27:残る場所はあと一つ
「一発殴ってやりたかったけど、留守みたいだししゃーねぇな」
合鍵を元あった場所――プランターの底――に戻し、ミロシュは手紙が溢れかえっているポストを眺めた。どう見てもジルヴァジオがしばらく自宅に帰っていないのは明らかであったし、目的を達成した以上長居は無用だと割り切ったのだろう。
しかしミロシュと違い、私はジルヴァジオ自身が目的であったため彼のようにはいかない。
「ジルヴァジオを探してたんだろ? これからどうすんだよ」
「彼が行きそうなところを探しているんですが……」
正直、ジルヴァジオが行きそうなところにあまり心当たりがない。
王都など人が多いところは嫌うだろうし、魔術師学会に部外者が顔を出すわけがないし、後は――
「あいつの恩師の家は?」
ミロシュの言葉に頷き同意した。
自宅にいないとなると、あとジルヴァジオが向かいそうなところといえば恩師・カウニッツの家ぐらいだ。比較的友好な関係を築けていた勇者・ライナスの自宅も選択肢の一つに上がったが、彼は今住居を構えず世界を放浪していると聞く。いくらジルヴァジオが優秀な魔術師でも、旅する勇者の居場所を見つけ出してついていくことは難しいだろう。――いや、彼であれば可能なのだろうか。
どうであれ、ひとまずの目的地は決まった。
「そうですね……。カウニッツ様のご自宅にお伺いしてみます」
このあてが外れてしまったら途方に暮れてしまいそうなので、カウニッツの許に隠れていてほしいというのが正直なところだが、はたして。
ミロシュが気遣うようにこちらを見た。
「送るか?」
「いえ、ぐーちゃんが背中に乗せてくれますから。ありがとうございます」
断りはしたものの、ミロシュの気持ちは素直に嬉しかったので微笑む。
ミロシュは言葉遣いは乱暴だが野生の勘が働くらしく、他人の心の変化や望んでいることを機敏に察知する能力に長けているのだ。それに一緒に旅をしてきた故に、私が戦う力を持たないことをよく知っている。旅の最中、街中でも私が一人行動することを心配してよくついてきてくれたものだ。
ミロシュは胡乱な瞳をぐーちゃんに向けた。
「さっきから気になってたんだけどよ、こいつダレ?」
「ジルヴァジオが生み出してくれた使い魔です」
私の説明は至って簡潔で、疑う余地がないものだったと思うのだが、ミロシュは「ふぅん」とぐーちゃんを探るように見つめ続ける。何がそこまで気になっているのだろう。
しかし結局それ以上踏み込んでくるようなことはなく、ジルヴァジオの自宅前でミロシュと別れた。
別れる際、「またな」と大きく手を振ってくれた彼とまた会えるのはいつになることやら。今や英雄となった旅の仲間たちが皆忙しくしているのは風の便りで何となく知っていて、全員で集まれる日はもう来ないのかもしれない、なんて最近は思う。
「ぐーちゃん、カウニッツ様のご自宅の場所、分かる?」
しんみりとした気分を振り払うようにぐーちゃんに笑顔で尋ねる。すると力強く頷いてくれたので、私はその背に跨った。
魔術師学会の権威であるカウニッツの自宅は王都近くの豪邸だ。
彼は王家から爵位を授かった貴族の出身でありながら、黒魔術の研究を熱心に行う研究者としての一面も持っていた。自身は黒魔術の才能がないと卑下していたが、それ故に憧れのような感情を抱いているらしく、黒魔術は危険だと声高に主張する他の魔術師や研究者たちへの説得に人生を捧げている。
実際まだまだ黒魔術について分からないことは多いらしい。力の源となる闇の住人についても同様で、
孤児であったジルヴァジオに黒魔術の才能があると見抜いたのもカウニッツだ。身よりのない彼に教育の場を提供し、未来の英雄を育て上げた功労者であった。
ぐーちゃんの背に乗って空を駆けること一時間ほど。見慣れた屋敷が見えてきた。あの赤いレンガ造りの屋根はカウニッツの屋敷だ。
突然の訪問ではあったが、ベルを鳴らし名乗ればすぐさま屋敷の中へと招きいれてくれた。このときばかりは名前と顔が売れていて助かった。預言の神子と名乗れば大抵どこでも相手が誰でもお目通りが叶う。
応接間に通されてから程なくして、カウニッツが現れた。
「これはこれは、神子エスメラルダ。どうしたのですか?」
「突然申し訳ございません」
朗らかな笑みを浮かべるカウニッツはまさに紳士といった出で立ちで、声をかけられただけで安心してしまう。旅の最中も随分と無茶なお願いを聞いてもらったものだ。
要件が要件なだけに手早く済ませてしまおうと、挨拶もそこそこに本題に入った。
「ジルヴァジオ、こちらに来ていませんか?」
「……ジルヴァジオ、ですか?」
目を丸くしたカウニッツを見て、ジルヴァジオがここに来ていないことを悟った。ジルヴァジオに言われて隠している可能性も無きにしも非ずだが、カウニッツの反応はわざとらしくない。
しかし恩師として慕われている彼なら、ジルヴァジオが“行きそうな場所”に心当たりがあるかもしれないと思い続けた。
