26:幸せそうな表情



 ――ミロシュの探し物であるネックレスをお互い無言で捜索すること十分。



「なぁ、ジルヴァジオと付き合ってるって、マジか?」



 突然ミロシュが問いを投げかけてきた。

 私は手を止めて思わず彼を見やる。ミロシュはどこか居心地が悪そうな表情を浮かべてこちらをじっと見ていた。

 ――どうして彼が知っているのだろう。私もジルヴァジオも旅を終えた後、ミロシュとの交友はなかったし、そもそも私たちが付き合っていることを知っている人物にはライナスぐらいしか心当たりがない。そのライナスはむやみやたらと他人のことを話して広めるような噂好きではないし、だとしたら、一体情報源はどこから――?



「わ、悪りぃ。やっぱ嘘だよな。あの性悪魔術師とお前が……なんてさ」



 重い沈黙を振り払おうとしたのか、ミロシュは声を上げてわざとらしく笑う。

 いっそ沈黙を貫いてしまおうか、と一瞬考えた。否定も肯定もしなければミロシュは「嘘だ」と判断してくれるだろうし、それはミロシュが勝手に思い込んだことであって私が嘘をついたことにはならない。

 ――が、しかし、ここで沈黙を貫くということは、私はジルヴァジオと付き合っていることを後ろめたい、隠したいと思っていることの証のように思えてしまって。

 気づけば私は口を開いていた。



「マジ、です」


「え」



 ミロシュは手に持っていた魔導書をその場に投げ捨てた。そして目を驚きに見開き、短い眉毛を吊り上げ、迫力のある表情を引っ提げて大股で近寄ってくる。



「な、なんだったんだよ、今の間は!」


「どうして知っているのか、驚いてしまって……」


「世間じゃその噂で持ちきりだぞ。預言の神子様と世界一の……じゃない、変人魔術師が“好い”仲だって!」



 ――人の口には戸が立てられないというけれど、まさかそんな噂になっていたなんて。

 そこでその噂が広まった原因に思い至った。もしかすると、ジルヴァジオの恋人としてアボット男爵令嬢の誕生日パーティーに出席したことがきっかけかもしれない。

 アボット男爵とそのご令嬢は言いふらすようなことはしないだろう。しかしパーティーの最中、貴族に絡まれた私を助けるためにジルヴァジオは大勢の前で「恋人」だと名乗り出た。その光景は大勢に目撃されていたに違いない。

 自分たちの関係が噂されていたことに、激しい羞恥心を覚えた。それと同時に、この世界では私はゴシップの種になる存在なのだと己の言動を顧みる。もともと言動には気を付けていたつもりではあるけれど、今後いっそう気を付けなければ。



「マジかよ。いつの間にそんな話になってたんだ? 旅してたときは全然そんな雰囲気なかったじゃねぇか。つーか二人で話してたとこ、そんな見た覚えねぇんだけど……」



 戸惑いに目を回しているミロシュの姿が、ジルヴァジオが突然訪ねてきた頃の自分と重なった。

 当事者である私自身が驚いたぐらいだ。傍から見ても、私とジルヴァジオが突然恋仲になるのはおかしいのだろう。実際彼の言う通り、旅の最中はそれらしい雰囲気もなく、そもそも二人きりで話したことすらなかったのだから。

 ぶつぶつと呟くミロシュの姿に苦笑して、隠すことでもないのでゆっくりと語り始めた。



「そういう話になったのは、旅の後ですね」


「急に?」


「そうですね、急に」



 信じられない、と言いたげな胡乱な瞳で見つめられる。



「あんな奴と一緒にいて、疲れねぇのかよ」



 改めて問いかけられて、私はしばしの間考え込んでしまった。

 確かにジルヴァジオの突飛な言動には振り回されてばかりだし、どれだけ一緒にいてもその思考を理解できる日はきっと来ないだろう。それに疲れないか、と問いかけられればその通りだ、と頷く以外の選択肢はない。

