第一章 キツネ + ライオン = 見習いクラス長 その2

「それでは、最初のホームルームを始めさせて貰います。申し訳ありませんが、保護者の皆様方はここでご退出をお願いいたします」


 既に五十路を過ぎているのであろう、髪の毛に白髪の交じった男が丁寧な口調でそれまでついて来ていた保護者を相手に退出を願い出る。

 保護者らもまたこの事を知っているのか特に何も疑問を持つことも無く教室を立ち去り、残ったのはこの一年五組に所属する生徒と、そして担任だけとなる。


「……諸君、まずは入学おめでとう。そしてようこそ、“小さな国家”と比喩される学び舎へ」


 それまでの礼節正しかった声色が、まるで軍隊養成施設に迷い込んだかのような錯覚に落ちる程の厳しい雰囲気となってクラスに襲い掛かる。


「お前達の中にこの学校に来る意味も知らずに入ってきた者などいるはずがないだろう……この日のいずる国日本で最高峰の超進学校、私立聖櫂学園とは!!」

「日の本を引っ張る指導者を養成する学校……そんなの誰でも分かってますよ」


 壇上に立つ教師の耳に入らないように、椅子に座ったまま愉坂は小さな声で呟いた。こんな前置きなどどうでもいい、今日の必要事項ではないと、愉坂は耳に入れる気すら無かった。

 そうして三分程度の無駄話の後に、ようやく待ちわびていた本題へと話は移り変わる。


「それで、だ。今日のホームルームで決めるのはただ一つ。“クラス長任命”についてだ」


 その言葉を待っていた――と、愉坂の中に潜むキツネが鎌首をもたげ始める。

 一時の緊張の瞬間。数秒とも数刻とも思えるような沈黙の後、担任の口が再び開かれる。


「クラス長任命は国を纏める第一歩、総理大臣への第一歩ともいえる。つまり! この時点でお前達三十人の内からたった一人……そう、たった一人だけが指導者への道に選ばれる!!」


 つまりこの時点で残りの二十九名は総理大臣への道を早くも閉ざされるということを、担任である男は暗に示していた。


「そしてその選ばれし一人とは……愉坂善治郎!!」

「はいっ!!」


 全ては予定通り。満面の笑みを携えて愉坂はその場に立ち上がる。


「クラス長に選んでいただき光栄に存じます。この愉坂、全身全霊をかけてこの大役を見事勤め上げて見せましょう!!」


 胸に手を当て高らかに。愉坂は最初からこれを知っていて、まるでそれに合わせて用意していたかのようにつらつらと言葉を並べる。


「この一年五組を学年で最高のクラスにするべく、粉骨砕身の気概で働くつもりです!!」

「いいだろう。クラス長には彼を任命したいと思うが、賛成の者は拍手を――」


 担任が言い終わる前に、クラスから一斉に拍手が鳴り響く。その中には当然ながら、同じクラスで親友でもある神村の散発的な拍手も混じっている。


「……よろしい。ならばこの一年五組のクラス長は愉坂善治郎で決定とする。今日はこの後放課という流れになるが、既にこの瞬間から学校の一員としての生活が始まっている。皆くれぐれも、クラス長の足を引っ張るようなことが無いように。そして愉坂、お前もまたこのクラスの発展の為に、その身全てを捧げる覚悟をもって明日から登校するように」

「……承知いたしました」


 愉坂はにこりと微笑むと、静かに椅子へと腰を下ろす。


「ではこれにてホームルームを終了とする。各自速やかに下校するように」


 こうしてこの日はあっさりと一日が終わり、明日から本格的な学校生活が始まる。教室にある個人用のロッカーにしまっておいた鞄を片手に、神村は愉坂とともに帰ろうとしたが、その前に愉坂の方が担任から一人呼び出されてしまう。


「愉坂」

「はいっ! ……ごめん神村君、今日のところは先に帰ってて」

「ん? ああ、分かった」


 クラス長になるからには何かと話しておくべき事もあるのだろうと、神村は特に疑問にも思うこと無くさっさと教室を後にする。

 そしてそれに釣られるかのように残りの生徒も退出すれば、その場に残るのは愉坂と担任の二人だけ。


「……愉坂」

「はい」

「まずは第一関門突破おめでとう、というべきか」

「ありがとうございます」


 担任の言葉に対し、愉坂は笑顔で頭を下げる。この時の第一関門というのは親友である神村も知らない、本気でクラス長を狙う限られた人間しか知らない暗黙の了解だった。


「あの場で全員が拍手をするとは思わなかった。少なくとも二、三名……多くて五名程度は拍手をせずに現状に納得がいかない様相を見せると、私は思っていた」

「僕も全員から盛大な拍手を頂けるとは思っていませんでしたよ」

「しらを切る必要は無い。一体どうやって全員の了承を得ることができたんだ?」


 第一関門、それはクラス全員からの信頼を勝ち取るということ。クラス長に選ばれなかったということは、その時点で未来が一つ閉ざされたと同意義。そして選ばれた者は、本来ならば憎悪渦巻く嫉妬を一身に浴び続けることになる。


