24:久しぶりの一人



 ジルヴァジオがいなくなってから早数日、私は暇を持て余していた。



(静かだなぁ……)



 リビングのソファに座り、傍らに丸くなっているぐーちゃんを撫でながら、窓の外の景色を無心で眺める。

 彼を探すか探さないか、その結論を出すのを先延ばしにして、私はとりあえず久しぶりの独身生活を満喫しようとした。本を読み、お菓子を作り、パンを焼き、編み物をし――

 しかし以前のように、数日もすれば飽きてしまった。かつてジルヴァジオの「暇つぶしに恋をしよう」などというありえない提案に頷いてしまったのも、それだけ暇だったからだ。当時と同じことを繰り返していれば、今こうして暇を持て余しているのも当然と言えた。

 ぼんやり外を眺めていて、湖のほとりにイーゼルが立っていることに気が付いた。ここ最近はお見合い騒動やら魔物騒動やらで忙しくしていた影響で、絵を描く時間は取れていなかったけれど、画材を出しっぱなしにしたままだっただろうか。

 今すぐ絵を描く気にはなれなかったが、とりあえず画材を片付けておこうと外へ出る。そして湖畔に立てられたイーゼルに近づき、気が付いた。

 イーゼルの上に、一枚のキャンパスが飾られている。



「……この絵……」



 手に取ってようやく分かった。

 キャンバスに鉛筆で描かれていたのは私の間抜けな寝顔だった。気持ちよさそうにクッションに頭を預けている。

 誰が描いたものかなんて考えなくても分かった。しかし一体いつ描いたのだろう。手近に描く題材がなかったとしても、なにも恋人の寝顔を描かなくてもよかっただろうに。

 絵に描いたということは、それだけ観察されていたということになる。このときの私は涎を垂らしていなかっただろうか、寝言を言っていなかっただろうか――。

 胸の奥から湧き上がってきたのは羞恥心で何重にもコーティングされた喜びだった。

 ふと、イーゼルの傍らに一枚のキャンバスと鉛筆があることに気が付く。私は思わずそれを手にとった。

 脳裏にジルヴァジオの姿を思い浮かべた。そして記憶の中の彼の輪郭を辿るように、キャンバスに鉛筆を走らせる。

 やがてキャンバスに現れたのはジルヴァジオ――にはとても見えない、下手な似顔絵もどきだった。



「こんなの見せたら笑われそう」



 鼓膜に蘇るジルヴァジオの豪快な笑い声。

 ――うるさいと思うことすらあったその声を、今は恋しがっていることに気づかない振りをした。



 ***



 翌日、私は山を越え近くの街へ降りた。

 食材の買い出しのためジルヴァジオが来てからも定期的に街を訪れていたのだが、以前は目的を果たすとすぐさま自宅に帰っていた。どれだけ顔を隠そうと私が預言の神子であることは何人かにはばれてしまい、運が悪ければ囲まれて動けなくなるからだ。

 今日も最初はそのつもりだった。しかし偶然にも街で祭りを催していたようで、普段より賑やか且つ華やかな露店に誘われるように、大通りを目的もなくぶらついていた。

 ふと、ある露店の前で足を止める。



「み、神子様!?」



 驚き慌てふためく露店の店主に目礼して商品を眺めた。

 美しい宝石にアクセサリー、繊細な刺繍が施されたハンカチーフに小物入れ。どれも素晴らしく美しく、思わず顔を近づけて一つ一つ凝視する。

 中でも目が引き寄せられたのは、小さな緑の宝石――おそらくはエメラルドが埋め込まれた銀の指輪だった。

 店主に断りを入れてから指輪を手に取り、太陽の光に透かす。

 日の光を受けて更に輝きを増したグリーンの宝石に、脳裏に浮かんだ顔があった。



(これ、ジルヴァジオに似合いそう)



 そんなことを考えてしまった自分に赤面する。

 エメラルドがジルヴァジオの鮮やかなグリーンの瞳と被って見えたのだ。



「神子様、よろしければ差し上げます」



 店主は嬉しそうに笑っている。よほど物欲しそうな瞳で眺めていたのかもしれない。

 私は指輪に括りつけられた札を確認し、金を店主に手渡した。いただけませんと恐縮する店主と押し問答になったため、カウンターの上に小銭を置いて私は逃げるように店先から離れる。

 その後も大通りに立ち並ぶ露店を眺めながら歩いた。人々の喧噪と色鮮やかな商品たちが、寂しさを埋めてくれるような気がした。

 今度は店先に大量の本が積み重ねられた露店の前で足を止める。一番上に置かれていた本のタイトルに見覚えがあったからだ。



「王子と少女……」



 いつだったか、ジルヴァジオがこの本の台詞を引用していた。若い女性に大人気のロマンス小説だ。

 おそらくは一度誰かの手に渡った古本なのだろう。若干表紙が汚れていたが、それ以外は美品と言って差し支えなかった。

 露店の店主は老人で、私が神子だということに気づいていないらしかった。これ幸いと私は素早く本を買い、その場から離れる。

 買った指輪と本を手に、私は自宅へ戻った。夕方前に街を発ったのだが、山一つ越えていたら自宅に着くころにはすっかり日が落ちていて。

 はしたないと思いつつ、夕食を食べながら買った小説の表紙を開いた。

 王子と少女。タイトル通り身分違いの二人が惹かれあい、すれ違い、結ばれる王道ロマンス。おそらくジルヴァジオはこの“通俗小説”で、恋とは何か学ぼうとしたのだ。

 物語の流れに既視感はありつつも、素直に面白い小説だった。主人公の少女は健気で、相手役のヒーローはクールながら主人公を熱く想っており、若い女性の間で人気なのも納得だ。

