(7)
バディからのバッグの中を覗けという指示に、俺はここに来てようやく足を止めた。
足を止めたせいでさらに汗が噴き出したが、それを拭うための両手は相変わらず塞がっている。
もちろん
しかし、この汗だくの状態での爆弾とのご対面は、少々気が引けるどころの騒ぎではない。できれば謹んでご遠慮させて頂きたい。
理想を言えば、シャワーを浴び、涼しい快適な部屋で十分にくつろいだ後、いつの間にか解体された爆弾の残骸とご対面の運びとなりたいものだと思う。だが、理想は理想であって、所詮泡沫。
もはや勝手に零れ出してくるため息と一緒に、俺は渋々答えた。
「こんな危険な奴の
『じゃあ、ご機嫌伺いもかねて拝んでみてよ。できるだけ早い方がいい……かもよ?』
なんだ、その微妙な間は!!
しかも、なんでそこで疑問形なんだ⁉
そう突っ込みたいところだが、というか、普段の俺なら間違いなく突っ込んでいたが、今は少しでも体力温存だ。まぁ、さっき散々悪態をついた自覚はあるが、俺だってすべてに噛みつくほど単細胞ではない。
そのため、「ちょっと待て!場所を探す」と、辺りを見回した。
銀行からできるだけ人通りの少ない道を選んできたつもりだが、俺はいつの間にやら閑静な住宅街に突入していたらしい。
さすがに住宅街のど真ん中でこの危険極まりないスポーツバッグを地べたに置き、中を確認するのは憚られる。
そこまで俺も非常識ではない。爆弾を持っている時点で、非常識だと言われればそれまでだが…………
取り敢えず再び歩き出す。しかし目的地はサード本部ではなく、無人の公園。
時間はまだ午前11時35分。子供たちはまだ学校だし、大人は家にいるか、働き出ているかのどちらかだろう。
唯一公園にいそうな面子は公園デビューを果たした子供とママさんあたりだろうが、こんな炎天下に公園で遊んでいるとはとても思えない。それはある意味、立派な幼児虐待だ。
早い話、こんな時間に公園へ行く馬鹿は俺くらいかと、頭の中にあるこの住宅街の地図を引っ張り出し、この先の角を右へ曲がったところにある小さな児童公園へと向かった。
案の定、その児童公園は閑散としていた。
今なら、ブランコもすべり台も遊びたい放題だ。
しかし、俺も二十三の立派な大人。もう遊具を見て駆け出すガキでもない。
それどころか、あのすべり台、今すべれば俺のケツに火がつくな……などと、現実的な台詞しか思い浮かばない自分に半ば呆れながら、木陰にあるベンチへと腰掛けた。
「風吹、開けるぞ」
『十分気をつけてね。汗とかで絶対に濡らさないように。それだけでご機嫌を損ねる場合があるからね』
だったら、今俺が世界で一番こいつとご対面してはいけねぇ奴じゃねぇか!という言葉を唾と一緒に呑み込み、スポーツバッグのチャックに手をかけた。
ジジ……ジジ……ジジジ……ジ…………
慎重に慎重を重ねてチャックを開けていく。こういう繊細な作業は俺向きではないのだが(風吹向きとも思えないが)、どちらが本部まで爆弾を運ぶかというジャンケンで風吹に敗けたため仕方がない。
またもや勝手に出そうになるため息を、今だけは意識的に腹へとおさめ、俺はスポーツバッグの腹の中を覗き込んだ。
「いたぞ」
『そりゃ、いるだろうね。いなくなってたらびっくりだよ』
「俺はその方が有難いけどな」
『気持ちはわからなくないけどさ、逃げ出した爆弾を探す方がよっぽど手間だから、それだけは勘弁してね』
「抜かせッ!それでどうすればいい?」
『蓋を開けられる?』
「ここでか!」
『そこでだよ。顔を拝んでもらわなきゃ意味がないんだから、グダグダ言わずにさっさと開ける』
「なぁ、まさかここで解体しろとか言わねぇよな?」
『さすがにそこまでは言わないよ。地獄の最下層へご案内といっても、キョウを本当の地獄送りしたいわけじゃないからね』
「そりゃ、どうも」
バディの言葉に感涙したからではなく、人間ポンプのように噴き出してくる汗を、これまたもうこれ以上吸収できませんと泣き言を抜かすTシャツで拭い、俺は一つ息を吐いてからスポーツバッグの腹の中で鎮座している赤い缶の蓋をゆっくりと持ち上げた。
それは一見なんの変哲もないお菓子が入れられていたと思われる赤い缶。
サイズは縦30センチ×横20センチ×高さ15センチといったところだろうか。
可愛い黒猫がモチーフの缶の蓋は、今の俺にとっては可愛いというより不吉な存在だ。
それを実際に手に汗握りながら開け、中を覗き込む。
すると、銀行の貸金庫で見たまんまの物がきちんと収まっていた。
「こうして見ると、まったく爆弾には見えねぇんだけどな」
思わず独り言ちたその声を風吹が拾い上げ、『見た目が可愛いほど、中身は恐ろしかったりするからね。キョウも注意したほうがいいよ』というわけのわからん忠告を入れてくる。
それをさらりと聞き流して、俺は改めて缶の中身を見つめた。
これはウチの熊――――――小仏班長も作戦会議で言っていたことだが、基本、貸金庫の中には金塊やら証券、印鑑などを預けることが多いらしい。しかし、場合によっては自分にとっての思い出の品を預けることもあるそうだ。
それは古いアルバムであったり、アンティークの人形だったり、その内容品は様々。
そしてこの缶の中身は、その思い出の品に見えなくもない。
お手玉、万華鏡、リリヤンと呼ばれる細く編み込まれた長い紐―――――
どれをとっても日本の伝統的な女の子の玩具であり、それを主張するかのように草臥れ感までちゃんとある。
亡くなった祖母か母の思い出品とでも言われれば、あっさりと信じられる程度に。
しかし実際は、万華鏡は危険な液体入りの加圧容器と信管。お手玉とリリヤンの中には導線。
微笑ましいはずの玩具の正体は、人畜無害どころか殺戮兵器そのものだった。
俺と風吹がそれに気づけたのは、“爆弾は必ずしも爆弾らしい姿をしているわけでない”という大島博士の助言と、本来の万華鏡に付いているはずがない点滅する緑のランプが、それを隠すように置かれたお手玉の影から見えたためだ。
まったく爆弾は爆弾らしい格好にしとけよな!
