪くその後ろで口を出すだけで大人しく髪を洗っていた神村にまで水をあびせてしまう。


「うわっ、しまった!」

「……折角俺が丹精込めて泡立ててたってのによぉ……!」

「す、すまない神村! お前まで巻き込むつもりは――」

「うるせぇ!!」


 シャワーの水かけのお返しとして、神村は既に水の溜まった桶を振り被っている。


「くたばれボケッ!!」

 ボコォン! という鈍い音と共に辺りに水がまき散らされ、氏波は一瞬にして気絶させられる羽目となった。


「ったく……クソッ、最初からやり直しじゃねぇか」

「そんなに泡立てるのって大切?」

「あぁ? 大事に決まってんだろ。こんなこともあろうかと髪に優しいマイシャンプーまで持ってきたってのによ……」


 元々身だしなみにはそれなりに気を遣う方なのだろう、神村はそれ以外にもタオルやボディソープなど、施設のものは殆ど使うことなく私物だけで入浴を済ませようとしている。


「やっぱりシャンプーとか考えないと、染めた髪が傷んじゃったりするの?」

「そうだな……染めてから最初の二日間は髪が洗えねぇ」


 髪を染めるという行為からほど遠い立ち位置にある愉坂にとっては初耳の情報であり、加えて人並みには綺麗好きな彼にとって、二日間の洗髪禁止は到底信じられるものではなかった。


「えぇっ!? それって汚くない?」

「染料が水で流れちまうんだよ。その後も考えて頭洗わねぇと――」

「ふはっ!? ここはどこだ!? 天国か!?」

「残念だったな、ここは風呂場だデコハゲ」

「あれだけクリーンヒットしたのにもう起きたんだ……」


 氏波が無事に起き上がったところで、愉坂と神村は先に浴槽へと肩まで浸かっていく。


「くぅー……さっきよりマシだけどまだヒリヒリする……」

「日焼けくらいでヒーヒー言ってんじゃねぇ。焼けた鉄棒でぶん殴られてから文句言え」

「一体どんな人生を歩んだらそんな目に遭うのさ……」


 中肉中背の自分とは違って、それなりの修羅場をくぐってきた証拠でもある古傷が残る親友の身体を、愉坂はじろじろと見つめる。


「それに下の方も……」

「下って……ハァ!? どこ見てんだテメェ!?」


 自分にそんな趣味はないと、それまでオープンにしていた股を閉じる神村。しかし既に愉坂の脳裏には記憶されている。

 ――人並みならぬ大きさのそれを。


「その凶暴なアレで一体どれだけの女の子を泣かせてきたんだか」

「泣かせてねぇって! お前この短時間でのぼせたのか!?」


 氏波という遊び相手がいなくなったことで行き場を失った矛先が何かを捉えたのか、今度は神村に向けて爆弾発言が投げつけられる。


「ちなみに初めての相手は誰なの?」

「テメェッ、何言ってんだ!」

「えぇー!? もしかして神村君、そんななりして童貞なの?」

「はぁっ!? て、テメェこそ何言ってんだこの野郎!!」


 あまりの発言に神村は立ち上がり、自分は防衛の為にと腰にタオルを巻き直して湯船に浸かる愉坂を見下ろして叫ぶ。

 流石に騒ぎの内容も声の大きさも周りの注意を引いたのか、神村が童貞か非童貞かで周囲でも論争が始まる。


「あれだけ普段から堂々としているし、しかも不良だし絶対違うだろ」

「いやいや、ああいう奴に限って実は……」

「何だ何だ? 俺の知らない間に面白いことになっているようだな」


 遂には身体を洗い終えた氏波までもが参戦してきたところで、全員の視線が神村へと集まる。


「やっぱりああいうワイルド系に女子って惹かれるんだろうな」

「でもそれで童貞だったら俺達の仲間だぜ? そっちの方が良いじゃないか」

「さあどうする神村君! このまま黙秘を続ければ、いずれにしてもありとあらゆる噂が――」

「っ、黙れっつってんだろこの童貞野郎共が!!」


 あまりの騒ぎように怒りにまかせて吐いた暴言だったが、それがまさに相手が待っていたキーワードだった。

 三秒という長いような短いような沈黙が過ぎ去った後、愉坂と氏波はまんまと策にハマったとばかりに芝居がかった会話を始める。


「……今の発言聞きましたか氏波刑事」

「ああ。ハッキリ聞いたぞ愉坂裁判長」

「……何が言いてぇんだ」

「この場にいる全員を童貞だと断言する……それってつまり、裏を返せば自分はそいつらとは違うという意味じゃないでしょうかぁー?」

「っ!? テメッ、バカか!?」


 探偵のように頭に手を当て、わざとらしく犯人かむらの周りを歩き回る愉坂。そして同じく曇った眼鏡を頭の上に乗せた氏波が、まるで尋問をするかのように両腕を組んで目の前に立ち塞がる。


