第7話:侍女、現る
日が沈み始めた夕暮れ時。ふぅー、と大きな吐息を漏らした私の前には、見慣れた光景が広がっていた。
「う、植え終えた……」
持ち運んできた薬草たちが凛と生え、魔力を帯びた葉が夕日に照らされている。狭い鉢植えの中から解放された薬草たちは、この土地を気に入り、伸び伸びと過ごしているみたいだった。
どうやら無事に移植できたらしい。これで薬草に関しては、安心してもいいだろう。
張り詰めていた緊張が解けると、疲労感が重しのようにのしかかり、私は本日二度目のヘトヘト状態である。
途中でリクさんが軽食を用意してくれなかったら、今頃は白目をむいて倒れていたに違いない。優しい気遣いと領主さまの厚意に感謝の思いしかなかった。
またじゃがいものガレットが食べたいなーと思うあたり、何に一番感謝しているのかは、言うまでもないが。
欲望に満ちた邪念を振り払った後、最後に薬草畑の前でしゃがみ、目を閉じて祈りを捧げる。
「大地の祝福に感謝を」
こうして畑の無事を願い、大地に感謝するのが習わしだった。
決して、もう一度じゃがいものガレットが差し入れに来ることを願ったわけではない。
「よし。じゃあ、これで今日の仕事は終わり……って、これからどうしたらいいんだろう」
我が儘を言って植栽作業をさせてもらっていたため、どこに移動すればいいのかわからない。もはや、迷子の子供と変わらなかった。
屋敷の警備に回ってくれたジャックスさんを探そうかな。そう思って立ち上がると、ふいに服をクイクイッと引っ張られる。
不審に思って後ろを振り向いたら、そこには小さな獣人がいた。
大きな耳をパタパタと動かすライオンの女の子で、モフモフの尻尾が優雅に揺れている。一見、私と同じように迷子の女の子に見えるが、侍女服を着用しているため、この屋敷に雇われているんだろう。
「奥方。終えた?」
「……」
可愛い。つぶらな瞳で上目遣いしてくる獣人の女の子に、私は開いた口が塞がらない。
「奥方。終えた?」
「あっ、はい」
奥方って、私のことか。まだ領主さまとお会いしてもいないのに、そういう扱いをされるとは思わなかった。
しかし、どこかマイペースな彼女は気にしない。引っ張っていた私の服から手を離し、胸を大きく張る。
「こほんっ。私が奥方の侍女に選ばれた、百獣の王女マノンだ。がおーー」
「……」
両手を曲げて、襲い掛かってくるようなポーズを取る彼女が、とても可愛い。これは領主さまの趣味だろうか。
「私が奥方の侍女に選ばれた――」
「聞こえていましたよ。驚いて声が出なかっただけで」
「申し訳ない、奥方。ライオンの威厳が出て、驚かせてしまったようだ」
領主さまの趣味ではなく、本人の意思によるものだと察した。
本当にライオンの威厳があったら、侍女にならないのではないだろうか、という冷静なツッコミはやめておこう。
単純に大人げないし、まだ小さなこの子の夢を壊したくはない。
こんなに可愛い子が侍女になってくれるのは嬉しいなーと油断していると、急にマノンさんがキリッとした表情を向けてきた。
「奥方、随分と疲れているように見える。先に湯あみにしよう」
「えっ? 湯あみ?」
「お風呂のこと。熱い湯が、がおーーっと出ているところだ」
さすがに私も湯あみの意味は知っているが、まさか自分が入ることを勧められるとは、夢にも思わなかった。
実家にはお風呂がなかっただけでなく、私は汚れた体や服は川で洗っていたので、唐突に言われても受け入れ難い。まだ嫁いできたばかりだし、言われるがまま入っていいものではないだろう。
ましてや、一週間の旅を終えて、我が儘を言って薬草を植えさせてもらったばかり。贅沢な行為は控えないと、図々しい嫁だと思われてしまう。
完全にマイペースなマノンさんは、そのことに気づいていない気がする。
「申し訳ない、奥方。またライオンの威厳が出て、驚かせているようだ」
どうしよう。考え事をしていただけなんて、言いにくい。『がおーー』という言葉だけで威厳は発動しないと、誰か教えてあげて欲しい。
そもそも、威厳があるのかないのかは別にして。
「気遣っていただかなくても構いません。これくらいなら、少し休めば大丈夫ですので」
「本当に?」
「本当です。体を拭くために、濡れタオルをいただけますか?」
「……」
どうにも納得がいかないマノンさんは、ジーッと見つめてくる。そして、私の体を軽くトントンッと叩き、何かの確認を始めた。
「無理は良くない、奥方。疲労困憊、筋肉が悲鳴を上げている」
なぜ軽く触っただけでわかるんだろう。小さな獣人の女の子と思っていたけど、意外にしっかりしているのかもしれない。
私の侍女と言っていたし、ここは素直に話した方がいいかな。
「まだ顔合わせもしていませんし、薬草の移植を終えただけです。湯あみという贅沢なもてなしを受ける資格はありません」
「……十分ではないだろうか」
「えっ?」
「もてなされるのに、十分ではないだろうか」
キョトンッと首を傾げたマノンさんは、相変わらず私をジーッと見つめていた。
「長い旅路を終えたばかりなのに、奥方はすぐに仕事に取り掛かってくれた。その姿を見て文句を言う者など、この屋敷にはいない。薬草を植えてくれた奥方には、きっと皆感謝している」
小さな女の子に純粋な気持ちをぶつけられると、何とも歯がゆい気持ちになってしまう。
こうして誰かにお礼を伝えられるのは、何年ぶりになるだろうか。些細なことでも認めてもらったことが嬉しくて、なんて言葉を返していいのかわからない。
思わず、私はマノンさんから目を逸らした。
「初めて訪れた土地で、自分よりも薬草の心配ができる奥方は、とても優しい。しかし、自分を蔑ろにするのなら、ここでドクター侍女ストップだ。がおーー」
再びマノンさんのライオンポーズが炸裂して、ついに私は萎縮してしまったのかもしれない。反抗する気がなくなり、お言葉に甘えようという気持ちになったのだ。
そのことに気づいたマノンさんは、ニコッと満足そうな笑顔を浮かべる。
「ふっ。ライオンの威厳に逆らうことなどできまい。やはり奥方の侍女を勤めるのは、私しかいないようだ」
私の侍女はズルイ、そう思った瞬間だった。
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