28:元預言の神子と変人魔術師



  “彼”の背に乗せてもらい湖畔に建つ自宅へと帰る最中、私は振り落とされないよう首元に顔をうずめて、ゆっくりと語り始めた。



「ジルヴァジオのことは、好ましく思っています」



 それはもう、誤魔化しようのない事実だ。

 “彼”の大きな耳は忙しなく動き、私の言葉を聞き逃すまいとしているようだった。



「彼と一緒にいると退屈しない。彼がいないと……寂しい」



 だからこうしてジルヴァジオのかくれんぼに付き合っている。もう一度会って、その顔を見たいという一心で。

 けれど一緒にいると退屈しないという感情を、恋と置き換えてよいのかがまだ分からない。ジルヴァジオが望んでくれた関係にふさわしい感情なのかが不安だった。

 一度のその手を取った後、この感情は恋ではなく気のせいでした、思い違いでした――なんて逃げることは決して許されないだろう。



「でもこれって、本当にジルヴァジオが好きだと言えるんでしょうか」



 しがみついた体がピクリと反応する。しかし私は構わず続けた。



「一緒にいると退屈しないってだけで、その手をとってもいいんでしょうか」



 そしてそっと耳元で囁く。



「ねぇ、――ジルヴァジオ」



 見開かれた黒の瞳の中に揺らめくグリーン。もう“あなた”の正体は分かっている、逃げられないという意味を込めてじっとその瞳を見つめていたら、観念したように“彼”は目を伏せた。

 ぶわ、と黒の毛並みが膨らむ。私は一瞬全身を闇に包まれて――次に目を開けたときには、黒のローブを身に纏ったジルヴァジオにお姫様抱っこの体勢で抱きかかえられていた。



「驚いた。一体いつから気づいていたんだい?」



 耳心地の良い中低音はすっかり聞き慣れてしまった声のはずなのに、数日ぶりというだけで懐かしさに襲われた。

 こちらを見下ろす切れ長の瞳。強風に煽られていつも以上にあっちこっちに跳ねている毛先。薄い唇に少しこけた頬。

 ジルヴァジオを形作るすべてにとくん、と胸が高鳴ったのを感じた。



「本物のぐーちゃんは今まで一度も鳴いたことはありませんでしたから、“あなた”が鳴いたときに違和感を感じたんです」



 グリーンの瞳が見開かれる。

 最初の違和感は初めて聞いた鳴き声。使い魔には声帯があるのかないのか未だ分からないままだが、どちらにせよ本物のぐーちゃんは今まで一度も鳴いたことはなかった。それなのに突然、ジルヴァジオとのかくれんぼが始まってから鳴き始めた。

 それに今思い返せば、ジルヴァジオの力もレディ・ジークリンデの力も借りず、一人で狼の姿に変わった時点で“今までのぐーちゃん”とは違うと気づくべきだったのだ。

 ――なんて、分かった風に違和感を指摘したところで、実際のところは。



「でも、確信したのはついさっきです。カウニッツ様が、あなたの頭を撫でたとき。その目が緑色に光ったように見えましたから」



 カウニッツが“ぐーちゃん”の頭を撫でた後、グリーンに光った瞳を見て「ここにいたんだ」と思った。そのときの瞳を見逃していたら、きっと“ぐーちゃん”の正体には未だに気づけなかっただろう。

 ジルヴァジオは大袈裟にため息をついて、忌まわし気に呟く。



「カウニッツの奴、僕の変身を解こうとしやがった!」



 てっきり焦れたジルヴァジオがヒントをくれたのだと思っていたけれど、どうやらカウニッツに助けられたらしい。彼としては緑に光った瞳は計算外だったようだ。

 そう考えるとカウニッツの許を訪れたのは正解だった。おそらく彼は最初から全て分かっていて、しきりにジルヴァジオが変身していた“ぐーちゃん”に話しかけていたのだろう。

 無事ジルヴァジオを見つけられたことに安堵しつつ苦言を呈する。



「でも、かくれんぼと言いながらぐーちゃんに成り代わるのは卑怯じゃありませんか?」


「これ以上ない隠れ場所だろう? 君が僕を探すのか諦めるのか、特等席で見られるわけだからね」



 なんだか悔しいような気もするが彼の言う通りだ。

 本当にどこか遠くに隠れていたら、私が探しているのか早々に諦めたのか確認する術がない。ジルヴァジオであれば屋敷に仕掛けでもして確かめることはできるだろうけれど、そんな余計な手間をかけるより近くに別の姿で潜んでいる方が手間もかからず利口だ。

 本物のぐーちゃんはおそらくジルヴァジオが隠しているのだろう。



「――君は、僕を探してくれた」



 グリーンの瞳が細められる。そして今まで以上に優しい声でジルヴァジオは囁いた。

 かくれんぼを始めてからのぐーちゃんがジルヴァジオだったということは、自宅で暇そうにしている様子もジルヴァジオのことを悶々と考えている様子も、その他諸々全て見られていたということだ。そう思うと自然と頬が赤らむ。

