第二章 キツネ + 文明の利器 = 犯罪一歩手前? その1

 私立聖櫂学園は、都心部の一等地にある有名進学校である。ここに通う人間の殆どが、都心近くに住んでいる。実家が遠い者もいるがその殆どが学校の用意した寮に住んでいることが多く、通学時間は一時間以内が常識ともいえる空気が生徒の間には漂っている。

 ――無論、何事にも例外は存在するものだが。


「待ちなさい! お昼は全員が揃ってからいただきますでしょ!」

「えぇー! でもカズ兄帰ってくるのいつも遅いじゃん!」


 都心部から外れた土地にある、築数十年もたつ木造の一軒家。表札も長い年月の経過を意味しているのか、文字がかすれて一部が読めず、“村”という一文字だけが唯一認識ができるような状況。

 そんな寂れた家でありながらも、住み着いているのは賑やかな家族だった。


「うっさいわね! 兄貴が聖櫂に行っているんだよ! うちらの希望の星なんだから、中学校の時みたいに変に機嫌損ねて――」

「誰が不登校になるってんだボケ」


 通学片道一時間半の長い道のりを乗り越えて、神村和水は実家の食卓へとようやく到着する。襟首に聖櫂の校章が縫い付けられた学生服を脱ぎながら玄関に鞄を下ろしていると、先に食卓を囲んでいた妹と弟、そして母が兄の帰りを出迎える。


「早かったわね」

「入学式だから当然だろ」

「そうね、そうだったわね。ごめんなさい」


 みずみずしさを失った髪を後ろ手に結び、長年着続けたせいでヨレヨレとなった割烹着に身を包む母は、息子の刺々しい態度を受け流しながらお盆にのせたご飯茶碗を息子の前に並べる。


「…………」


 恐らくはこの日の為に準備をしたのだろうと、神村は卓袱台の上に置かれたコロッケをじっと見つめる。

 本当であれば入学式の際に子の晴れ姿を見に来る親として、神村の母も聖櫂学園に来ていても何らおかしくなかった。しかし今の服装を見れば分かるように、母はああいった場に行くことができる正装を持っていない。

 だからこそせめて少しでも豪華な料理をと思って母が作ったのが、息子が小さな頃から好きだったコロッケだった。


「それにしても凄いじゃん兄貴。あの超エリートの聖学セーガクに入れるなんてさ」


 妹の方は学校が休みだったのか、制服ではなく私服で畳に座り込んでいる。

 そして兄が兄なら妹も妹、家庭事情などなんのそのと同じように髪を染めている。学校でも問題視されているようだが、当の本人は特に気にしていない様子。

 当然ながら自身が金髪に染めている兄がそれを注意する筈もなく、代わりに今回目についたのが――


「……学斗がくと

「ん? 何?」

「テメェどうしてクッチャクッチャ口動かしてんだ」


 神村の視線の先。そこにはバレていないだろうと小さく口を動かし、そして僅かに頬を膨らませている弟の姿が。


「えっ!? えぇっとぉ……」

「飯は揃って食うっつってたんじゃねぇのか?」

「あぁー! コロッケ思いっきりかじられてるし!」


 不良と化した兄姉を反面教師にしてか髪も染めずに普通にしていた弟であったが、年相応にわがままであるところは他の同年代と変わることはない。


「ご、ごめんってカズ兄! 頼むから拳骨は勘弁!」

「……チッ」


 ビビり散らして猛省している弟の姿が誰かと重なったのか、神村はそれ以上何も追及することなく目の前に並べられた夕飯を前に手を合わせる。


「……いただきます」

「いただきます! っと、それにしても今日は豪華じゃん! コロッケとか半年ぶりくらいじゃない!?」


 はしゃぐ弟妹をよそにして、神村は静かに箸を動かす。しかし目の前でこうも騒がれてしまっては、悪態の一つも尽きたくなってくる。


「うるせぇな。黙って食えねぇのか」

「そういう兄貴だって箸のスピード速いし」

「ケッ……」


 ここまでは特に問題も無く至って平穏な家族団らんの昼食。確かに他よりも少しばかり貧しい暮らしをしているかもしれないが、なんとかうまくいっている。

 しかしこの直後の母のひと言が、不幸にもこれを崩すきっかけとなってしまう。


「カズくんの合格祝いもかねてですもの。大好きなコロッケを作る為、ちょっとだけ無理をして――」

「っ、普段からちょっと程度の無理じゃ済んでねぇだろ!」


 ガンッ! と台を強く叩く音が鳴り響き、それまでの喜ばしかった雰囲気が一瞬に消え去る。

 そしてその音を鳴らした犯人は、本来ならばこの場で入学を祝われる筈の人間だった。


「……でも、あなたのお友達の愉坂君が紹介してくれた弁護士さんとか何とかのおかげで、普通貰える筈のない生活補助とか色々貰えて――」

「それはあいつがいなかったらまともに飯が食えねぇって意味じゃねぇか! だから言ったんだよ! あいつの提案で学校に行くより、バイトの一つくらいした方がマシだってなぁ!!」

