23:かくれんぼ



「かくれんぼをしよう」



 魔物騒動から数日経ったとある朝のできごとだ。リビングで顔を合わせるなり、ジルヴァジオは突然そんなことを言い出した。

 地獄の甘さを誇るジルヴァジオ特製パンケーキを無心で口に運んでいた私の耳は、“かくれんぼ”という久しぶりに耳にした単語を拾うことしかできなくて、ただ目の前の彼を見つめる。



「先日の僕のお願いは思ったより君を悩ませているようだ。それなら一人で考える時間が必要かと思ってね」



 ジルヴァジオは腕を組み、思いのほか真剣な表情で続けた。

 ――彼の言う通り、先日“お願い”されてからというもの、私はずっと頭を悩ませていた。

 僕を君の恋人にしてほしい。そう言われてどきりとしたのは事実だ。そしてジルヴァジオと過ごす日々を楽しいと感じていたのもまた、事実だ。しかしただ楽しいからという理由だけで、彼のお願いに頷いていいものかと悩んでいる。

 暇つぶしに恋人になろう、と提案されたときは軽い気持ちで頷いた。冗談だと思っていたから。しかし今度は本気だとジルヴァジオ本人が断言した。

 それなら私も軽い気持ちで考えず、しっかり本気でジルヴァジオと、そして自分の心と向き合わなければ彼に失礼だろう。



「君がオニだ。このゲームをどうするかの主導権を握っている」



 頷きも否定もしない私を前に、ジルヴァジオは一人芝居でもするように語る。

 かくれんぼって、私が知っているあのかくれんぼ? 私がオニということは、ジルヴァジオが隠れる?

 フォークを刺し、口元まで運びかけていた一切れのパンケーキがべちゃ、とシロップの海に落ちる。パンケーキを迎え入れようと半開きにしていた口が渇きを訴えて、ジルヴァジオから目線を逸らさずに手元のティーカップを手繰り寄せた。



「鬼が探そうとしなければ、かくれんぼは成立しないからね」


「あの、一体どういうつもりで……」



 どうにか挟んだ疑問に、ジルヴァジオがテーブル越しに身を乗り出してきた。そして右の人差し指を目前に突き付けてくる。



「もし僕のお願いを受け入れてくれる気があるのなら、隠れた僕を探し出して返事をしてほしい。受け入れる気がないのなら……探すことが面倒だと思うのなら、そのまま放っておけば良いのさ」



 そこまで早口で捲し立てると一旦口を閉じ、姿勢を正した。そして浮かべていた笑みを消し、真正面から私を見つめる。

 思いのほか冷静だった私の脳みそは、徐々にジルヴァジオの提案の意図を理解し始めていた。



「君にとっての僕は、探すだけの価値がある人間なのかどうか、考えてほしい」



 無意識のうちに私は膝の上に置いていた拳を握りしめていたらしい。こちらを見つめるグリーンの瞳から逃れるように俯き、スカートに寄る皺を見つけて自覚した。

 ――このかくれんぼはただの遊びではなく、私たちの未来を私が選ぶためのものだ。

 ジルヴァジオとこれからも共にいたいと思うのなら、彼と恋人になる選択をするのなら、隠れた彼を探す。

 正式な恋人にならず、今日限りでジルヴァジオとの共同生活を終える選択をするのなら、彼を探さすに放っておく。

 ゲームの主導権を握るのはわたし。ジルヴァジオはただ隠れていることしかできない。

 きっとジルヴァジオとしては、自分からの“お願い”に頭を悩ませる私を気遣って提案したゲームなのだろう。しかし正直なところ告白の返事をせかされているようで、じりじりと崖際に追い詰められている感覚だった。



「ほら、隠れるから目を瞑って十秒数えてくれたまえ」



 しかしそんな私の内心など露知らず、まるで子どものように無邪気に笑ったジルヴァジオ。どうやらもう、かくれんぼの始まりを阻止することはできないようだ。

 もしかするとこの笑顔が私の見る最後の彼かもしれない、なんて考えてしまって、後ろ髪を引かれるような思いでゆっくりと瞼を閉じる。

 こうなったらいい機会を得たと考えるしかない。あまりに返事を引き延ばしてもお互い気まずさが増すだけだろうし、ジルヴァジオに対しても不誠実だ。かくれんぼの中で答えを出そう。

 心の中で決意し、ゆっくり声に出して数え始める。



「いーち、にーい、さーん――」



 すぐさま足音が遠ざかっていく。玄関に向かったのだろうか。

 五秒ほど数えたところであたりは静寂に包まれた。足音すら聞こえなくなって、私は思わず瞼を開けてしまいそうになる。しかし鬼がルールを破るわけにはいかない、と眉間に力を入れて俯いた。

 しっかり十秒数えた後、私は恐る恐る伏せていた顔を上げる。



「ジルヴァジオ?」



 呼びかける。しかし当然返事はない。人の気配も一切しない。

 私の向かいの席で朝食を摂っていたジルヴァジオの食器が綺麗に片づけられていて、思わず席から立つ。自然と足は彼の自室へ向かった。

 ノックを三回。それから恐る恐る部屋の中を覗き込む。

 ――食器が片づけられていたのを見た段階で何となくの予感はあったけれど、元あった家具を除いて、彼の私物は何一つ残されていなかった。



(自室も空っぽ……この十秒で?)



 照明の落ちたジルヴァジオの自室“だった場所”で私は立ち尽くす。

 優秀な魔術師とはいえ、十秒という短い時間で自分の痕跡をここまで完璧に消せるものなのだろうか。今度掃除をしたいときはジルヴァジオに頼もうか――なんて考えて、果たしてそんな日は来るのだろうかと思い直す。

 まるで夢でも見ていたようだ。ジルヴァジオ・アッヘンバッハという世界一の変人魔術師と過ごした愉快な日々は全て私が見た夢で、目を覚ませばこの大きな屋敷に一人きり――

 ぞっと背筋を悪寒が駆け抜ける。人のぬくもりが感じられない空き部屋は、やけに寒々しかった。

 不意に廊下から足音が聞こえてきて、勢いよく顔を上げる。明らかにジルヴァジオのものではない。爪で廊下をひっかくような、硬い足音の持ち主は――



「ぐーちゃん……」



 ジルヴァジオが贈ってくれた私の使い魔・ぐーちゃんが、半端に開いた扉の隙間からこちらの様子を窺っていた。

 呟くように呼んだ名前に反応したのか、ぐーちゃんは近寄ってきた。そして私の足を半分踏むような体勢でお座りして見上げてきたので、その小さな体を抱き上げる。

 ジルヴァジオが残した、唯一のもの。彼の気配が感じられる、唯一のぬくもり。当然ジルヴァジオ・アッヘンバッハと過ごした日々は夢なんかではなく、確かに存在していたのだ。

 あたたかい体を、気づけば強く抱きしめていた。



(……とりあえず、朝ごはんを食べよう)



 いつまでも空っぽになったジルヴァジオの自室で立ち尽くしている訳にもいかない。私はリビングに降り、途中だった朝食を再開した。

 ジルヴァジオが作った地獄のような甘さのパンケーキ。彼が朝食を作ってくれるときは大抵このメニューで、何回食べようとその甘さに毎回新鮮に驚かされる。

 切り分けた一切れを口に放り込む。喉を焼くような甘さに思わず咽て、ハーブティーで強引に流し込んだ。

 パンケーキを見下ろし、一人苦笑交じりに呟く。



「このパンケーキの甘さは一生忘れないだろうなぁ」



 そう、例え――ジルヴァジオともう二度と会わなかったとしても。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る