第6話:じゃがいものガレット

 必死になってスコップで畑を耕し、魔力を浸透させ終えると、ジャックスさんとは違う男性がやってきた。


 整った顔立ちに銀色の髪がスラッとしていて、大きなモフッとした尻尾がある狼の獣人。腰にソムリエエプロンを巻き、力強い深紅の瞳と目が合えば、視線を外せられな……ん? な、なんだ、あれは。


 何か手に持っているぞ! この香りは、もしかして――!


「俺の名前は……。……だ。……長い……。遠慮など……」


 さ、差し入れだ! まだ領主さまに挨拶していないのに、まさかの差し入れがここに!


 おぼんの上に載ったジャガイモのガレットとホットミルクを目の当たりにした私は、もう冷静な思考ではいられなかった。


 耳から耳へと言葉が素通りして、頭の中に会話が入ってこない。


 だって、周囲に誰もいない以上、この料理は私のために持ってきてくれたものと考えて、間違いない。わざわざ焼き立てを持ってきてくれるあたり、とても歓迎されていると実感する。


 この瞬間、私の中で化け物と呼ばれるベールヌイ公爵……いや、マーベリックさまは人の心を持った方だと確信した。


 単純だと思われるかもしれないが、こればかりは仕方ない。八年ぶりに湯気の出た料理が目の前に運ばれてきたら、普通は誰でもそう思――。


「おい、聞いているのか?」

「えっ!? あっ、はい。はじめまして、レーネ・アーネストです。えーっと……」

でいい」

「リクさんですね。よろしくお願いします」


 料理人のリクさん。よし、名前を覚えた。顔も覚えた。


 今の私の視界には、じゃがいものガレットしか映っていないが。


「昔、この地域は獣人国だったこともあり、独特の文化が残っている。その一つとして、家臣を労うために――」

「えっ? なんですか?」

「……まあ、あとで話す時間はいくらでもある。今は本格的に薬草を植える前に休憩してくれ。体がもたないだろう」

「お、お言葉に甘えさせていただきます」


 八年ぶりにまともな料理にありつけそうな私は、ゴクリッと喉を鳴らす。


 そして、恐る恐る差し出されたおぼんに手を伸ばし――。


「……手は洗えよ?」


 貴族令嬢として、大変はしたない行動を取っていると自覚した私は、魔法で水球を作ってバシャバシャと手洗いした。


 しかし、ハンカチすら持たせてもらえなかったので、服で拭……。あっ、ハンカチありがとうございます。本当にここの家の皆さんは親切ですね。


 コホンッ。私も嫁いできたばかりの貴族令嬢ですから、もう少しお淑やかに対応したいと思います。


「では、ありがたくちょうだいします」

「急に猫を被られてもな。どうせ長い付き合いになるんだ。最初から自然体で過ごした方が楽だぞ」

「そうですよね。では、遠慮なくいただきます」


 じゃがいものガレットから漂うバターの香りで理性が崩壊している私は、周りの目を気にすることなく手でつかみ、それを勢いよく頬張った。


 表面がカリカリッと香ばしく、中はホクホクで柔らかい。熱の通ったじゃがいもの香りがぶわっと広がるだけでなく、バターの旨味とほんのり利いた塩が甘みを引き立たせる。


「リクさん、料理の天才ですね……!」

「レーネはうまそうに食べる天才だな」

「だって、おいしいですからね。特にこの表面のカリカリがたまりません」

「ちょうど昼ごはんの時間が終わり、じゃがいもしか残ってなくて申し訳ないと思っていたが、気に入ってもらえて何よりだ」

「いえいえ、素敵なおもてなしだと思いますよ。旦那さまに感謝ですね」


 なんといっても、あま~いホットミルクがじゃがいもに合う! この組み合わせで持ってきてもらえただけでも、最高に幸せな気分になっていた。


 思わず、まだお会いしていないマーベリック様のことを『旦那さま』とか言ってしまうほどに。


 そんなことを考えながら食べていると、ふとリクさんの顔が赤いことに気づく。


 どうやら料理を褒められることに慣れていないらしい。歯がゆそうな表情で、私の食べる姿を眺めていた。


「ジャックスから聞いたが、本当に手伝わなくてもいいのか? 屋敷に手の空いている者は何人かいるぞ」

「いえ、本当にお構いなく。土と薬草の魔力を同調させる必要があるので、下手に手伝ってもらうと枯れてしまうんですよ」

「面倒なものだな。どうりで薬草を育てられないはずだ」


 リクさんの言葉を聞いて、疑問に抱いていたことが解かれていくような感覚がした。


 婚約の条件に薬草の株分けを提示したのは、単純に薬草が欲しいのではなく、育てたかったのではないか、と。


「もしかして、この街で薬草栽培に挑戦されたことがあるんですか?」

「俺も詳しくは知らないが、五十年前にここで薬草を栽培していたと聞く。未だに当時のことに感謝している者が多い影響か、待ちきれずに畑を耕す者がいたみたいだな」


 どうりで随分前の話なのに、畑が荒れていなかったわけだ。婚約が決まった時点で、誰かが薬草を受け入れる準備をしてくれていたんだろう。


 思っている以上に歓迎されていると知り、嬉しい気持ちが大きい。でも、それと同時に変なプレッシャーを感じてしまう。


 五十年前ということは、ジャックスさんみたいな年配の方は、その当時のことを知っているはず。まだ未熟な私が薬草を栽培したら、変に比較されそうで怖い。


「あの、本当に私がここで薬草を栽培しても大丈夫ですか? 怒られたりしません?」

「心配するな。この場所を受け継ぐのに、レーネ以上の適任者はいないだろう」


 薬草で有名なアーネスト家の人間というだけで、無駄にハードルが上がっているように感じる。貧弱な私の姿を見て、畑を耕した人が落ち込まないか心配だ。


 ただ……、五十年前とはいえ、いったい誰が薬草栽培を。失敗したら瘴気が発生するから、植物学士の資格を持たない者は栽培できないと、法律で固く禁じられているのに。


 公爵家の敷地内で栽培するあたり、身元がしっかりした植物学士だとは思うけど。


「ところで、領主さ――あれ? リクさん?」

「日が落ちるまでには目処を付けてくれ。無理はさせられないからな」


 領主さまのことを聞こうしたら、すでにリクさんは背を向けて、屋敷に向けて歩き出していた。


 もしかしたら、夜ごはんの準備で忙しいのかもしれない。私ものんびりと休憩タイムに浸っていたが、やることはまだまだある。


 栄養補給もさせてもらったし、薬草に期待されているみたいだから、しっかりと頑張らなきゃ!

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