 ――思い悩む私の姿を見て、ジルヴァジオは何を思っただろう。

 ジルヴァジオの顔をもう一度見れば、決心できると思った。もやもやとした感情にきちんと名前を付けられると思った。しかし実際はどうだ。未だに私の心は答えを出すことができていない。――答えを出すことを、恐れている。



「……でもあなたの手をとって良いのか、未だに悩んでいるんです」



 探しておいて何を今更、と思われるかもしれないけれど、私は半端な気持ちのままジルヴァジオの手を取りたくはなかった。彼の勢いに流されるのではなく、しっかりと向き合いたかった。

 そのためにも今胸の内を渦巻く感情を全て赤裸々にぶちまけてしまおう、と半ばヤケになって口を開く。



「ジルヴァジオと過ごした日々は楽しくて刺激的だった。あなたがいなくなったら退屈になった。だから側にいてほしい。……これって、暇つぶしにジルヴァジオを利用していませんか?」


「いいじゃないか、それで」



 私としては懺悔のような気持ちで口にした疑問を、さらっと肯定されて面食らう。

 信じられない気持ちでジルヴァジオの下から見ても綺麗な鼻を見上げていたら、彼が顎を引いてこちらを見下ろしてきたので自然と目があった。――私を見つめるグリーンの瞳は、まるで恋人を甘やかすかのように優しく蕩けていた。



「恋人に地位や名誉、容姿や優しい心を求める者がいるように、君は僕に暇つぶしを求めている。君に刺さった僕のアピールポイントが暇つぶしだったってだけさ。……そうか、暇つぶしという言葉が悪いんだな。それなら、そうだな、アー……一緒にいると幸せ、なんて言い換えれば、通俗小説でもよく見るごくごく一般的な理由になるよ」


「……そんなもんでしょうか」


「そんなもんさ」



 あれだけ悩んでいたのに、ジルヴァジオ本人に言われたらあっという間に悩みが氷解していってしまうのだから不思議だ。

 ジルヴァジオは暇つぶしに自分を利用する私を肯定した。それならば同じように、彼も私を利用してほしいと思う。これは一方的に利用するのが心苦しいという、私のわがままだ。

 口元にかかってしまった横毛を手で払ってやりながら問いかける。



「あなたも、私を利用しますか?」


「……あぁ、そうだね。僕も君を利用して、楽しく幸せな毎日を過ごしたいと思っているよ」



 ジルヴァジオが頷いてくれたことで気持ちがすっと楽になった。

 ――あぁ、なんだか難しく考えすぎていたようだ。暇つぶしから始まった関係だったが故に、それ以外の価値を求めようとしてしまっていた。それ以外の価値を見つけて初めて、きちんとした恋人同士になれると思い込んでいた。

 しかしそれ以外の価値なんて、最初から必要なかったのだ。ただ一緒にいて暇がつぶせる。一緒にいて楽しい。一緒にいて――幸せ。それだけで十分、その手を取る理由になる。

 今まで悩んできたのは一体なんだったのか。そう思う気持ちもなくはなかったけれど、目の前が一気に開けたような感覚に清々しさを覚えた。

 自然と口元に笑みが浮かんでいた。



「不束者ですが、よろしくお願いします。あなたに利用価値を提供できるよう、頑張ります」



 ジルヴァジオに抱きかかえられたまま、顎を引くようにしてどうにかお辞儀をする。

 すると数秒の沈黙の後、



「……ありがとう」



 なぜかお礼を言われた。

 そのときのジルヴァジオの表情はなんとも形容し難いもので。眉尻を下げて、目を細めて、瞳を揺らして――どこか泣きそうでいて、幸せを噛みしめるような、そんな表情だった。

 胸がいっぱいになる。彼にこんな表情をさせたのが自分だという事実に、優越感にも似た喜びが胸を満たす。今このとき、私はジルヴァジオの“特別”になれたことを心の底から喜んでいた。

