第44話:かけがえのない平穏な日常

 王都から帰宅すると、いつもと変わらない日々がやってきた。


 リクさんが作るおいしいごはんを食べ、薬草やスイート野菜の栽培に精を出し、湯あみで心身の疲れを癒す。


 私の幸せは、そんな何気ないところにある。ベールヌイ家でゆったりと過ごす時間は、かけがえのないものだった。


 こうした幸せな日々に干渉してくる人は、もういない。アーネスト家が捕縛されたことで、決して揺るぐことのない幸せな生活を手に入れたと思うと、それだけで気持ちが晴れやかになっていた。


 そして、時間の流れと共に植物は成長するため、良い変化が訪れている。


「薬草を買い取ってもらいたいんですけど、ここに置いても大丈夫ですか?」


 十分に薬草が育っているため、余剰分を街に納品することができるようになった。


 今はこの街で一番の老舗だという薬師のお婆さんの元に、マノンさんと一緒に訪れている。


「これはまあ、立派な薬草だねえ。どこ産のもんだい?」


 目を細めて確認するお婆さんに、一番デリケート部分を突っ込まれてしまう。


 これからはアーネスト産ではなく、ベールヌイ産として販売していかなければならない。


 これは、その第一歩である。


「えーっと、新しくこの街で薬草を栽培しているんです」

「へえー……。それはそれは、すごい植物学士さんがいらっしゃったもんだねえ。まるで昔のアーネスト産みたいだよ。これが出回るようになったら、喜ぶ人も増えるだろうね」


 どうやら私が作ったと思われてないみたいだ。植物学士の代わりに売りに来た人、と誤解しているんだろう。


 まだまだ顔が狭いなー……と思う反面、素直な意見を聞く良い機会でもある。


 マノンさんにシーッとして、お婆さんに尋ねてみることにした。


「近年のアーネスト産の薬草は、イマイチでしたか?」

「昔のアーネスト産と比べると、やっぱりねえ。随分と質が落ちていたし、不作続きで高騰してばかりだよ。高い運賃を払ってまで仕入れたいとは、思わなくなってしまったね」


 少し前の私が聞いていたら、きっとショックで落ち込んでいただろう。おばあちゃんの後を継いで、独りで頑張っていたのに、価値がなくなったと言われているのだ。


「そうですか。私も同じことを思います」


 でも、今は違う。おばあちゃんから受け継いだ薬草は、立派に育っているから。


「昔のアーネスト産みたいな薬草が作れるように頑張らないといけませんね」

「大きく出たもんだねえ。と、言いたいところだけど、十分に対抗できる代物だよ。とっても良い薬草だねえ」

「ありがとうございます」


 おばあちゃんとの薬草は、今後も守り続けていくつもりだ。でも、それだけが目的で、薬草栽培をすることはない。


 もっと多くの薬草を栽培して、気兼ねなく使ってもらえるようにしようと思っている。それが私の新しい目標だった。


 薬草の納品が終わると、マノンさんと一緒に裏山へ足を運ぶ。


 順調に育っているスイート野菜は、まさに今が収穫のピークを迎えていた。領民たちが一つ一つ丁寧に収穫して、傷がつかないように荷車に載せている。


「もう少しそっちに詰められるか?」

「いや、難しい。その大きさだと、ギリギリで入りそうにねえな」

「どのみち何度も往復しなくちゃいけねえんだ。次の荷車で運び出そうぜ」


 時間はかかってしまうものの、効率重視で運び出すことはしていない。収穫量が多いだけに焦る気持ちはあるが、品質を優先している。


 これには、自分たちで育てた野菜を大切にしたい、という領民の気持ちも反映されているだろう。


「おーい、坂道の段差は埋めてきたぞ。そのまま真っすぐ街に向かってくれ」


 自分たちで問題を見つけ、慎重すぎるほど大切に運び出してくれていた。私が口出しする必要もなく、順調に収穫作業が進んでいる。


 それは、領民たちだけでもやっていけるかもしれない、と思わせてくれるほどだった。


「お嬢、このスイート野菜は大丈夫ですかい?」

「そうですね。大きさも魔力も十分です。収穫しましょう」


 みんなが真剣に取り組んでくれていることもあって、早くもスイート野菜の目利きができる人まで現れている。


 こういった経験を生かして、今後は植物学士の資格に挑戦したいと思う人も出てくるだろう。金銭的に難しい人も多いと思うから、スイート野菜の売り上げで援助できる仕組みを考えてみようかな。


