第4話:老兵ジャックス
生まれ育った故郷を離れ、一週間が過ぎる頃。冷たい風に身を震わせながら馬を走らせていると、ようやくベールヌイ公爵が治める街が見えてきた。
防壁に守られた大都市で、実家とは比べ物にならないほど大きい。山も森も近くにあり、川も流れているため、辺境地のような雰囲気を放っている。
でも、何より思うことは――。
「長かった……。まさか一週間もかかるとは」
急に追い出されて移動する距離ではないだろう。最低限の予定くらいは伝えてほしかった。
ただでさえ、馬と薬草の世話をして、荒くれ者の護衛たちを警戒しなければならない。その状態でいつ到着するかわからない街を目指すなんて、肉体的にも精神的にも厳しく、正直ヘトヘトとしか言いようがなかった。
唯一助かったのは、荒くれ者たちが私の携帯食と毛布を用意してくれていたことだけ。決して良い旅とは言えなかったが、生きて目的地に到着できて本当によかったと思う。
無事にベールヌイ公爵の元に薬草が届けられるという意味では、これで一安心してもいいのかもしれないが……。なかなかそうも言っていられない。
ここからが私の第二の人生の始まりなのだ。おばあちゃんとの約束を守るためにも、気を引き締めなければならない。
背筋をビシッと伸ばして、防壁に備えられた門に馬を走らせていくと、年配の男性が一人で近づいてくる。
騎士の格好をした体格の良い老兵で、頭に角を生やした怖そうな牛の獣人。片手で大きな斧を担ぎ、とてもパワフルで強そうなのに、左目に大きな傷痕が残っていた。
薬草を欲する理由は、こういった戦闘による負傷が多いからかもしれない。この地域はかなり危険なんだろう。
カサンドラの言葉を思い返す限り、化け物公爵が付けた傷かもしれないけど。
「待て。荷車に載っているものは薬草みたいだが、嬢ちゃんたちは何者だ?」
鋭い視線を向けられたので、私は馬を止めて、軽く一礼をした。
「お初目にかかります。私は、レーネ・アーネストと申します。この度は、ベールヌイ公爵より縁談の話をいただきましたので、薬草と共にやって参りました」
「俺は騎士団の副団長を務めるジャックスだが……。本当に嬢ちゃんがアーネスト家の令嬢で大丈夫か?」
ジャックスさんに警戒されるのも、無理はない。土で汚れたボロボロのドレスに、御者台に乗った婚約者が薬草を持ってやってきたのだ。
まだ、農家の娘が嫁いできた、と言われた方が納得できる。
「あぁー……やっぱりそう思われますよね。なんかすいません、このような感じで。支度金もいただいたんですけどね……」
しかし、こんな立派な都市を治める領主さまの元に嫁ぐと知ったばかりの私は、恐縮するしかない。恐れ多いとは、まさにこのことだ。
でも、荒くれ者の護衛たちは違う。荷物からゴソゴソと一枚の封書を取り出し、ジャックスさんに手渡した。
「こいつは間違いなくアーネスト家の娘だ。お前がベールヌイ公爵の者なら、ここに受け取りのサインをしろ」
「確かに、本物の証書だな。じゃあ、本当に嬢ちゃんがダンナの嫁さんなのか」
「あははは……」
乾いた笑いで誤魔化した私は、出だしで躓いたことを自覚した。
痩せた体に汚れた服装だけならまだしも、護衛の態度まで悪いとなったら、第一印象は最悪でしかない。
自分にできることは他になかったとはいえ、公爵家から支度金までいただいているので、申し訳ない気持ちが生まれていた。
ジャックスさんが証書にサインすると、荒くれ者の護衛たちは来た道を戻り、すぐに立ち去ってしまう。
証書にサインをもらった段階で、引き渡しは終わったと判断したに違いない。
普通は貴族令嬢が馬車から降りるまで付き添うはずなのだが……、肝心の私が馬にまたがっているのだから、それは無理な話かもしれない。
早くも知らない土地にポツーンと置いていかれた私は、ジャックスさんに身を委ねるしかなかった。
「嬢ちゃん、付き人は同行していないのか?」
この場に誰も残らなければ、ジャックスさんがそういう疑問を抱くのも、当然のこと。伯爵令嬢の嫁入りとなれば、最低でも一人は付き人が同行するだろう。
これでは、家臣に信頼されていない令嬢です、と言っているようなものだ。
よって、無理やり理由を作って乗り切るしかない。
「ベールヌイ公爵を信用しておりますので、誰も連れてきませんでした」
「……そうか。嬢ちゃんが良ければ、それでいい。こちらも事情を詮索するつもりはない」
本当は事情を詮索したい、と言わんばかりに表情が曇っているので、気遣ってくれているのは間違いない。
公爵家の副団長を務める者にとっては、それが普通の対応かもしれないが、私は久しぶりに人の心を感じられて嬉しかった。
どうやら怖い見た目とは裏腹に、ジャックスさんは優しい人みたいだ。
「立ち話もなんだ、まずはダンナの元へ案内しよう」
「あっ、お待ちください。突然で申し訳ないのですが、先に薬草を植栽させてもらえないでしょうか」
「構わないが、どう見ても嬢ちゃんは長旅で疲れているように見える。今は無理せずに休むべきだ」
疲れているのは事実だが、あまり悠長なことは言っていられない。貧弱な体格だから、余計に心配させてしまうんだろう。
「私のことはお構いなく。どちらかと言えば、薬草の方が疲弊しているんです。早く大地に返してあげないと可哀想です」
真剣な表情で訴えかけると、本当に植栽すると思っていなかったみたいで、ジャックスさんはポカーンッとしてしまった。
婚約の条件に薬草の株分けが含まれていたこともあり、薬草に対する気遣いが建前と思われたのかもしれない。
でも、薬草の状態を考えれば、本当に今すぐ行動したかった。
初めての移植にしては距離が遠かったし、狭い鉢植えの中で冷たい風を浴び続けている。過度なストレスをかけたまま放っておくなんて、できるはずがない。
私の体力と気力があるうちに、一刻も早く移植作業を進めるべきだ。
「丁寧に世話をしてきたつもりですが、すでに弱り始めているものがあります。薬草は繊細な植物なので、できる限り早く植えないと、今後の発育に影響が出るかもしれません」
「しかしだな……」
「この地で薬草が必要なんですよね? それなら、すぐに植えさせてください」
亡くなったおばあちゃんのためにも、自分自身のためにも、そして、この街の人たちのためにも。みんなの利害が一致している以上、断る必要なんてない。
ましてや、薬草が枯れたら、私との婚約なんて無意味になってしまうし……。そう思っていると、根気負けしたみたいで、ジャックスさんの頬が緩んだ。
「フッ。やっぱり嬢ちゃんはアーネスト家の人間なんだな。
「えっ? それはどういう意味で……」
「いや、何でもない。嬢ちゃんの気持ちは理解した。まずは植栽を済ませてもらうとしよう」
「はい、ありがとうございます。我が儘を言ってすいません」
「構わない。ダンナには俺から言っておこう。ついてきてくれ」
受け入れてくれたよかったーと思い、先導するジャックスさんの背中を見ながら、馬の手綱を握るのだった。
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