 不意にジルヴァジオが一旦足を止めて地面に私を降ろす。どうしたのかと見上げれば、悪戯を思いついた子どものような表情の彼と目があった。



「恋人同士になって、最初にすることは何だか知っているかい?」



 跳ねるような面白がるような口調には覚えがあった。以前、通俗小説から学んだ“恋人仕草”を実践するときにはしゃいでいた姿と重なる。

 ――恋人同士になって、最初にすること。それは先日読んだロマンス小説・“王子と少女”にもばっちり書いてあった。



「それも通俗小説で読んだのですか?」


「あぁ、そうだとも。ただ……僕がそうしたいと思ったから、口に出したんだ」



 そっとジルヴァジオの手のひらが私の頬を包んだ。ぐっと顔が近づいて、鼻先が触れあう距離でグリーンの瞳に射抜かれる。

 彼が何をしようとしているかは明白だったため、私は何も言わず目を閉じた。

 ふ、と気配が近づく。そして唇にそっと、柔らかな熱が触れた。

 触れるだけの熱はすぐに離れていく。その熱を追うように瞼を開ければ、目の前には近すぎて若干ぼやけているジルヴァジオの顔。

 彼は端正な顔を歪めて、頬を赤く染め上げていた。



「……ジルヴァジオ?」



 恋人同士のキスをした後とは思えない、不機嫌そうな表情にどうしたのかと問いかける。普段通りを装ってはいるが、内心何か粗相をしてしまったのではないかと心臓が嫌な音をたてていた。

 問いかけに、ジルヴァジオは恨めしそうに私を睨みつける。



「どうして君はそんなに余裕なんだ? あぁ、くそ、照れるな」



 ――どうやらかなり照れているらしい。

 あのジルヴァジオが、変人魔術師ジルヴァジオ・アッヘンバッハがキス一つでこんな表情をするとは予想していなくて。私自身も当然照れていたため全身がむずむずして、思わず声を上げて笑ってしまった。

 ――あぁ、やっぱりジルヴァジオと一緒だと退屈しない。

 笑ったことでジルヴァジオの目つきは更に鋭くなったけれど、恐ろしくはなかった。それどころか更に楽しくなって、笑いが止まらなくなる。

 眦に浮かんだ涙を指先で拭った頃には、ジルヴァジオも諦めたのか苦笑を浮かべていた。しかし未だに若干眉間に皺が寄っているのを見るに、照れ顔を私に晒したのは不本意だったのかもしれない。



「……笑いは納まったかい? さぁ、はやく僕たちの家に帰ろう」



 ジルヴァジオは再び私を抱き上げる。そして移動魔法テレポートを発動させた。

 三度目ともなると、世界が回転する感覚にもだんだん慣れてきた。過去二回よりずいぶんと落ち着いた様子の私を見てか、ジルヴァジオは話し始める。



「そうそう、職を探そうと思っているのだよ。家でダラダラしているだけでは、恋人に愛想を尽かされてしまうからね」


「……黒魔術師は職ではないのですか?」



 素直な疑問をぶつければ、ジルヴァジオはぶるりと体を震わせて大声で叫んだ。



「この僕に学会からの呼び出しに答えろと!? 大した報酬も貰えずこき使われるだけに決まってる! 絶対に嫌だ!」



 どうやらジルヴァジオの魔術師学会嫌いは治りそうにないらしい。

 せっかく類まれなる魔術の才能を持っているのだから、その才能を活かした職に就けばいいのに――とは思うものの、天才の思考は凡人でも思いつく簡単な結論には達しないのだろう。それに魔術師学会で仕事に励めば、それだけ責任ある立場に近づくはず。それは彼にとって望んだ未来ではないはずだ。



「では、どうするのですか?」



 問いかければ、よくぞ聞いてくれた、というようにグリーンの瞳が輝いた。



「今のところ考えているのはカフェだ! 看板メニューはもちろん、喉が焼ける激甘パンケーキ! もっとも早朝限定のメニューだがね!」



 ジルヴァジオの料理の腕は確かだ。普通に運営して、普通のメニューを提供すればそれなりに繁盛するだろう。しかし、ジルヴァジオが普通のカフェを開くはずがない。――なぜなら彼は、普通を嫌う世界一の変人魔術師だから。

 恋人が好んで作るシロップ漬けのパンケーキを思い出す。大量のハーブティーを御供にして、心を無にして初めて完食できる“アレ”が看板メニューとは――ジルヴァジオには悪いけれど、正直うまくいく未来がこれっぽっちも見えない。



「そのカフェ、三日で潰れませんか?」


「あっはっは! そうならないよう、君も知恵を貸してくれたまえ!」



 ジルヴァジオは目尻を下げて私を見下ろした。かと思うと、素早い動きでそっとおでこにキスされる。

 絶対うまくいくはずがない。そう分かっているのに、気づけば私は満面の笑みを浮かべて頷いていた。

 ――あぁ、これから先、ジルヴァジオと一緒にいて退屈を感じる瞬間なんてきっとない。そんなことを本気で思ってしまった私は、彼と恋人同士になったという事実に想いの外浮かれているのかもしれなかった。

 かくして、ジルヴァジオの恋人になって初めての仕事はカフェ開業の手伝いになったのだった。

 店舗の場所を考え、メニューを考え、内装を考え、カフェの名前を考え――数か月は暇をつぶせたカフェ開業が本当に実現したかどうかは、皆さまのご想像にお任せするとしよう。


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力を失った元預言の神子は、クリア後の世界で第二の人生を謳歌する 日峰 @s-harumine

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