「さあ、大人しく白状してもらおうか! できれば初体験までどうやって漕ぎ着けたのか、事細かに――」

「お前達! そろそろ三、四組と交代の時間だぞ! 早く上がってこい!」


 何というタイミングであろうか。大多数にとっては悪いタイミング、しかしたった一人の少年にとってはナイスタイミング。


「……ハッ、アホくせぇ。後のグループが来るからさっさと上がるぞ」

「ちぇー、もう少しで白黒ハッキリついたのに」

「ふん、悪運の強い奴だ」


 脱衣所にて素早くジャージに着替えを済ませ終えると、神村は入れ替えで与えられた残りの時間でクラスで集まる大きなホールへと移動しつつ、考えを巡らせていた。


「くっだらねぇ……しかしあと二日は無駄な追及を回避しなくちゃいけねぇのかよ」


 急いで出てきたせいか、本来ならばドライヤーを使ってきちんと乾かさなければいけない髪も、僅かに水滴が滴り落ちている。


「あぁクソ、髪乾かせてねぇし……」


 節電の為なのか廊下の明かりも少なく、屋内でありながらも薄暗い。それなりの準備をすれば、この場で肝試しもできるだろう。そんな薄気味悪い廊下を、神村は堂々と一人で歩いている。


「上も下も極端になれば先公が干渉しなくなるってか?」


 廊下を監視する者も見当たらない中で、神村は一人歩いていた。

 その背後に、そろりそろりと近づく影に気づかずに。


「そろーり……さわさわっ」

「おわぁっ!? って、この触り方は高座か!?」

「ご名答。覚えてくれたんだ」


 水も滴るいい女――ということわざが、神村の脳裏を過ぎる。

 彼女の場合もドライヤーを使わなかったのだろうか、振り返るとそこには神村と同じで僅かに水滴を滴らせている高座が、いつものようにぼんやりとした表情で立っていた。


「ごわごわしないね」

「そりゃそうだろ。ワックスもつけてねぇし」

「ふーん……そっちの方がさらさらしていて好きかも」


 相変わらず髪の毛にしか興味が向かないだろうか、高座はバレてもなお金色の髪を触ろうと手を伸ばそうとする。


「だから触るなって!」

「むぅ……ケチ」

「ケチも糞もあるか! だいたい二組テメェらは反対側だろうが! こっちは一組――」

「てめぇ、じゃない。高倉千桜」

「あぁん? だから――」

「高倉千桜。ちーはーる」


 テメェ呼びが気に入らないのか、高座は自分の名前を繰り返すことで神村に呼び方を強要しようとしている。


「っ…………」

「ちゃんと名前で呼んで。じゃないと向こうに行かないから」


 よほど名前で呼ばせたいのか、高座のあまりの強情ぶりに折れた神村は、深い溜息をついた後に二組の集合場所の方を指さして名前を呼ぶ。


「……高座は反対側だろ。いいからさっさといけよ」

「うん。分かった」


 妥協とはいえちゃんと名前を呼ばれたことで上機嫌になったのか、高座は少しだけ嬉しそうに声色を変えて神村の前を去って行く。


「じゃあね、バイバイ」

「……なんだよあいつ。俺にばっかり突っかかってきやがって」

「それは彼女が君のことを好きってことじゃないかな?」

「うおぉっ!?」


 高座との会話の間でどの隙を縫ったのか、風呂用品一式を詰め込んだナップザックを肩に担いだ愉坂が、神村の背後に立ってニッコリと笑っている。


「なんでテメェも脅かそうとしてんだよ!?」

「というか気がつかなかったの? それだけ二人の空間を作ってた感じ?」


 確かに仲良くしていた方が良いといってはいたが、ここまで来ると友達以上の何かを見いださなければならなくなってくる。あきれ顔の愉坂はつい先程の神村と同様の溜息をつくと、神村に対して一つの注意を促す。


「あの子にうまいこと絡め取られないようにね」

「知ってるぞ、それ。びじんきょくってやつだろ?」

「それを言うなら美人局つつもたせ、だね。……どっちかといえば、ハニートラップの方が意味合い的に近いんだろうけど。いずれにしても、あの子もそれなりの策士かもしれないから気をつけてね。まっ、非童貞の神村君は大丈夫かな」

「まだそれ続いてんのかよ……」


 そうして暗い廊下を少しだけ騒がしくしながら、愉坂と神村はホールへと再び足を進め始めた。

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