第6話 躊躇

「いい加減に進まないとなぁ……」

 SVH部に勧誘されたあの日から一週間経過した放課後。今日もSVH部の部室の扉の前で僕は呟く。その手は扉にかけられたまま止まっていた。

 勧誘された日の翌日、僕はSVH部の部室へやってきた。入部するか否かについて僕の決意を伝えるためである。

 しかし、やってきたと言ってもそれは扉の前まで。その日はついぞ部室の中に入ることは叶わなかった。怖じ気づいて、扉を叩く前に逃げ帰ってしまったのだ。

 それから約一週間。僕は扉の前で立ち止まり続けてきた。

 正直、そろそろ終わりにしたい。だが、その勇気が出ない。

 まったく、つくづく僕は意気地無いくじなしだと実感する。

 どうせ今日も失敗するだろうとわかっているのにこうして部室の前に来るのは、ここに来ればいきなり不思議な力が湧いてきて決心が付く、もしくは、扉が突然開いて先輩が現れ、「南田くんじゃないか。入部するのかい?」とでも言われて強制的に入部させられる、みたいな楽な展開を期待しているからだ。

 クラスメイトの多くはもう既に部を決めたらしい。僕だって、SVH部を諦めて別の部を探すにしても早くしないとタイミングを逃してしまうだろう。

 それなのにこんなにこだわっているのは、この部に未練があるという証拠だろう。入部するか否かは僕の中で結論が出ている。あとは扉を叩く勇気だけだ。

 それがわかっているのに、僕はこの一歩が踏み出せない。

「……んー、駄目だ」

 結局、いつまで経っても勇気は湧いてこないし、中から先輩たちも現れない。

 今日はもう駄目だ。こんな所に突っ立っていては邪魔だ。どうするかは明日考えればいい。そういえば教室に忘れ物をしていた。

 保留することが頭をよぎった途端に逃げる言い訳が沢山湧いてきて、そんな自分に辟易へきえきする。とはいえ、このまま粘っても時間の無駄なのがわかりきっていたので、ひとまず僕は教室へ向かう。

 忘れ物を取りに教室に戻ると、中では一人の女生徒がなにやら作業をしていた。

 僕は引き戸を開ける。ガラガラという音が鳴り、それ反応して顔を上げた女生徒と目が合った。彼女の名前は堀田沙梨ほったさり。このクラスの学級委員長だ。

「忘れ物?」

「そんな感じ……です」

 僕は正直、彼女が苦手だった。女子にしては高い身長に、切れ長で意志の強そうな目。背筋はいつもまっすぐのびていて、見るからに自信に溢れている。入学したばかりなのにクラスメイトから学級委員に推薦されるほどの人望があり、部活はバレー部らしい。彼女は僕が最も苦手とするタイプの人間だった。

「青木を見なかった? 授業のプリント仕分けないといけないんだけど」

 質問を投げかけられ、肩が強ばる。青木くんもこのクラスの学級委員だ。

「部活では?」

 変にかしこまってしまい、言葉遣いがおかしくなってしまった。

「ええ、またぁ?」

 堀田さんは大きくため息をついた。

 そういえば、同じ学級委員でも青木くんが仕事をしているのを見たことがない。クラスの仕事はいつも彼女がしている印象だ。

 どうやら、人望があるのも良いことばかりではないようである。そんなことを考えた折である。


「だったら僕、手伝おうか」


 間違いなく自分の口から発せられた言葉なのに、その発言に僕が一番驚いた。完全に無意識で出た言葉だった。

「いいの?」

 堀田さんは目を見開いている。

 一度口から出た言葉は戻らない。自分の言葉の責任は持つべきだろう。

「……ああ、うん。用事無いし」

「えっと、ありがとう。助かるわ」

 堀田さんの顔がパッと華やぐ。

 なんだ。勇気を持って一歩踏み出すとは、こんなに簡単なことだったのか。僕は驚くと同時に、肩すかしを食らったような気分になった。

「アタシ、南田に嫌われてるのかと思ってた。なんとなく避けられてた気がしてたし」

「そ、そんなことないよ」

 堀田さんの正面に座り、分担しながらそれぞれプリントを仕分け、まとめる。堀田さんが一人で挑む羽目になりかけていたその作業は意外と量があった。

「アタシってさ、いつも仕事押しつけられるのよね。学級委員もほとんど押しつけられたようなものだし。頼まれたら断り切れないから」

「皆が仕事を回すのは堀田さんを信頼してるからだよ。それと、断らないのは堀田さんが優しい人だっていう証。……まあでも、それにしても頼りすぎだけどね。今度から何かあったら言ってよ。僕で良かったら、いつでも手を貸すから」