 もちろん、私の一存では決められないが、リクさんはそういうことに寛容な人だ。薬草の利益も入ってくるし、もっと領民たちに還元してあげたい。


 そういう意味では、他にもいっぱいやることがある。


 普段は何も買い物をしない私が、公爵夫人として、街にお金を落とさなければならないのも、その一つだった。


 よって、裏山から街に戻ってくると、私は吸い込まれるように一軒の服飾店に入っていく。


「奥方、パーティー用のドレスを買おう」

「新しいものは不要だと思いますけど……」

「ダメ。昨日のドレスは、微妙にサイズが合っていなかった」


 矛盾してしまうが、自分のために大金が費やされることを考えると、胃が痛い。私には王都で開かれるパーティーに参加する機会なんて滅多になく、前回のがレアケースだったのだ。


 それなのに「奥方のドレスがない……」と、私よりもマノンさんが落ち込んでしまう始末。支度金で用意して来なかったうちの落ち度なので、気にすることはないと思うんだけど……。


「見て、奥方。このドレスの方が女の子っぽいよ?」


 しかし、人間とは不思議なもので……もとい、私は単純なもので、すぐに心が揺れてしまう。


 前回のパーティーの光景を思い出す限り、周りの貴族女性は美男美女だらけだった。もっとオシャレをしなければ、リクさんが他の女性に鼻の下を伸ばさないか心配で仕方ない。


 誕生日くらいは屋敷で着てもいいと思うし、一着くらいは買っておいてもいいのかな。


 ただ、マノンさんが持っているドレスは、ちょっと勇気がいるデザインであって……。


「ちょっとスカートの丈が短すぎませんか?」

「今はこれくらいが普通。貴族が時代に逆行するのは良くない」


 思い返せば、パーティーでも多くの貴族女性たちが足をさらけ出していた気がする。でも、太り始めたばかりの自分の足をさらけ出すのは、さすがに抵抗が強い。


 リクさんがミニスカート派なのか、という問題もある。いや、むしろそこが一番大事かもしれない。


「うーん、今回は保留にします」


 ドレスのデザインを検討する前に、リクさんの好みを把握する必要がある。何着も買う予定がないだけに、価値観を合わせてから購入にしたいから。


 ただ、私よりもドレスを購入したいマノンさんは、とても不満そうな顔をしている。


「奥方、もっとお金を使うことを覚えよう。経済が回らない」

「うっ……。でも、高い買い物ですから、もう少しゆっくり決めたいんですよね。次に来たときは必ず買いますので、今日は保留でお願いします」

「わかった。じゃあ、今度は奥方が逃げられないように特注で作ってもらう」


 普通に買うより値段が跳ね上がる気がするが、領主であるリクさんを満足させるためだと考えたら、許される気がしてきた。


 自分だけのドレスと言われたら、悪い気はしないし、義妹カサンドラが作っている姿を見て、羨ましいなーって思っていたから……。


「奥方も嬉しそうで何より。そっか、特注が良かったのか」

「えっ! いや、違います! 誤解ですよ!」

「奥方が遠慮した分、経済は回らない。帰りはパンケーキを食べに行こう」


 それはマノンさんが食べたいだけでは? と思いつつ、図々しい公爵夫人だと思われなくてよかったと安心する。


 特注のドレスかー……と思いを寄せるあたり、私は自分が図々しいと自覚するが。

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