22:変人魔術師の告白



「――おはよう」



 瞼を開けてすぐ、視界に飛び込んできたのは晴れやかな表情の恋人――ジルヴァジオ・アッヘンバッハだった。

 意識がはっきりしない。随分と深い眠りに就いていたような気がする。

 動きが鈍い頭で今自分が置かれている状況も把握しきれないまま、私は返事をした。



「……おはよう、ございます?」



 ぼんやりとあたりを見渡していたら、胸元に黒い塊が突っ込んできた。

 不運にもみぞおちに直撃して、思わず咽そうになった塊の正体は、



「ぐーちゃん!」



 私とレディ・ジークリンデを背に乗せた狼の姿から、かわいらしいフレンチブルドッグの姿に戻った使い魔・ぐーちゃんだった。

 ぐーちゃんは私の頬をしきりに舐める。どうやら心配してくれているらしい。



「元の姿に戻しておいたよ。随分とレディに捏ねくり回されたようだったからね」



 ふぅ、とため息をつくジルヴァジオの肩越しに見えるのは、見慣れない客室の風景。部屋に時計がないため詳細な時刻は分からなかったものの、窓から見える太陽の位置はすっかり高く、もしかするとお昼近いかもしれない。

 意識を失う前の記憶を手繰り寄せる。ジルヴァジオが刺される夢を見て、レディ・ジークリンデとぐーちゃんの力を借りて彼の許まで駆けつけて、それで――おそらくは魔法で眠らされていた。



「あの、記憶があまり定かではないのですが……」



 眠っていた間、一体何があったのだろう。今ジルヴァジオが目の前にいることから、私が見た“悪夢”と同じことが起きなかったのは確実だが――

 ジルヴァジオは安心させるように私の手を優しく握った。



「魔物騒動は全て解決した。君のおかげだ」


「え! ということは……」


「君が夢に見た通り、魔物は副団長くんではなく副団長補佐くんに化けていた。補佐くんの不審な言動については、彼らは職務上一緒にいることが多く副団長くんも魔物に侵食されかけており、操られていたというのが勇者くんたちの見解だ」



 早口で伝えられた事の顛末を、起き抜けの私の頭は半分ほどしか理解できなかった。とにかく私がのんきに眠っている――眠らされている――間に、全て解決したらしい。

 どういった方法で魔物を退治したのかは見当もつかないけれど、ジルヴァジオは私の夢を信じてくれたようだ。それを嬉しく思う一方で、いくら元預言の神子の夢とはいえ、なんの確証も得られない文字通りの“夢物語”をよく信じられたものだな、と意外に思う。

 ジルヴァジオはこう見えて、現実主義な面があるのだ。魔王封印の旅の最中は幾度となく私の“預言”に疑問を呈していた。預言を妄信する仲間たちに忠告を繰り返した。だからこそ、今回彼が私の夢の話を信じてくれたことが不思議でならない。



「不確かな夢の話を信じてくださったんですね」


「夢を信じたんじゃない。君を信じたんだ」



 ――君を信じた、なんて、目を見てはっきりと言いきられては誰だって照れるに決まっている。

 私が頬を赤らめたことを咎める人はいないはずなのに、心の中で言い訳染みたことを考えてしまう。



「……ありがとうございます」



 赤くなった頬を前髪で隠すように俯きながら、そう呟くので精一杯だった。

 ――君を信じた。

 鼓膜にこびりついたジルヴァジオの言葉に、声に、私は緩む口元を抑えきれないでいた。彼から寄せられる信頼が心地よく、嬉しかった。

 ちらりとジルヴァジオの様子を窺う。こちらをじっと見つめるグリーンの瞳に、昨晩自宅を飛び出してきてよかった、と心の底から思った。

 私の夢の話がなくとも、ジルヴァジオやライナスの力があれば魔物を探し出せていた可能性は十分ある。しかしあの夢を見た後に何もせず、万が一ジルヴァジオが刺された、なんて報せを耳にしていたら――きっと後悔してもしきれなかっただろう。

 ベッドサイドの椅子に腰かけるジルヴァジオに気づかれないよう、ほっと胸を撫で下したときだった。



「さて、ここで一つお願いなのだがね」



 ジルヴァジオは椅子から立ち上がり、私が眠るベッドに浅く腰かける。そして目前に右の人差し指を突き付けてきた。

 かと思うと、



「僕を君の恋人にしてくれないか」



 突然そんなことを言い出した。

 数秒の後、私は首を傾げる。彼の言葉が理解できなかったからだ。

 ジルヴァジオは“お願い”と前置きをした上で「恋人にしてほしい」と言った。しかし私たちは世間一般でいう恋人関係からは多少はみ出ているものの、一応は恋人同士であったはず。

 今でもあのときジルヴァジオの提案に頷いたことについて、自分のことながら暇すぎて血迷っていたとしか思えないのだが、今はこの関係を楽しんでいる自分がいる。おそらくジルヴァジオも別れを切り出さない程度には、楽しんでくれているはずで――

