第8話 オバケ

 僕がSVH部に入部してしばらくしたある日のことだった。

 いつものように放課後、部室にやって来ると、挨拶もそこそこに神永先輩から質問を受けた。ちなみに樋口先輩はまだ来ていないようだ。

「南田くんってオバケとか信じるタイプ?」

 僕は部室の中央に配置された机に向かうと、カバンを下ろしながら聞き返す。

「なんですか? やぶからぼうに」

「いや、ね。南田くんはどっちなんだろうって思って。……ほら、後輩とのコミュニケーションは大切よね」

 どうやら何か隠しているようだ。コミュニケーションを取るにしたっていくらなんでもこれはないだろう。普通、聞くなら好きな食べ物とかじゃないか?

 ただ、神永先輩から悪意は感じられなかったので、自分の直観と神永先輩を信じて答えることにした。

「まあいいです。……それで何でしたっけ? 幽霊ゆうれいを信じるかでしたっけ?」

「幽霊じゃないわ。オバケよ」

 神永先輩は即座にピシャリと訂正する。

「? 何か違うんですか?」

 たまに忘れそうになるが、神永先輩は新興宗教の教祖だ。きっと何かしらのこだわりがあるのだろう。

「そっちの方が可愛いじゃない」

「あっ、そうですか……」

 肩の力が抜ける。

「それで? 南田くんはどっちなの?」

 僕は考える。さて、何と答えるべきか。思ったまま正直に答えて良いものか。初対面の説明会でのことがあったので無意識に構えてしまう。

 だが多分、今回は正解はない。少し考えて正直に思ったまま言うことにした。

「んー、いないんじゃないですか?」

「その心は?」

「だって、本当にいるならとっくに科学的に存在を証明されているでしょ」

「でも、オバケが存在しないことだって証明されてないよ」

 存在を証明するより、存在しないことを証明する方が難しい。こういうのを悪魔の証明と言うのだったか。

 このアプローチは諦めよう。

「僕って、自分の目で見たことのあるものしか信じられないんですよ……」

「それは南田くんに霊感がないだけじゃない?」

「もし存在するならそこら中オバケだらけ……」

「全部が全部、現世に留まるわけではないよね」

「オバケの正体はプラズマってYouTubeで……」

「ソースが弱くない?」

 降参だ。この先輩を口で言い負かせる気がしない。まあ正直、オバケが存在しようが、存在しまいがどちらでも一向に構わないのだがなんだか悔しい。

「そもそも、オバケっていったい何なんでしょうね? 確か、未練みれんを残して死んだ人間が成仏じょうぶつできなくて……みたいな奴ですよね」

 漠然ばくぜんとした知識しか持っていないのが恥ずかしいが、知ったかぶりしても仕方ないだろう。この人の前で今更かっこつけてもしょうがない。

 すると、神永先輩は答える。

「私だって専門家じゃないから正しいことはわかんないけど、だいたいそんな感じで合っていると思うわ。死んだ後も魂だけこの世に残っちゃうってやつ」

「そうですか……」

 なんだか今日はいつもより説明があっさりだ。こういう話題は先輩の得意分野のはずだ。いつもなら長々とうんちくを語るのに。

 やっぱりなにか隠してる?

「話は少し変わるけど、南田くんって死後の世界とか信じる?」

 今度は話題を変える。これは確定だろう。

 僕はちょっぴり意地悪な答え方をする。

「もしオバケが存在するのなら、そっちも存在するんじゃないですかね」

「ふーん。了解。なるほどね」

 神永先輩は小さく頷いた。何が「なるほど」なのか。

 少し不安になって今度は僕から訊ねる。

「というか、神永先輩はどうなんですか? 先輩はオバケとか、死後の世界とか、信じてるんですか?」

 すると、神永先輩は「さぁ?」と可愛いらしく小首を傾げた。

「あるかもしれないし、ないかもしれないよね」

「それってズルくないですか?」

「ズルくないわよ。これだって立派な一つの死生観しせいかんだもの」

 なにやら聞き馴染みのない言葉が聞こえたが、その意味を問う前に神永先輩は立ち上がってしまった。

「ちょっとお手洗いに」

 そう言うと、神永先輩は扉を出て行ってしまった。いったい何だったのか?

 神永先輩が出て行くと、今度は少しして入れ違いに樋口先輩が部室に入ってきた。

「お疲れー」

「お疲れ様です」

「あれ? 杏珠は?」

 神永先輩はトイレに行ったと、僕は説明する。

 そのついでに、神永先輩の不思議な言動も報告してみる。樋口先輩なら神永先輩の意図がわかるかと思ったのだ。

 すると、僕の報告を聞いた樋口先輩は「なるほど。そういうことね」と言って一人で頷いた。どうやらわかったようだ。

「どういうことですか?」

 すかさず訊ねると、樋口先輩はもったいぶることなく説明してくれた。

「杏珠はね、これから一緒に活動するにあたって南田くんの宗教観しゅうきょうかんを把握しておきたかったんじゃないかしら。宗教ってどこに地雷あるかわかんないから」

「……?」

 説明を受けてもよくわからない。

「この世には幽霊の存在を否定する教団がある。豚肉を食べられない教団がある。輸血を禁止する教団がある。いろんな教団があるからね。南田くんに自分の教団の禁忌きんきを犯させてしまわないよう、探ってくれてたんだよ」

「僕は無宗教で、そんなのないんだから直接訊いてくれれば良かったのに……」

 そこまで言って、僕は思い至る。

「気付いた?」

「はい」

 そうだ。僕は先日、スーパー・ベリーベリー・ハッピー教の勧誘を断っている。その際、勧誘されないため、宗教をわざと避けるような態度も取った。

 そのせいで余計に気を遣わせてしまったのだろう。

「まあ、変なことを企んでるわけではないと思うから安心して」

「はい。もちろん」

 僕は頷いた。神永先輩にも後で謝らないといけないな。

 神永先輩がなかなか帰ってこないので、樋口先輩にも質問をぶつけてみた。

「ちなみに、樋口先輩はオバケとか死後の世界とか信じてますか?」

「もちろん」

「どうしてですか?」

「だって、あるって思ったほうが面白いからよ」

 宗教はいろいろ。思想もいろいろ。

 いろんな考え方もあることを、今日、僕は学んだ。

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