なんてことを思うが、これが貸金庫に持ち込むための最善の形だったのだろう。
それを改めて確認してから風吹に再度声をかける。
「風吹、中身を見たぞ。それでどうする?」
『緑色のランプ、まだ点滅してる?』
「あぁ、してるな」
『そっか………つまりキョウは犯人の射程圏内にまだいるってことだね』
「はい?」
一瞬、風吹の言っている意味がわからなかった。
射程圏内とは、なんぞやと真剣に思う。
いやいや、緑のランプって普通はまだ安全だという意味ではないのか?
信号だって青で渡って、赤で停まる。それはつまり、青は安全という意味だろう?
なのに、緑のランプが射程圏内?
はぁ?
はぁぁぁぁぁッ?
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ⁉
「つまり何か?この緑のランプは犯人が遠隔で爆破できる射程圏内を示すってことかッ!」
『みたいだね。大島博士によると、犯人はかなり立派な送信機を持っているとみていいそうだよ。ほらドローンを飛ばす時にさ、スマホのWi-Fiを使うと大体飛行距離は200から300メートルだけど、それなりの送信機を使えば2000から4000メートルは可能になるだろ?それと同じだよ。ずばりキョウは、犯人の気が変わって今すぐ送信機を使っちゃうと、木っ端なところにいるってことだね』
いやいや、『いるってことだね』ではない。てっきりこのランプが緑から赤に切り替わった時が、犯人が送信機をONにした時だと勝手に思い込んでいた。
そうか……これこそが先入観というやつか…………と、一人頭を抱え込む。
そして、もう一度その忌々しい緑のランプを睨みつけて、俺はふとあることに気がついた。
「…………なぁ、風吹。このランプ、銀行で見た時より速く点滅してるように見えるんだけど」
『暑さのために朦朧としてきたキョウの目の錯覚ではなく?』
「あぁ、そこを突かれると俺も痛いが、たぶん目の錯覚とかじゃない。確かに速くなっている」
『それって、つまり?』
「俺が射程圏内どころか、犯人が持つ送信機の近くにいるってことじゃねぇのか?」
そう、犯人はこの近くにいるとこの爆弾は教えている。
しかもこの犯人は組織にとってはトカゲのしっぽ。
俺たちにしてみれば、そのしっぽがまだ本体にくっ付いている間に確保することが望ましい。
ならば……………………
『キョウくん、また良からぬことを考えてるわけじゃないよねぇ』
「いいから、少し考えさせろ!」
『うわぁ、これはやぶ蛇だ』
ワイヤレスイヤホンの向こうでぼやく風吹を放置し、俺は爆弾を目の前に置いて暫し考える。
もし俺が犯人だったら、自分が仕掛けた爆弾という名の打ち上げ花火を特等席で楽しみたいはずだ。
しかしここは閑静な住宅街。花火を楽しめるポイントなどそうはない。されど、この緑の点滅の速さが、送信機からの受信の強さを示すものならば、犯人は間違いなくこの近くにいる。
俺は再び、この周辺の地図を頭の中ら引っ張り出した。
本部からも然程遠くはない住宅街。だからこそ、ここらの地理や建物についてはある程度頭の中に入っている。
この辺りは高級住宅街で、お屋敷町、邸宅街とも呼ばれる所だ。そして、景観法とかの関係で三階建て以上の建物は建てられないことになっている。しかしだ。この住宅地に唯一の例外ともいえる建物が一つだけある。
時計台と呼ばれる高い塔を有し、しかも、普段から誰も寄り付かないような曰く付きの建物――――――――
おそらく、そこからなら銀行もよく見えるに違いない。
「風吹、本部帰還はキャンセルだ。今すぐお前も追って来い。幽霊屋敷に乗り込むぞ」
『うぅ……やっぱりやぶ蛇だ』
真夏に爆弾と幽霊屋敷。
これはとびっきり肝が冷えそうだ。
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