 今更改めて“お願い”してくるなんて、一体どういうつもりなのだろう。



「……すでに私たちは恋人なのでは? ジルヴァジオが言い出したことですよね?」


「それは正確な記憶ではないね。あの日は『恋人にして欲しい』ではなく、『僕と恋をしてみないか』と言ったはずだよ」



 言われてみればそうだったかもしれない。しかし言い回しが変わっただけで、結局同じことを言っているように思えた。



「……同じことではありませんか?」


「全く違う! 大違いだ!」



 ジルヴァジオは髪を振り乱すように大きく首を振った。その際古い作りのベッドがギシ、ギシ、と嫌な音を立てる。

 慌ててジルヴァジオの肩に手を添えれば、彼は動きを止めて改めてこちらを見た。



「あのとき僕がしたのは“提案”だ。今僕は君に“お願い”をしている」



 目前に突き付けられていた人差し指が握りこまれたかと思うと、すぐさま拳は解かれて私の右頬に大きな手が添えられた。

 かさついた手のひらだ。魔法を使っているせいなのか、指先の皮膚が引きつっている。

 すり、と目元を親指で優しく撫でられる。心地よいぬくもりに頬を摺り寄せてしまいそうになるのをじっと堪え、私はジルヴァジオを見た。

 彼は躊躇うようにぐ、と一度下唇を噛みしめて、それからゆっくりと唇を解く。そして、



「僕を、君の恋人にして欲しい、と」



 希うような、縋るような瞳で再度“お願い”を口にした。

 初めて見る真剣な表情だった。嘘をついているとは思えない。冗談を言っているとも思えない。今目の前で私を見つめる男性は、本当に“あの”ジルヴァジオ・アッヘンバッハなのだろうか。

 当惑するあまり、私は彼から逃れようと顔を引こうとした。しかし右頬に添えられているジルヴァジオの手がそれを許さない、というように首元へ回る。ぐっと強い力で頭を固定され、顔を引くことも俯くこともできなくなってしまった。

 観念した私は、恐る恐る口を開く。



「それは、その、つまり……本気で、ということですか?」


「あの日も言わなかったかな? 僕はいつだって本気だ」



 あまりに突然のことで、私の脳は混乱のあまり完全に機能停止する。

 ――おそらく今、告白された。暇をつぶすためにお互いに利用し合う仮初の恋人関係から、本当の恋人になろうと。

 信じられないというのが正直なところだ。自分で言うのも悲しい話だが、私はただ前世の記憶のおかげで預言の神子“もどき”に成りすましていただけの一般女性であり、世界有数の黒魔術師に恋い慕われるような存在ではない。一体彼が私のどこに魅力を感じたのか、てんで見当がつかなかった。

 冗談でしょう、と笑い飛ばしてしまうことは簡単だ。しかしそれではジルヴァジオの心を傷つけてしまう。

 何も分からない。けれど、ジルヴァジオのまっすぐな瞳と、こちらに向かって開かれた心と、私はきちんと向き合うべきなのは分かった。

 ――そう頭では理解しているのに、何も言葉が出てこない。イエスもノーも、時間が欲しいという“お願い”さえ。



「……えっと、その」


「すぐに答えを出す必要はないよ。今回はただの暇つぶしではないからね、じっくり考えるといい」



 一向に返事をしない私を見かねてか、助け舟を出してくれるジルヴァジオ。ふふん、となぜか偉そうに胸を張っているのが気になったが、彼の言葉はありがたかった。

 一度、しっかりと落ち着いて考えなければならない。すぐに答えが出るとは思えないけれど、ジルヴァジオと暇つぶしを目的とするわけではない、本当の恋人関係になるか否かを。

 寝起きの頭には荷が重い考え事に、私は早々に考えを放棄した。とりあえず自宅に帰って一息ついてから、頭の冴えるハーブティーを御供に改めて考えるとしよう。



「よし、帰ろうか」



 そう言うなりジルヴァジオは私の膝裏に手を差し入れて、俗に言うお姫様抱っこの状態でベッドから抱き起こす。

 彼は私の顔を見下ろし、ウインク一つ。嫌な予感がする。――まさか。



「え、ちょっと待――ぎゃあ!」



 私の制止の声はむなしく響き、世界が回転した。移動魔法テレポートだ。

 ただでさえ慣れていないというのに、寝起きの頭に移動魔法テレポートは拷問としか言いようがない。ぐわんぐわんと脳みそを直接揺さぶられるような感覚に気が遠くなる。自分の体を支えるジルヴァジオの腕が命綱のように思えてきて、ひしと強く抱き着いた。



「あっはっは! 気持ちのいい日だね、エスメラルダ!」



 青空を見上げてジルヴァジオは叫ぶ。

 喉奥に悲鳴を飲み込んで、私はジルヴァジオを睨みつけた。当の本人は涼しい顔で前を見つめている。

 あぁ、やっぱり彼の恋人は私には荷が重いかもしれない。

 ジルヴァジオの大きな笑い声を聞きながら、私は強く目を閉じた。――視界が遮断されたおかげで、私を抱きしめるジルヴァジオの腕にぎゅっと力が入ったことが分かってしまって、耳が赤くなるのを感じる。

 気づかれないようそっと、ジルヴァジオの胸元に頬を摺り寄せた。けれど他人の言動に目ざとい彼にはきっと筒抜けだったことだろう。

 それでもジルヴァジオは何も言わなかった。それどころか更に強く抱き寄せて――再び、世界は回転した。


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