 けれど、彼との生活を振り返ってみて思うのは疲れた、よりも――



「……確かに、呆気にとられることも多いですけど……楽しいですよ」



 一緒にいると、楽しい。それが素直な思いだった。

 ジルヴァジオと過ごした日々を思い出す。鼓膜に蘇るのは彼の豪快な笑い声。脳裏に蘇るのは細められたグリーンの瞳。

 シロップ漬けのパンケーキ。芸術的に跳ねる灰色の毛先。キャンバスに描かれた風景画と私の横顔。黒い塊から生み出された使い魔・ぐーちゃん。ツンデレな面をのぞかせる闇の住人レディ・ジークリンデ。かわいらしく健気なアボット男爵親子。目が回る移動魔法テレポート。魔物騒動と私が見た悪夢。そして私のことを信じてくれたジルヴァジオ――

 たった数ヶ月の間とは思えないぐらい、濃い毎日を過ごした。あっという間に過ぎ去ってしまったような、数年分の密度があったような、充実した日々。

 楽しいことばかりではなかった。レディ・ジークリンデには殺されかけたし、二日間の馬車の旅でお尻がカッチンコッチンになったし、思わぬ悪夢に心臓が止まるかと思った夜もあった。けれど全てが思い出となった今、思い返したときに私の胸に満ちるのは、楽しかったという素直な気持ち。そして、ジルヴァジオに対する――感謝の気持ちだった。

 私が充実した毎日を過ごせたのは、他でもない、彼のおかげだ。



「まぁ、本人がそう言うなら他人が口出すことじゃねぇか」



 不意にミロシュの声音が和らいだ。

 いつの間にか俯いていた顔を上げ彼を見る。目が合うと、ミロシュは赤の瞳を細めた。眉尻は下がっており、「仕方ねぇなぁ」と言いたげな表情だ。



「騙されてんじゃねえかって心配してたんだけどよ、そんな顔して言えるなら大丈夫そうだな」


「……どんな顔してました?」



 思わず頬に手をあてて尋ねる。彼が大丈夫そうだと判断した表情とは、一体どのようなものだったのだろうか。

 ミロシュは腕を組んで考え込むように首を傾げた。



「なんつーか、ほら、楽しそうな……」


「ワフ」



 ミロシュが言い終わる前に、背中にぐーちゃんの湿った鼻先が強く押し付けられるのを感じた。彼の言葉の続きが気になったが、ぐーちゃんを無視するわけにもいかず私は振り返る。

 ぐーちゃんはきらめくネックレスをその口にくわえていた。赤い宝石が埋め込まれた指輪も目視できる。



「あ、このネックレス……ミロシュさん、探し物はこれではありませんか?」



 考え込んでいる様子のミロシュに向かって差し出すと、彼は目を輝かせた。そして足元の魔導書を蹴散らしながら更に近寄ってくる。



「それだ! ありがとな、エスメラルダ」



 大切なものが自分の許に帰ってきたと安堵した彼は、目尻と眉尻をこれ以上なく下げていた。普段の凛とした表情とはまるで違う。

 口元に薄い笑みが敷かれ、眇められた赤い瞳は今ここにいない妹の姿を映しているのか。初めて見るミロシュの表情は、表現するならば、そう、とても幸せそうな――



「さっきのお前、幸せそうな表情してたよ」



 今まさに考えていたことと全く同じ単語がミロシュの口から飛び出てきて、私はどきりとした。

 幸せそうな表情。先ほどの私は――ジルヴァジオのことを考えていた私は、先ほどのミロシュと同じ表情をしていたのだろうか。

 目尻を下げ、眉尻も下げ、今はここにいない人物を追い求めるように目を眇めて、薄く微笑む。

 その表情を浮かべたミロシュは大切な家族のことを考えていた。それならば、同じ表情を浮かべた私は、ジルヴァジオのことを――?



「なんて顔してんだよ」



 こちらを一瞥しぷ、と吹き出すミロシュ。自分が今どんな表情を浮かべているのかてんで見当もつかず、頬を軽く抓った。

 ミロシュは嘘がつけない性格だ。そしてジルヴァジオを心の底から嫌っている。そんな彼が、ジルヴァジオのことを話す私の表情を“幸せそうな表情”と称した。

 ――これ以上、己の心を見て見ぬふりするのも限界かもしれない。

早くジルヴァジオを探し出して、諦めの悪い自分自身に認めさせてしまおうと、他人事のように思った。


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