第2話 隣の家に美少女が引っ越してきた

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 事の始まりは、引っ越し業者だった。

 ぼくの住むアパートの隣の部屋は、しばらくの間空き家になっていた。


 隣の部屋への騒音や、隣の部屋からの騒音に気を使わなくて済むため、隣に人がいないというのはありがたい状況だ。


 だが、大家も伊達や酔狂でアパート経営をしているわけではない。

 そこには『利益』という明確な目標がある。彼らは利益のために努力を惜しまない。


 だから、ぼくの隣室がいつまでも空き部屋のままということにはならなかった。


 ある日、ぼくが学校から帰ってきて階段を上ると、四階の通路に引っ越し業者の姿があった。

 緑色の作業着を着ており、今はベッドを家の中に運び込もうとしている。

 そのため、共用の廊下部分がふさがれてしまっていた。


 その作業が行われているのが403号室。

 ぼくが住んでいるのは、その隣の405号室だ。


 部屋にたどり着くにはどうしてもこの通路を通らなければならない。

 ぼくはそこで一旦止まり、ベッドが運び入れられるのを待った。


 それに気づいた引っ越し業者がぼくに謝罪の言葉をかける。

 すると、それに気づいたのか部屋の中からスーツ姿の女性が出てきた。


 髪を後ろできつめに纏めた、いかにもキャリアウーマンといった感じの女性だ。

 年齢は二十代半ばくらいだろうか。


 体のラインに沿った細いパンツスーツが、いかにも『出来る女』といった雰囲気を醸し題している。細い黒フレームの眼鏡をかけており、それが顔の作りの細やかさを強調している。


「ああ、ごめんなさい。ちょっとだけ待ってください」


 特に申し訳なさそうな表情を浮かべることもなく、その女性は淡々とぼくに謝罪した。

 まぁ、特に誰が悪いというわけでもないのだから、仕方がない。


 女性に先導され、引っ越し業者たちはベッドを部屋の中に運び入れて行った。


 ふさがれていたスペースが開き、通れるようになったためぼくは自宅へと向かった。

 403号室を通り過ぎながら、横目で部屋の中の様子をうかがうのは忘れない。

 ぼくの『眼』をもってすれば、一瞬見ただけでも様々なことが分かる。


 403号室の中には、引っ越し業者と先ほどの女性の他に、スーツを着た人が数人いた。

 運び込まれているのは机、椅子、冷蔵庫、先ほどのベッドなど。

 一般的な生活に使うと思われるものばかりだ。


 部屋の中に居るメンバーから考えれば、個人の引っ越しというよりは、事務所の開設といったような雰囲気だ。


 403号室で事業でも始めるのだろうか。

 今はネットが発達した時代だから、アパートの一室を事務所にするというのも考えられないこともない。


 だとするとあのベッドは何だろう。泊まり込み用だろうか。


 とりあえず、今分かった情報はこの程度だ。

 急いで情報を集める必要もない。


 怪しいことでもしていない限り、隣が何者なのかはそのうち分かるはずだ。

 なんにせよ、うるさくするのは勘弁してほしいところだ。


 403号室を通り過ぎたぼくは、自宅のドアのカギを開け家の中に入る。

 そして、施錠してから自分の部屋へ向かった。


 荷物を下ろしてから、楽な部屋着へと着替えてからベッドで横になる。

 ベッドの端には、昨日読みかけになっていた小説が置いてあった。

 それを手に取って、読み進め始めた。


 物語は未だ中盤。主人公たちの目的がようやく見え始めたあたりだ。

 おそらく、今日中に読み終えることが出来るだろう。


 隣の部屋からは、荷物を動かしたりする音が響いてくる。

 その音を聞きながら、ぼくは物語の中に没頭していった。


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 ピンポーン。

 ぼくが家に帰ってきてから一時間程度が経過したころ。

 チャイムの音がなったことで、ぼくの意識は小説から現実に引き戻された。


 特に誰かが来る予定はないはずだ。考えられるとすればセールスだろうか。

 だったら、居留守でいい。


 そこまで考えてから、隣に新しい住人が来たことを思い出す。タイミングから考えれば、十中八九チャイムを押したのは新しい隣人だろう。気が付けば、隣の部屋からしていた物音もやんでいた。


「さて、どうするかな……」


 現在、この家にはぼくしかいない。

 小説がクライマックスに差し掛かっていることもあり、居留守を使いたいところだ。

 だが、ぼくがこの家に帰ってきているのを隣の家の関係者に見られてしまっている。


 仕方ない、出るしかないか。

 ぼくは重い腰を上げ、まずドアののぞき窓から様子をうかがう。

 先ほどのスーツの女性がいるのではないかと思ったが、そこに居たのは別人だった。


 白いワンピースを着た女性。

 身長は女性にしても低めで、150㎝程度だろうか。

 限られた視界から見た限りでは、結構若め。


 なかなか反応がないから、途惑っているらしい。

 隣の部屋の方に向かって何か話をしている。


 小声なので聞き取れないが、かすかに見える表情は不安げだ。

 このまましばらく放っておいて様子を見てみたいと思ったが、それは止めておくことにした。


 ぼくは覗き窓から少し離れると、ドアの外に向かって声をかける。


「はい、どちらさまですか?」

「あ、あの、隣の403に引っ越してきた者です。挨拶、あ、引っ越しの挨拶に参りました」


 それを聞き、ぼくはドアを開ける。

 女性は、少しだけ緊張したような表情をこちらに向けた。

 それを見て、思わず息をのむ。


 姿


 年齢はよく分からないが、おそらく若めだ。

 眉目秀麗な顔つきには、やや幼さが残っているが、それが育ちの良さを感じさせる。


 日をあまり浴びていないのか、肌は驚くほどに白い。

 まるで物語に出てくる清楚な『お嬢様』がそのまま現実に飛び出してきたかのようだった。


』という言葉が似合う人間を初めて見た。

 うん、いるところにはいるんだな。


「あの、隣に引っ越してきた、といいます」

「あ、どうも。白雪です」

「この度は、よろしくお願いします!」


 霧ヶ峰さんは、そう言いながらガバッと頭を下げた。


「こちらこそ、よろ――」

「これ、つまらないものですが!」


 ぼくが言い終わる前に、霧ヶ峰さんは、手に持っていた箱をぼくに向けた。

 全体的に動作がぎこちない。

 実際、頭はさっきから下げっぱなしになっている。


 隣への挨拶って、そこまで緊張するイベントだろうか。

 ぼくはとりあえず、その箱を受け取った。


「どうも、ご丁寧に。ありがとうございます」

「それでは、今後、こん、今後とも、よろしくお願いします。では、失礼します」


 そのお嬢様(仮)は、一礼してから、やはりぎこちない動きで隣の403号室に入っていった。

 ぼくはドアを閉めると、箱をリビングのテーブルの上に置いた。


 彼女のことを思い浮かべる。

 かなりの美人だった。

 もしかしたら、これから仲良くなれるかもしれない。


 そんなことを少しだけ期待してしまった。

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