「……ありがと」

 そう言って、堀田さんは恥ずかしそうに顔を伏せる。

 僕も彼女に対する苦手意識は既に消えていた。

「そういえば、南田は何か部活入らないの?」

 堀田さんが作業の手をそのままに訊ねてくる。

「悩み中かな」

「ふーん。そう。……そういや、聞いた? えっと、あの……カルト部――じゃなくって何だっけ?」

「もしかして、SVH部のこと?」

「そうそれ。今度、廃部になるかもなんだって」

「えっ? それって本当?」

 僕は驚きのあまり立ち上がりかけたが、すぐに思いとどまって腰を下ろす。幸い、正面の堀田さんは僕の動揺に気付いていないようだ。

「ホントらしいわよ。と言ってもアタシも先輩から噂を聞いただけなんだけどね。まあでも、部員は二人しかいないらしいし、たいした活動もしてないらしいし、そのうえ怪しすぎるしで、廃部も当然でしょうね。去年は先生たちの手伝いをして大目に見てもらってたそうだけど、さすがにずっと特別扱いは出来ないでしょうって。先輩が言ってた」

 僕がSVH部に勧誘されていることを堀田さんが知っているはずがないので、きっと彼女は世間話のつもりで、偶然この話題をチョイスしたのだろう。

 だが、僕にとってそれは結構な大ニュースだった。

「……部活って何人からだっけ?」

「さあ? でも確か、生徒手帳に書いてあったはずよ」

 そう言って堀田さんはスカートのポケットから生徒手帳を取り出し、部活動について書かれている部分を開いてくれた。

 プリントはもういいのかと思ったが、彼女の分は既に終わっていた。仕事が早い。

 もしかして、僕の助けはいらなかったのでは?

「えっと……五人以上の部員と顧問の先生が必要だそうよ」

「そうなんだ……」

 SVH部は部員が神永先輩と樋口先輩の二人しかいない。顧問だって存在するのかわからない。しかも、活動内容が「幸せを追い求める」といういかにも怪しいものだ。いつ廃部になってもおかしくないようにも思える。

 そんなことを考えていると、堀田さんは「あっ!」と言って手を叩いた。

「もしかして新しい部活作るつもり? まあ、部室に空きができるわけだし、それも良いんじゃない。応援するわよ」

「そんなんじゃないよ」

「またまたぁ。隠さなくても良いじゃない」

 早合点する堀田さんをいなしながら、僕は考える。

 ……そっか、廃部になってしまうのか。

 心の中で「廃部」という言葉を何度も咀嚼そしゃくする。

「……ところで。アタシ、この後これを職員室に持っていかないといけないんだけど、南田はどうする?」

「ごめん。用事を思い出したんだ。持っていくのは付き合えない」

「そうなの……」

 堀田さんは一瞬だけ残念そうな顔をしたように見えたが、すぐに元の自信に溢れた凜々りりしい顔に戻った。

「いいわよ。そっちに行って。おかげですごく助かったわ。ありがとう」

 もしかしたら、残念そうに見えたのは見間違いだったのかもしれない。

 ただどちらにしろ、僕には今すぐ行かねばならない場所があった。

 堀田さんと別れ、僕は廊下を歩き出す。そして、次第にいても立ってもいられなくなって早足になり、しまいには走り出した。先生に見つかったら怒られてしまうだろう。

 神永先輩は言っていた。信仰とは自分の正義の背中を押してくれる存在だと。もしかしたら、堀田さんが困っているのを見た時にスッと言葉が出たのも、そのおかげだったのかもしれない。

 だとしたら今、僕が走っているのもそういうことだ。

 目的地にたどり着いた僕は、ノックもせず扉を勢いよく開ける。先輩たちの驚いた顔を一斉に向けられ、僕は開口一番こう告げた。

「1年3組、出席番号19番、南田歩夢。SVH部に入部希望です」

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