「クラスの統治……まるで既に終わっているように思えたが、実弾カネでもばらまいたか?」

「いえ。僕の父が“お願い”したのは水谷みずたに先生と、そしてクラス編成を行う極一部の管理職の先生方のみです」


 同じクラスメイトに対する賄賂による買収。それを疑った水谷だったが、愉坂は即座にそれを否定した。しかし引っかかるような言葉を吐いた愉坂を前に、水谷の疑問は更に深まっていく。


「ならば一体どうやって――」

「僕には夢があるんです、先生」


 疑問の言葉を遮ると、愉坂は神村に言ったことと同じように笑顔で言葉を口に出す。


「僕の夢は“国民全員から愛される”歴代最高の内閣総理大臣。つまり全員が僕と親しくなって欲しいと思っているんです」

「何? ……まさかっ!?」

「そうです。あのクラスの三十人全員、既に僕の“お友達”なんです」


 最初から仕込みは済んでいた。愉坂の“お友達”三十人全員を、合格させた上で同じクラスへと編成させる。その為の裏工作は、既に済んでいたというのである。


「……そのような大胆な手立てを取った者など、私が知る限りお前が初めてだ」

「お褒め頂きありがとうございます」

「大抵は入学式前にどこからか“名表が漏れ”、そこから買収なり脅迫なり何なりと手を打つ者が殆どだが、まさか入学の段階で既に終わっていたとはな……」

「上に立つ者がそんな回りに遺恨を残すような真似をするなんて……下の下、ですよ」


 愉坂は得意げに話すが、これだけではまだ第一関門を通過したに過ぎない。

 問題はこの後。そう、この後にこそクラス運営で最も肝要な選択が待っていることを水谷は知っている。


「――それでは、“副クラス長”には誰を選抜する予定だ?」

「それはもう決まっています」

「そうか。ではどうする? 親が芸能人で今後の票も集めやすい山形を隣に置くか? それとも兄が二年にいて、それなりに顔も利く甲斐を――」

「神村君です」

「……ん? 俺の聞き間違いか? お前今――」

「神村和水。僕は彼を副クラス長に任命します」


 残された二十九分の一。その中でも最も有り得ない、可能性がゼロといっても過言ではない人間を、愉坂は唖然とする水谷の前で堂々と選定した。


「なっ、馬鹿な!? ここまで私の考えている以上の選択肢を選んでいるお前が、何故ここで一番の失敗を犯す!?」

「失敗? まさか! 最善の選択肢です」


 既にこの教室は自分の領土とでもいいたいのだろうが、愉坂はゆっくりと、しかし驕りすぎることなく水谷の周りを歩き始める。


「実を言いますと、僕は今日言っていた生徒会長の言葉が前々から好きだったんですよ」

「“政治家はキツネの狡知とライオンの威を必要とする”、か……」

「そうです。僕は見ての通り、狼を走らせる獅子にはなれません」


 くるりくるりと周った最後、愉坂は元の自分の席に手をのせる。そして笑顔で担任と向き合うと、きっぱりこう言い放った。


「しかし罠を知る狐には今でもなれます。今の僕に足りないのは、獅子の面……つまり神村君こそが、僕にとって必要な獅子たり得る存在なのです」


 狐と獅子――愉坂の手のひらでそれは完結しようとしていた。知恵と勇気、互いに欠けているものを補う術を、愉坂は既に想定していた。


「ううむ……確かに奴は素行を除けば悪くないかもしれん。まともに身なりさえ整えれば、あの面であればどこぞの芸能事務所にスカウトされても何らおかしくはない。“顔”での信頼も得られるとも言える。しかし今の彼奴は教養も無ければ常識も無い、吠えるだけの“狂犬”。事実この学校にあんなふざけた頭髪で来るのは、この聖櫂学園史上、奴でようやく二人目だ」

「一応先人はいるんですね、安心しました。しかしそんなことより書類上の情報では測れないものが、彼にはあるんです。僕がこれからそれを証明して見せます。そしていずれは彼とともに――」


 ――生徒会会長、副会長としてこの学園くにのトップに上り詰めて見せますよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る