第3話:出発の時

 少し肌寒い翌朝。雲一つない青空が広がる中、私は荷車を運んでくれる馬の世話をしていた。


 ベールヌイ公爵の元へ向かうのに、自分で馬を走らせなければいけなかったからだ。


 いくら薬草や野菜を運ぶのに馬の扱いに慣れているとはいえ、まさか御者の手配をしていないとは。


 貴族令嬢が自ら馬車を走らせて嫁に向かうなんて、とんだ笑い話である。本当に自分が嫁ぎに行くのか、不安で仕方ない。


 父がガラの悪そうな護衛の人たちに金を渡している姿を見ると、余計にそう思ってしまう。


「大金で売れた娘だ。奮発してやるから、ちゃんと届けてくれ」

「チッ、訳アリ令嬢かよ。普通、俺たちみたいな荒くれ者に子守りを押し付けるか?」


 全くの同感である。もっと他に金を使うところがあるだろうと、強く言ってやりたい。


 まあ、今頃揉めるのも馬鹿らしいし、私は忙しくてそれどころではないが。


 馬にニンジンを食べさせた後、薬草の世話をするため、荷車の方に向かった。


「おはよう。今日はちょっと寒くなりそうだね。今日の水やりは、魔力濃いめ、水分多めにしておこうか」


 いつものように薬草に声をかけた私は、水魔法で手の上に水球を作り出す。


 しっかりと魔力を込めて、人肌くらいの温度まで調整した後、それを上空へと飛ばした。


 パァーンッ!


 甲高い音と共に水球が破裂すると、魔力のこもった水が雨のように降り注ぐ。


 薬草に水やりするときは、最初にまんべんなく水をやらなければならない。それがおばあちゃんの教えだった。


「水のおかわりが欲しい薬草はいるかなー」


 いくつかの薬草がガサガサと揺れたため、あとは個別に魔力のこもった雨を注いでいく。


 ……護衛たちの軽蔑するような眼差しを受けながら。


「本当に訳アリみてえだな。あいつ、やべえ奴じゃねえのか?」


 荒くれ者たちに言われたくはない。我が家では、薬草に話しかけるなんて当たり前のことだったんだから。


 もちろん、私だって人前でやりたくはない。年相応に恥ずかしい気持ちもある。でも、おばあちゃんの教えだし、彼らに構っていられるほど暇ではないのだ。


 こっちは薬草を移植させることで頭がいっぱいなんだから、干渉してこないでほしい。


 そんな私の思いが通じたのか、父がグッと眉間にシワを寄せて、荒くれ者たちを睨みつけた。


「本当にヤバいのは、こいつを買い取った方だ。化け物公爵の怒りを買うような真似は、絶対にするんじゃねえぞ」

「ケッ。厄介な仕事だな。依頼額の桁が違った意味がようやくわかったよ」


 本当にどこに金を使っているんだ、と思いながら薬草の世話を続けていると、屋敷の方から一人の女の子が近づいてくる。


 貴族令嬢らしいフリフリな寝間着を着て、眠そうに起きてきた義妹のカサンドラだ。


「ふわぁ~。お義姉さまの見送りに間に合ってよかったわ」


 可愛らしい義妹っぽいことを言うが、カサンドラが純粋に見送りに来るはずがない。いつも私を目の敵にして、不幸に陥れようとしてくるのだ。


 いま思えば、いつもカサンドラの一言から不幸が始まっていた。


『お義姉さまは外で薬草ばかり眺めてるから、部屋は不要ね。私が使ってあげるわ』

『どうせ畑仕事で服が汚れるんだから、中古で済ませた方がいいんじゃない?』

『寝不足でお義姉さまの顔色が悪そう。食事が喉を通らないみたいだから、固パンだけにしてあげて』


 こうして部屋も服も食事も……薬草以外のすべてを奪われ、義妹のものに置き換わってしまった。


 もちろん、私も初めは反抗している。でも、カサンドラに反抗すると薬草畑を荒らされるので、いつしか反抗しなくなっていった。


 だから、わざわざ早起きまでして見送りにくるカサンドラに嫌な予感がしている。


「どうかしたの? カサンドラに見送られるとは思わなかったわ」

「そんなことないよ。だって、これがお義姉さまと話すのチャンスなんだもの」


 不気味な笑みを浮かべるカサンドラの言葉を聞いて、昨日の話し合いを思い出す。


 家族全員が死ぬことを前提にしていた婚約のこと、を。


「お義姉さまは知らないと思うけど、ベールヌイ公爵と言ったら、黒い噂が絶えない残虐な方よ。家臣を傷つけるだけならまだしも、殺したこともあるんだって。妻として迎えられるお義姉さまは、どうなるのかなー。うふふふ」


 とても嬉しそうに話すカサンドラは、私が心を痛める姿を見て、快楽を得る傾向にあった。


 僅かな希望を抱いて実家を出ることも、この子は許してくれない。今よりも酷い状況に陥ると、絶望の未来を伝えて、面白がっている。


 そんな義妹が一番怖いと思っている私が、薬草に興味を持つベールヌイ公爵に恐れを抱くことはない。


 むしろ、これで本当に家族と離れることができると知り、安堵する気持ちの方が大きかった。


「どうしたの、お義姉さま。そんなに嬉しそうな顔をして。あはっ。もしかして、ついに狂っちゃったの?」


 目を輝かせるカサンドラに、私の素直な気持ちを伝える必要はない。適当に話を合わせて、うまくやりすごすことにした。


「そうかもしれないわ。いろいろと教えてくれてありがとう。何も知らずにベールヌイ公爵の元に向かうところだったわ」

「いいのいいの、気にしないで。ふわぁ~……。最後の最後でお義姉さまを壊せたことだし、私はもう一眠りしてこようっと」


 満足そうに屋敷へ戻るカサンドラを見ても、私の心は落ち着いている。


 どんなことを言われても、私は最後まで義妹のような歪んだ心化け物にならなかった。半分血が繋がっている身としては、その事実にホッとしている。


「おい、レーネ。出発の準備ができた。早く御者台に乗って出発しろ」

「……はい。わかりました」


 父たちの話し合いがまとまり、出発の準備を終えると、私は御者台に乗って馬の手綱を握る。


 悪路を避け、馬を丁寧に扱い、薬草に強い衝撃を与えない。そのことを強く意識して、いつも通り馬を走らせるのだった。

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