第14.5話 教師という仕事

     1


 その日の夜、ぼくは坂口先生に呼び出されていた。

 呼び出された先は学校ではなく、先生の家だ。

 先生はぼくと同じアパートに住んでいるため、クラスで何かあるとぼくが呼び出されることになる。スパイみたいなものだろうか。


 この日、ぼくが先生の部屋に行くと、テーブルの上にはすでにビールの入ったコップが置いてあった。


「よく来てくれたな、白雪」

「もう飲んでるんですか? せめて、ぼくが帰るまで我慢しませんか?」

「無理。ビールを飲むことを考えながらじゃないと、サービス残業には耐えられない。だから、家に到着したら、即ビールを飲まずにはいられなくなるんだよ。飲まずに教師なんてやっていられるか!」

「はいはい」

「まぁ、そこに座ってくれ。つまみは適当に食べてくれていいぞ」

「いただきます」


 ぼくは先生の正面に座り、テーブルの上に置いてあった焼き菓子を食べる。

 最初のころは遠慮していたが、もうすっかり慣れてしまった。

 坂口先生は、ビールを一口飲んでからぼくに尋ねる。


「それで、私の授業はどうだ?」

「そうですね……。まぁ、普通です」


 坂口先生は国語教師だ。

 その授業内容は、良くも悪くも普通。

 まぁ、それも仕方がないだろう。


「そもそも、国語って面白くなる要素がないじゃないですか」

「国語教師にそれを言うか」

「事実ですから仕方がありません。論理的説明も出来ますよ」

「ほう、やってみろ」


 坂口先生は、ぼくに視線を向ける。

 それでも、酒から手が離れてはいないが。


「そうですね。例えば、ここでぼくと先生が一緒に映画を見ているとしましょう」

「うんうん」

「で、事あるたびにぼくは一時停止を押します。そして、そのシーンの時代背景について語ったり、登場人物の心理状況について先生に質問したりするとします。ちなみに、先生からの回答がぼくの考えと違ったら文句を言います」

「ああ、そういうことか」

「はい。?」

「楽しいはずがないな」


 それが国語の授業なのだ。

 小説の一部を抜き出し、さらに細部について考察を求める。

 そこに文学を楽しむという要素は存在しない。


「実際のところ、私もそれには気づいていた。そもそも、私が教えているのは『国語』であって『文学』ではないからな。小説も論文も、すべて日本語という言語を学ぶための材料でしかない。建前上は文学も国語に含まれているのだろうが、それは作者の名前と作品名を暗記させる程度にとどまる」

「バラエティー番組に出まくって、本業を誰にも知られていないスポーツ選手みたいな扱いですね」

「……ん、どういうことだ?」

「教科書に載ってるような人たちの作品も、人に読んでもらうために存在するはずです。でも、実際は、テストで答えるために作者の名前と作品名を暗記されるだけ。本文は全く注目されない。そういう本末転倒なところを例えてみました」

「分かりにくいな」

「そうですか?」

「酒が入ってなかったら、分かるのかもしれないな。まぁ、いいや。それで、国語の授業はつまらないか。それは仕方がないな。私も教えていて、わざと『活字嫌い』を作り出そうとしているんじゃないかと思うよ」


 これが先生の本音だ。

 この人は最初の授業でこう言っていた。


『高校教育での国語はつまらない』

『国語の授業が存在するのは、テストで点を取るためだ』

『とりあえず、漫画とラノベを読め』

『それで、気が向いたら純文学でも読んでみろ』


 これが、この先生のスタンスなのだ。

 国語の授業はテストで点を取るために存在する。

 そう割り切ることを、最初に要求していた。

 極めつけには――。


『国語のことは嫌いになっても、小説や論文のことは嫌いにならないでください』


 なんて言ったりもしていた。


「で、白雪の持論は?」

「そもそも、勉強ってつまらないものじゃないですか。知ることの楽しさ、とかいう人もいますけど、それは知りたいことを知る楽しさであって、どうでもいいことを知る楽しさじゃないはずなんです。興味のない内容とか、近所のおばさんの世間話を延々と聞かされるようなものですよ。それなのに、その内容をしっかり覚えないといけないとか」