「でも、学校に行けば奨学金とか貰えるし――」

「それは全部学費でチャラになっちまっただろうが! 何すっとぼけたこと言ってんだ!」


 神村の家は常に金銭的危機と隣り合わせだった。父親は若くして他界し、残された三人の子ども達を養う為には母の手一つでは足りるはずもない。

 そうした現実から目を背けるかのように、中学校時代の神村には全てに刃向かう社会不適合者――いわゆる不良の道を突き進んでいた時期があった。行き場のない苛立ちをぶつけるかのごとく毎日のように喧嘩に明け暮れ、当然の様に上からものを言う大人達にすら反発し、退ける。それが単身頑張る母親を苦しめることだったとしても、当時の神村にはそれだけでしか自分を表現できずにいた。

 そして愉坂善治郎という奇特な少年と数奇な出会いを果たすのがこの一番荒れた時期の神村和水だというのは、当時も今も、誰も予想できなかっただろう。


「あいつに、愉坂にどれだけ借りを作っているのか分かってんのかよ! 普通の友達に家庭事情の相談をする奴が、世の中にどれだけいると思って――」

「いやいや、友達だからこそ助けを求めて貰って光栄なんだけど」


 何事にもタイミングというものがあるのだろうが、今回に限っては最悪といえるものだった。更にそれが家庭の事情に土足で踏み込むような事となれば、尚更に厳しいものになるだろう。


「……愉坂、テメェ何をしにきた」

「何をって……迎えに?」

「迎えだと……?」


 事前に何も聞かされていない。特にこの後学校関連でも、この友人関係の間でも何も約束事をしてなかったはず。しかし現にいつの間にか上がり込んでいたのか、愉坂善治郎は確かに神村和水のすぐ側に立っていた。


「……いつからそこにいた」

「うーん、僕がいなかったらまともに飯が食えない云々くらいに丁度玄関を開けたくらいかな」


 それは愉坂本人にはあまり聞かれたくなかった、神村の心の内に秘めていたはずの本心でもあった。


「言ったことに嘘偽りはねぇ……そういう見方をされてたって幻滅したかよ」

「いや別に。昔から君はお金関連の借りを作りたがらないくらいだから、それくらい思っていても不思議じゃないと想定できるし」


 情けない話だ、と神村は内心ふがいなく感じていた。しかし愉坂の方は、だからこそ神村という男が親友たり得る存在だと確信している。


「ほんと、君くらいだよ。お金で困ったからって一切頼ってこないのは」

「友達だろうがそいつから借金抱えた時点でお終いなんだよ……“人間関係”ってのはな」


 その一言で、一家全員の表情が沈んでいく。世の中でお金こそが最も恐ろしいものだと、神村和水は知っている。そしてそれは特に、“人間関係”に関わってくると。

 しかし資産家の息子として生まれ育った愉坂にとってその感覚はハッキリと理解できるものではなく、故にこのような状況でもいとも簡単に反論を口にしてしまう。


「でもさ、生きる為ならその中でも使えるものは使わないと。それが友達だとしても、頼る時は頼ってもいいんだから――」

「それで俺にどう借りを返せってんだよ!! 俺とお前が友達なだけで、こんな生活ができるだけでもデケェ借りだってのに、それを――」

「それを返して貰う為に、これからの学校生活がある……でしょ?」


 中学校では互いに別々、しかし今度は違う。同じ学校、同じクラスで三年間を過ごしていく。


「君が本当に借りを返すつもりなら、僕はいくらでも返す場を作る。そして返ってきた分のお釣りだけ、また君を助ける。それだけの話じゃん」


 金換算で物事を考えたとしても、神村を説得する為の話術など愉坂には朝飯前。混乱する獅子をなだめることができるのは、相棒である狐だけ。


「愉坂……」

「それに、僕には君がいないと駄目なんだ。キツネは一匹だけだとただのキツネなんだ」


 政治家はキツネの狡知とライオンの威を必要とする――政治家になろうとしているキツネはいつでも、親友のライオンを必要としている。


「……という訳で、ご家族の皆さんも一緒に車へどうぞ」


 自身お抱えの執事を見てからの真似事か、愉坂は神村家の立て付けの悪い玄関の扉を開けると、外へと導くように手のひらを向ける。


「一体どこに連れて行かれるんです? それとこのような服装じゃ申し訳ないですし……」


 流石にいきなりの提案に戸惑いもあるのか、神村の母はせめて身だしなみを整える暇くらいは欲しいと申し出るが――


「いえ、向こうで仕立てて貰いますからご心配なく。今日は僕と神村君の入学祝いのパーティをしようと思って来たんですから」


 どうやら向こうも考えていることは同じだったようであるが、その規模は比べようがないだろう。しかし神村はそれでも少し待って欲しいと、卓袱台に座り直して箸を手に持つ。


「ん? ああ、お昼ご飯なら向こうでもでるよ?」

「そうなの? ならカズ、向こうでもっとおいしいご飯を――」

「悪いが俺は一度手をつけた飯を残すつもりはねぇんだよ」


 そうして急いで自分の分のご飯におかずと手を伸ばし、全てを平らげてたったひと言。


「ゲフッ……ご馳走様でした」

「まあ、別にラップをしておけば夜も食べられるのに」

「俺は今食いたいから食ったんだ。それ以上でも以下でもねぇ」

「……そういうところが君の良いところなんだよ、神村君」


 残ったご飯にも全てラップをかけて冷蔵庫へとしまいこんだところで、神村はようやく表で待つ愉坂の元へと向っていくのだった。

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