五話 青波綾風のフルマスク(1)

 喫茶『夢幻旅行』は、午前十一時から開店する。

 神田推品は店の入っている渋谷センターガイキングビルの通用口から入ると、開店の二時間前に三階層の店に到着してシャッターを開ける。

 店内を掃除し、調理場を整える頃に、食材が届き始める。

「ちわ〜っす。三河屋です」

 食材を背中のコンテナに大量に積んで担いだポニテ女性が、食材の第一陣を運び込む。

 神田推品が五回に分けて冷蔵庫に運び込む量の食材を、この宅配人は一度に運んで来る。

 掃除が済んだ頃に入店した暗黒寺が、宅配人と歓談しながら品数のチェックを熟す。

「ところで、緑山サンドさん。今の仕事には、満足かな?」

 抜け目なく、体力と筋肉に問題なさそうな人材を勧誘する。

「民間戦隊に、興味は無いよ。余暇は登山に費やすから、ワタシ」

 緑山サンドは、食材の第二陣を運び込みながら、暗黒寺からの勧誘を断る。

「給料は、良好ですよ。危険手当と、怪人討伐報酬が、美味しい仕事」

 緑山サンドの動きが、一秒だけ止まる。

「エロい民間戦隊に勤める気は、ない」

 断る言い訳を重ねると、緑山サンドは最後の第三陣を運びに場を外す。

 すれ違いながら入店した飛芽が、暗黒寺に確認する。

「あの山ガール、戦隊経験者?」

「いいや。完全に一般市民。怪力の力加減が利かずに、中学校で不良生徒を撲殺した過去を含めても、善良な一般市民だ」

「折り紙付きの怪力じゃん」

「向いていると思うけれど、暴力を振るう仕事には抵抗が大きい」

「分かっているなら、誘うなよ」

「分かっていても、誘いたくなる逸材だ」

 四人目の人材について話しながら食材の確認をしていると、青波綾風がレッサーパンダの威嚇ポーズを取りながら、現れる。

「今日は、今日こそは、単独で迷惑な客を抹殺して見せまう。見せます」

「逮捕、逮捕逮捕」

「通報な。過剰防衛は面倒だから、逮捕して通報」

 推品と飛芽が、やる気が空回りしそうな青波を、諌める。

「私は鬼じゃありませんよ。遺族に遺骨は引き渡します」

 ギャグかもしれないが、本気の可能性もあるので、暗黒寺が青波の肩を揉む。

「この店は、アホな迷惑客には断固として対応するから、日々犯罪発生率が下がっている。開店した頃は日に五人だったが、今週は三日に一人のペースだ。今日は、何も起きない可能性の方が、高い」

「それはいけません。私が実践経験を積めませんので、乱れて欲しいです、平和に」

 暗黒寺が、青波の脳天に、手近にあった長ネギを振り下ろした。

「食材でツッコミを入れるな。拳骨かスリッパでやれ」

 暗黒寺は、真っ当なお叱りを受けて、長ネギを持て余す。

「さて、捨てずに何に役立てようか?」


 ランチタイム。

「清楚系美少女青波綾風の頭を叩いた長ネギを使った特製カプリチョーザ(シェフのお任せピッツァ)、値段は千五百円から五千円に値上げするけど、誰か注文する? 一食のみだから、欲しい人が複数ならオークションを始める」

 推品のフードロスに配慮した特製カプリチョーザに、喫茶『夢幻旅行』の常連客たちは、色めき立つ。

「何てエゲツナイ商売をしやがる、あの小僧店長」

「いや、暗黒寺の発案と見た」

「だが食いたい」

「値段を三倍にしやがって」

「だが食いたい」

「くっ、伊達と酔狂に満ち溢れた、己の人格形成が恨めしい」

「人間とは、推しの萌えグッズには三倍の料金を払ってしまう、悲しい生き物なのだ」

 オークションが始まり、五千円のスタートが九千円で落札された。

 差額七千五百円の内、五千円が青波の臨時ボーナスとして支払われる。

「釈然としません」

 臨時ボーナスで顔が綻びながらも、青波はツッコミに使われた凶器の行く末に、憮然とする。

「こういう店になるとはなあ」

 前の店で推品と同僚だったシェフ・万世橋徳子が、昼時から厨房に入って推品を休ませる。

 注文書を引き継ぎながら、今日も完売ペースなので微笑む。

「まあ、客層に贅沢は言わないよ」

 勤め先が破壊された一因をチラッと睨みつつ、小柄なシェフは戦車が塹壕を蹂躙するような勢いで、料理を開始する。

 頼もしい相棒に厨房を任せると、推品は賄い飯を二人分持って、厨房裏の休憩室に入る。

「飛芽、お待たせ〜」

「おう、食わせろや」

 飛芽と二人きりで、接触はしないように向かい合わせの席で、昼食を採る。

 余ったピッツァとパスタとサラダの材料で作った賄い料理を食らって、ご馳走様しつつも飛芽は切り出す。

「明日からは、他の店を開拓しよう」

「うん、賄い飯も飽きてきたし」

「どこから開拓する?」

「中華料理が、お久しぶり」

 それから二人で周辺の中華料理店の検索と検討をしつつ、時間制限で仕事に戻る。

 入れ替わりに、安国寺と青波が休憩室に入る。

 この二人は飽きる前に賄い飯を辞退し、周辺の飲食店でテイクアウトした料理を持ち寄る。

「バトル展開抜きの日常も、いいな」

 暗黒寺の呟きに、青波は目を丸くする。

「私にとっては、迷惑客との対応も、戦いです」

「ふうん。迷惑な一般人が相手でも、大変か」

 明らかに半人前を見下すベテランの視線に、青波のプライドが無駄に騒つく。

「…助けないでくださいよ。次こそ、一人で、単独で、ソロで、裁いてみせます」

「逮捕&通報。裁くのは、裁判所の仕事」

「デカレンジャーみたいに…」

「無いよ、あれだけ素敵なスピード処刑許可システムは。有ったら怖いよ」

 顔芸で不満を表す青波に構わず、暗黒寺は煎じ茶を飲んでから、仮初めのバイト仕事に戻る。


 その日は青波の願いは叶わず、痴漢もセクハラもドキュン客も現れなかった。

 十四時になると飛芽が帰宅し、十五時に青波と暗黒時もウェイトレス仕事から上がる。

 替わりに暇な民間戦隊の人材がバイトに入り、推品の警備込みで飲食店の仕事を引き継ぐ。

「帰り道で襲われる可能性もあります。帰宅するまでが、戦闘ですにゃあ」

 まだテンションのおかしな青波に、暗黒寺は「尾行とかにも気を付けなさい」と注意して別れる。

「尾行?」

 青波綾風は、十秒に一度三百六十度回転して尾行の有無を確認しながら、渋谷郊外のアパートに帰宅する。

「ふう、何もなかっ…」

 室内に充満していた催眠ガスに気付き、青波は変身して玄関から逃げようとする。

 瞬時に青い超薄型レオタードのコスチュームが青波を包み、白衣型アーマーが肩と胴体を保護する。

 それでも、青波は催眠ガスの影響を遮断出来ずに、玄関で脱力する。

(アアアアア、忘れていましたあああ)

 頭部を守るマスクが未完成だった青波綾風は、敵の罠に初手でハマった。

 倒れた青波の身体を、何者かが美乳や美尻を触りまくりながら、お持ち帰りしようとしている。

(ウェイトレスのお仕事に夢中で、マスクを完成させていませんでしたアアアアア)

 青波綾風は、そこまで反省してから、意識と自由を失った。

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