「だよな~」


 坂口先生は、机に頬杖を突きながら言った。

 生徒の前で油断しすぎじゃないだろうか、この人。

 まぁ、話は聞いてくれているようだから、続けよう。


「先生は、地面に穴を掘らせる拷問って知ってますか?」

「何だそれ?」

「対象者に、一日かけて穴を掘らせるんです。そして、それが終わったら、その穴を埋めさせる。埋め終わったら、また穴を掘らせる。これを延々と続ける拷問です。対象者の士気をそぐことを目的としたものですね」

「確かに、それはやる気をなくすな」

「小中高の勉強って、これに近いものがあると思うんです。何のために勉強をするのかも分からないまま、ただ言われた通りに面白くとも何ともない知識を詰め込む。興味があるわけでもないから、そのうち確実に大半を忘れてしまうであろう知識を、頑張って脳みそに詰め込む。それを毎日繰り返すんです」

「授業は拷問か?」

「私見ではそうなります。だから、逆に考えれば、日本人ってこういう拷問、割と楽々クリアできちゃうんじゃないかな、なんて思うんです」

「はぁ、成程なぁ」


 先生はコップを空にして、テーブルの上に置く。

 ここまでは、ただの雑談だ。

 本題に入る前に、酒を体に入れてエンジンをかけるタイプの人。

 それがこの人だ。


「なかなか面白い考察だったよ」

「で、今日は何故ぼくを呼び出したんですか?」

「あー、それな」


 まぁ、内容はすでに予想がついている。

 今日の出来事を考えれば、呼び出した理由は一つしかない。

 その予想通りのセリフを、先生は言った。


「霧ヶ峰のことだ」


     2


 霧ヶ峰さんの騒動。

 言われるまでもなく、教室内で三原をこけさせた件だろう。

 適当なことを言って有耶無耶にはしたが、担任教師としてそういうわけにもいかないらしい。


「事実関係を確認しておきたくてな。実際のところ、霧ヶ峰は三原に手を出したのか?」

「……それを確認する理由は何ですか?」

「霧ヶ峰を責める気はないよ。実際問題、あのクラスにいじめらしきものが存在することは私も把握していた。だが、中々私の目の前で尻尾を出さなくってな。出したとしても、それを『いじめ』と認定して、いじめている側を糾弾することも難しい」

「担任教師なのにですか?」

「担任教師だからだよ。子供の裏には親がいるからな。下手な対応をすると、こちらの身が危ない。だから、生徒である霧ヶ峰が介入してくれたことはありがたく思っているよ。それに、申し訳なくも思っている。だから、何かあった時に霧ヶ峰を助けられるように事実を知っておきたいんだ」


 確かに、霧ヶ峰さんを助けるためには、事実を知っておいたほうがいい。

 それに、この先生は信用できる。

 このぼくが信用しているのだから、間違いない。


「……分かりました。実際のところ、三原がこけたのは霧ヶ峰さんが三原の座った椅子を倒したからです。動機は、いじめを止めるため。もしくは、いじめをしている三原を懲らしめるため」

「分かった。それを確認しておきたかったんだ。事実を知らなければ、いざというときに霧ヶ峰を守れないからな」


 それを聞いて、ぼくは少し安心していた。

 少なくとも、この人は霧ヶ峰さんの味方をしてくれている。

 人間関係において、味方は一人でも多いほうがいい。


 そんなことを考えていると、坂口先生は大きなため息をつい。

 そして――。


「なぁ、白雪。

「……ノーコメントです」


 なんとなく、ここで肯定してはいけないような気がした。

 肯定したら、先生を支えていた何かが崩れてしまう。

 そんな気がした。


 坂口先生が、自棄になるのは珍しいことではない。

 弱い人間というわけでもないこの人に、ここまでのセリフを吐かせてしまう。

 それほどまでに、ストレスの多い仕事なのだろう。


「……悪かった。今のは、ウザかったな」

「気にしないでください」

「ん……」


 坂口先生は、そう軽く返事をしてから、背もたれに体重をかけた。

 そして、ゆっくりと眠りに落ちて行った。


 こういうパターンは、これまで何度かあった。

 坂口先生は、体力がない癖に、仕事は全力でこなしている。

 だから、学校から帰ると満身創痍状態になってしまうのだ。

 酒でも飲まなければやっていられないほどのストレスが溜めながら。


「お疲れ様です」


 ぼくはそう言うと、部屋の電気を消した。

 そして、テーブルの上から鍵をとり、部屋から出る。

 玄関ドアのカギを閉め、郵便受けから部屋の中に入れる。


 まったく、教師というのは大変な仕事だ。

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