 しかし、主人公の少女の目線で語られる物語を読み進めながら、私は頭を抱えたくなった。なぜなら――少女の口から語られる“恋の症状”に、身に覚えがありすぎたからだ。

 笑いかけられて胸が高鳴る。

 信じてくれてうれしい。

 離れると寂しくなって、相手のことばかり考えてしまう。

 それらの“恋の症状”を自覚し、少女は腹を決めるのだ。身分違いであろうと自分は王子のことを愛している、だから共に歩める道を探そう、と――

 私は一度本から視線を外し大きくため息をついた。その際机の上で光る指輪が視界に入り、ますます追い詰められたような気持になる。

 この小説も指輪もジルヴァジオのことを考えているうち、買ってしまったものだ。



(私は、ジルヴァジオのことを……)



 薄々気づきつつあったこの気持ちに、名前を付けてしまってよいのか躊躇う。

 自覚をしてしまえばもう戻れない。騒がしい日々から一転して、誰とも話さない静かな日々が続いているから寂しく、そして人恋しくなっているだけかもしれない。

 冷静な思考なのか、無意味な抵抗なのか、現実逃避なのか。どれかは分からないけれど、私の脳みそは今このとき、胸の内に疼く感情に名前を付けることを拒否した。

 ただ――もう一度会いたいという気持ちは確かだった。あのグリーンの瞳を見れば、心が決められるような気がした。

 だから。



「かくれんぼって……自宅に戻ったのかしら」



 ジルヴァジオは俗世との関わりが薄く、一番最初に思いつく隠れ場所といえば彼自身の自宅だ。ただこの屋敷からだとそれなりに距離がある。

 私の心はジルヴァジオを探すことを決めた。この決断が彼に誠実かは若干首を傾げるところだけれど、彼が私にとって“探すだけの価値がある人間”なのは紛れもない事実だ。だから私はかくれんぼの鬼になって、ジルヴァジオを探し出す。そしてもう一度あの残灰を頭から被ったような髪を、はっと目が覚めるような鮮やかなグリーンの瞳をこの目に焼き付けるのだ。

 そうと決めると途端に目の前が開けたような気持ちになった。まずはジルヴァジオの自宅への行き方を考えなければならない。

 彼の自宅はここから離れた深い森の中にある。街へ降りて馬車を乗り継いだとして、一体何日かかることだろう。しかし移動魔法テレポートを使えない私に、それ以外の方法はない。

 外出の準備をしようと立ち上がる。――と、何かに足元を引っ張られた。机の下を覗き込むと、黒い瞳がこちらを見上げていた。



「ぐ、ぐーちゃん?」



 呼べば、ぐーちゃんは机の下から出てくる。そしてその場で一回転。すると驚くべきことに、かわいらしいフレンチブルドッグの姿が狼へと変わった。

 先日、私とレディ・ジークリンデを乗せてジルヴァジオの許まで連れて行ってくれたときと全く同じ姿だ。女性二人を楽々背に乗せて、馬車よりもこの世界にはまだない車よりも早く、目的地まで空を駆ける頼もしい狼の姿――

 ぐーちゃんがこの姿になったということは、まさか。



「ジルヴァジオの自宅まで、連れて行ってくれるの?」



 頷くように私の腕に頭をこすりつけるぐーちゃん。感動のあまり、もふもふの頭を思わず抱きしめた。

 ぐーちゃんは湖のほとりで生まれたから、当然のことながらジルヴァジオの自宅を訪れたことはない。しかし彼の魔力から生まれた使い魔として、生みの親の自宅を知っているようだった。

 そこではたと思い出す。魔物騒動の際、ぐーちゃんはジルヴァジオがいる場所を把握して一直線に向かっていった。もしかしたら使い魔は生みの親の魔力を辿れるのかもしれない。だとすると、ぐーちゃんにお願いすれば一発でジルヴァジオの居場所を見つけ出せるのでは――

 しかしそれは狡い考えだ、と頭を振る。きちんとかくれんぼのオニとして、自分の力のみでジルヴァジオを見つけなければ、彼の前に胸を張って立つことはできない。



「ジルヴァジオの自宅までよろしくね、ぐーちゃん」



 大きな背中をぽんぽんと叩き、私は荷物をまとめるため自室へ向かう。

 今から家を出るとジルヴァジオの自宅に着く頃には深夜になってしまう。流石にそれは迷惑だと思い、明日の朝出発することに決めた。


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