「今かくれんぼをしていて、私がオニなんです。それで彼が行きそうな場所をまわっているのですが……」
私の言葉にしばらく考え込むように腕を組むカウニッツ。しかしすぐに組んでいた腕を解くと、小さく首を振った。
「申し訳ない、お役に立てそうにありません」
「そうですか……ありがとうございます。突然失礼しました」
大きく頭を下げて退室しようとカウニッツに背を向けたときだった。
「ふふ」
背後で控えめな笑い声が上がる。
「カウニッツ様?」
振り返れば、カウニッツは仏を思わせるような穏やかな笑みを浮かべていた。
「いえ、ジルヴァジオのこと……感謝しています。いつかきちんとお礼をお伝えしたいと思っていたのです」
突然告げられたお礼に私は面食らった。
彼の口ぶりからして私とジルヴァジオが恋人同士だったことは知っているようだが、だからといって感謝される心あたりはなかった。いくらカウニッツがジルヴァジオの親のような存在とはいえ、だからと言って恋人にお礼を言うだろうか。
「そんな、お礼を言われる様なことは何も……」
「かくれんぼ、ジルヴァジオが突然言い出したのでしょう。面倒だと感じたら、放っておいて良いのですよ。彼はあぁ見えて寂しがり屋ですから、きっと後で泣きついてくるはずです」
泣きついてくるジルヴァジオが想像できないが、カウニッツが言うのであれば彼に寂しがり屋な一面があるのは確かなのだろう。旅の最中しきりにミロシュを揶揄っていたのも、人に構いたい、構ってほしいという寂しがり屋の一面が出ていたからだと思うと納得がいく部分がある。
――しかし仮にジルヴァジオが寂しがり屋で、放っておけば泣きついてくるような人物だったとしても、私は自分の手で見つけたかった。私にとって彼は、探すだけの価値がある人間なのだから。
「……いえ。私が、見つけたいので」
「そうですか。そう言ってくださると、ジルヴァジオも喜びます」
カウニッツは私から一度目線を外し、
「ね」
まるで同意を求めるようにぐーちゃんの頭に手を伸ばした。
ぐーちゃんは一瞬、カウニッツの手から逃れるように頭を振る。しかし追いかけてくる手に諦めたのか、最後はされるがままに頭を撫でられていた。
黒い毛並みを撫でながら、カウニッツはこちらを一瞥する。
「ジルヴァジオの自宅には向かいましたか?」
「はい。けれど留守でした」
カウニッツは納得するように小さく頷いた。彼にとっては予想通りの返答だったらしい。もしかすると育ての親は、ジルヴァジオが今どこにいるか分かっているのだろうか。
しかしカウニッツにヒントをもらうのは反則なような気がして、私は尋ねることができなかった。もう少し自分の力だけで探してみよう。それでも分からなかったら泣きついてしまおうか。あぁ、でも――
心の中で葛藤する私を見て、カウニッツは穏やかに微笑んだ。
「これから別の場所へ移動するとなると日が落ちてしまうでしょうから、一度彼に連れて帰ってもらった方がいいと思いますよ」
カウニッツの言葉に若干の違和感を覚えて、私は考え込む。何が引っかかったのだろうと彼の言葉を反芻し――ぐーちゃんを“彼”と称したことに驚きと違和感を覚えたのだ、と思い至った。
私はぐーちゃんの性別がずっと分からなかったのだ。そもそも使い魔であるぐーちゃんに性別があるかどうかすら怪しい。しかしカウニッツは一目見て、ぐーちゃんがオスであると見抜いた。――しかし、本当に? ぐーちゃんはオスなのだろうか。
違和感は胸底で燻ったまま、しかし言及するような問題でもないと思い、私は頭を下げて別れの挨拶をした。
「えぇ、そうですね。本当にありがとうございました」
「大したお構いもできず申し訳ありません。何かお力になれることがあれば仰ってください、力になりますよ」
カウニッツの心強い言葉に私は頷いた。彼は口から出任せを言う不誠実な人ではない、頼れば本当に力になってくれるはずだ。
一度家に帰って、それからゆっくり考えよう。しかし正直なところ、ジルヴァジオがカウニッツの家にいなかった時点で、私は若干途方に暮れていた。元から少なかった手持ちのカードを全て失ったと言っても過言ではない。
――本当にジルヴァジオを探し出せるだろうか。見つけられるだろうか。
自信を失い、俯きそうになった私にカウニッツがウインクした。突然のことにはっと彼を見上げると、カウニッツはどこか楽し気に眉尻を上げる。
その表情がジルヴァジオと重なった。
「ジルヴァジオは他人と同じ空間を共有することが大の苦手です。自宅にも、私の家にもいないとしたら……残る場所は一つだと思いますよ」
残る場所は一つ。
カウニッツは再び私の傍らに立つぐーちゃんの頭を撫でる。
ぐーちゃん――“彼”の瞳がきらりと、緑色に光った。
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