第三夜

 こんな夢を見た。

 はたと気が付いたら夢の中だった。私にはこういうことがよくある。夢だとわかっていて目が覚めないことが。

 今ここはは真っ白な空間で、上も下もない。遠くにこれまた白い何かが見える程度だ。これはあの靄のかかった白いところに行くしかないだろうと歩み始めた。

 そこには真っ白なレースで幾重にも覆われた天蓋付きのベッドがあった。中に人影を確認した。そっと、起こさぬようにレースをかき分けかき分け、中の人物を見た。そして私は息をのんだ。

 そこにはこの世のものとは思えないほど美しいものが眠っていたのだ。ものと表現したのはあまりにも美しくて人なのか人形なのかわからなかったからだ。ただ、耳を澄ますと寝息が聞こえる。とりあえず人のようだ。特にすることもないので、この人形のような人を起こしてみることにした。

「もし、もし、起きてください。私と話をしませんか。」

すると長い睫毛が百合の花が膨らむように開いた。そして二三瞬きをして気だるそうにしていた。

「おはようございます。」

私は挨拶をした。するとその人はカッと目を開き、がばりと起き上がった。そして透き通るような瞳で私を睨んだ。

そしてか細い声が聞こえた。

「朝になってしまったの?」

その声は確かに震えていた。

「いいえ、まだ朝ではありません。勝手に挨拶をしただけです。」

私はそっと答えた。するとその人は明らかにほっとした様子を見せた。その様子が気になったので聞いてみた。

「なにかあったんですか?」

するとその人は形の整った眉を寄せて私を睨んだ。私は気圧されてしまって、視線を逸らすことしかできなかった。やがて何も起こらないことに観念したのか、その人は言った。

「あなたに何の関係があるのですか。」

「いえ、全く関係ありませんが私の夢に現れた以上、気になってしまって。」

その人は小鳥のように首を傾げて

「夢?」

と言った。

「はい、夢です。」

「夢じゃありません!」

その人は小鳥がさえずる様な声で私の言葉を遮った。

「ここは現実です。」

そして夜の闇のように静かに重く言った。

「おかしいですね・・・。」

私は名探偵のしゃべり口のような口調で続けた。

「私はさっきまで寝ていましたし、今も目が覚めてないんですよ。」

その人はころころと笑った。

「それでいいんです。夢は覚めないし、目も覚めません。ここはそういうところです。」

「どういうことです?」

私は聞いた。その人は夏の青空のように澄んだ瞳で私を見据えた。そしてそっとしゃべりだした。

「私は明日が来るのが怖いんです。眠り続けていれば明日なんて来ないでしょう。」

ふむ、と私は唸った。

「どうして明日が来るのが怖いんですか?」

その人の大きな瞳に長い睫毛の影が差した。

「あなたにはわからないでしょう、この恐怖が。来てほしくもない未来に迫られ、懐かしい昨日は過去へと離れていく・・・この寂しさが。」

「お気持ちはわかります。明日はこっちのことなど気にせず殴り込むようにやってきますし、優しく寄り添ってくれる昨日は容赦なく去っていきます。」

「あなたにもこの苦しみがわかるのですか?」

その人は真夏の海のように目をきらきらさせた。

「少しは。」

「ではあなたも眠りにつきましょう。これで明日に怯えることなく心穏やかに過ごせます。」

その人ははしゃいでいた。だけど私はきっぱり拒絶した。

「でも私は明日が来ない方が怖いです。」

数秒、沈黙が続いたのち、その人は泣きそうな顔をして縋った。

「どうして。どうしてわかってくれないんですか。」

「私は生きているからです。仕事にも行かなくてはなりませんし、猫の世話もしなければなりません。明日が来ないと困るんです。」

その人はそっと呟いた。

「明日が来ないと困るのはわかります。私も生きてます。でも明日を迎える勇気を、私は持ち合わせてないんです。」

その人から真珠のような涙が落ちた。

 しばらくの沈黙。なんとなく朝が来るような気配を感じた。それはこの人もそうらしく、天の川のような髪を振り乱し慌てて布団に入った。

「明日が来てしまう!」

私はその手を掴んだ。

「明日を迎えましょう。」

「え・・・。」

その人は震えだした。

「一人で迎えるのが怖いなら私がいます。一人よりずっと気が楽だと思いますよ。」

「あなたは頼りないです。」

「よく言われます。

明日にいいことはないかもしれません。でも温かく寄り添ってくれた昨日は迫り来た明日なんですよ。大丈夫です。明後日はあなたに寄り添ってくれるかもしれないし、そうじゃなければ明々後日があなたに寄り添ってくれるかもしれません。

昨日に縋っているうちに寄り添ってくれない昨日が出てくる日もあります。大丈夫です。そんな日は明日がきっとあなたに寄り添ってくれます。」

重い沈黙が流れた。そのうちこの人の深く呼吸をする音が聞こえた。

「お手をどうぞ。」

私が手を差し出すと、その人はそっと握り返してきた。

 するとその人が光りだした。その人は散りかけの花のような笑顔を浮かべていた。


 目が覚めた。気持ちのいい朝だった。腕の中には猫が気持ちよさそうに寝ていた。この顔を見ていると二度寝をしたくなるが、我慢だ。

 明日が今日になった。今日が私に寄り添ってくれるかはわからない。それでも私は起きなくては。

 私はベッドから出た。


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夢日記〜心と幻想の狭間で〜 豆しばむつ子 @mame_mutsuko

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