第10話 名前

 最近、気付いたことがある。

 神永かみなが先輩は「先輩」と呼ぶより、「部長」と呼んだときの方が心なしか嬉しそうな顔をする。だから、最近は彼女のことをなるべく「神永部長」もしくは「部長」と呼ぶようにしている。

 そうしていると、今度は部長が僕のことを「歩夢あゆむくん」と呼ぶようになった。呼び名を変えたことで親しみを感じてくれたのかもしれない。先輩から部長への変化なんて親しみを感じるような変化ではないと思うのだが。

 樋口ひぐち先輩は逆に、「副部長」よりも「先輩」と呼ばれる方が良いようだ。理由を訊くと、「恥ずかしいから」と言っていた。ちなみに、僕の呼び名は依然いぜんとして「南田なんだくん」のままだ。呼び名に変化はないが、入部当初と比べると彼女ともいくらか親しくなれたんじゃないかと思う。

 神永部長と樋口先輩以外の四人の部員には未だに会えていない。そのうち会わせるからと言われ続けているが、それはいったいいつになるのか。

 新入部員である僕の存在は、既に彼らに話しているらしい。なんでも、彼らも僕の入部を歓迎してくれているそうだ。

 でも、だったらどうして部室に来ないのか? 嫌われてるんじゃないか?

 不安が湧いてくる。しかし、それを部長たちに相談しても、はぐらかされるだけだ。僕にできるのは、彼らが部室に来るのをただひたすら待つことだけだ。

 ちなみに彼ら四人に対しては、神永部長も樋口先輩も名字呼びらしい。向こうからも同様らしいので、普通に同級生で同じ部の部員くらいの関係性なのだろう。ドライにも感じたが、彼らについて語る先輩たちからは少なくとも険悪な雰囲気は感じられなかった。

 彼らと無事に知り会ったら、僕は彼らを「先輩」と呼ぶのだろうと思う。


 呼び名といえば、僕は幼い頃から「南田」と名字を呼び捨てされることが多かった。例の説明会に一緒に参加したことで連帯意識れんたいいしきを感じるようになった青木くんや、あれ以来よく話すようになった堀田さんも、僕のことを「南田」と呼ぶ。

 小学生の頃はそれが嫌だった。「なんだ」という響きが「お前は何だ」と高圧的に問い詰められているように聞こえたからだ。今では南田家に生まれた定めと割り切っているが、当時の僕はそれがとにかく嫌だった。

 現代において名前を変える方法はいくつかある。合法なもの、非合法なもの、いろいろと。

 名前を変える方法で真っ先に思いつくのは結婚だろうか。夫婦別姓を選択しない場合、結婚した男女は名字を夫もしくは妻のどちらか片方のものに揃える。

 それか、役所に行き改名の手続きをする。近年は俗に言うキラキラネームの増加によりそれほど珍しい手段ではなくなったと聞く。

 ただ、どちらにせよ当時小学生の僕が選択できる手段ではなかったし、他の方法も思いつかなかった。

 ……という話を神永部長にしたところ、彼女は笑ってこう言った。

「行政上の名前にこだわらなければもっと簡単よ。だって好きな名前を勝手に名乗れば良いだけなんだから。作家ならペンネーム。芸人なら芸名ってあるでしょ。いまどき、誰でもSNSを利用しているんだから名前が複数あるなんて普通よ」

 確かにその通りだ。当時の僕にその柔軟さがあればあんなに悩まなかったのだろうと思う。

 部長は続けてこう言う。

「なんだったら、歩夢くんの新しい名前を私が付けたげようか?」

 それはなんだか面白そうだ。

 僕が「ぜひ」と言うと、部長はニヤリと笑って考え始めた。

「そうねぇ……。たとえば、歩夢くんの『夢』の字をもらって『ハッピードリーム』なんてどう?」

 だっさ! と、口にしそうになって、すんでの所で我慢する。

 ハッピードリームって、宝くじか何かにありそうな名前だ。そんな名前を名乗りたくない。そもそも、ドリームはまだしもハッピーはどこから持ってきたんだ……と、ここまで考えて、僕は気付く。

「……入信はしませんよ」

 そう言うと、部長の表情が変わった。

「気付いちゃった? 良いハッピーネームだと思ったんだけどな」

 部長は悪びれる様子もない。

「まったく、危ないところでした。油断も隙もない」

 ハッピーネームとは恐らく、洗礼名せんれいめい戒名かいみょう法名ほうみょうなどと同じようなものだろう。要するに、その宗教の信者としての名前。もし、その名前をもらっていたらスーパー・ベリーベリー・ハッピー教の信者として扱われてしまうところだった。

 今日もSVH部は平和そのものだ。

 僕は親からもらったこの名前を大切にしようと心に決めた。

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