20:エスメラルダ



 騒ぎを聞きつけた近衛騎士団員が続々と廊下に集まってくる。彼らに事の顛末を報告し、取り急ぎ副団長の身柄を拘束させた。彼にもおそらく魔物の手が伸びているはずだ。

 副団長は自室で気を失っていた。本人に話を聞くとここ数か月の記憶が飛び飛びで、副団長補佐の皮を被った魔物と共に行動することが多かった故に、その精神を蝕まれ操られていたと結論付けた。しかし油断はできないため、しばらくは監視下に置かれるらしい。

 僕と勇者ライナスは、魔物によって命を奪われた本物の副団長補佐・ヤン殿を弔うことにした。

 城の裏にある森の入口に穴を掘り、そこに僕が無残にも剥いでしまった皮と彼の鎧、その他私物を埋める。その作業の最中、ライナスがぽつぽつと話し始めた。



「ジルヴァジオ、旅してたときからエスメラルダのこと気にかけてたよな。付き合い出したって風の噂で聞いたときは驚いたぜ」



 僕は穴を埋めていた手を止め、隣のライナスを見た。

 まさか彼に気づかれていたなんて思いもしなかった。なぜなら彼は、複数の女性から想いを寄せられていたにも関わらず、ありえないほどの鈍感さで彼女たちの恋心を踏みつけ続けた鈍感くんだったからだ。



「……君のような鈍感くんと恋バナをするつもりは毛頭なかったのだが、自分以外のこととなると案外鋭いのだね」



 今も僕の皮肉に首を傾げている。鋭いのか鈍いのか、全くどちらかにしてほしい。

 あれだけあからさまに女性陣からアタックを受けていたにも拘わらずこの調子とは、勇者が恋を知るのはまだまだ先のことになりそうだ。



「いつも目で追ってたろ」



 ズバリ言い当てられて、僕は誤魔化すのを諦めた。

 ライナスの指摘通り、僕は旅の最中ずっとエスメラルダを気にかけていた。預言の神子という存在に興味と、ある種畏怖のような感情を抱いていたのだ。



「思うに、僕らの中で一番重責を背負っていたのはエスメラルダだ。僕らはただ、彼女の預言に従って行動していたに過ぎない」



 エスメラルダの預言は一度も外れたことがなかった。だからライナスをはじめとして、勇者一行は彼女の預言に全幅の信頼を置いていたし、何においても彼女の預言を第一とした。

 しかしそれはエスメラルダからしてみれば、とてつもないプレッシャーだったはずだ。



「自分の一言で、世界の行く末が決まる。ほんの少しの間違いも許されない。僕が彼女の立場だったら、とっくに喉元を掻きむしって死んでいただろうね」



 僕は何度かエスメラルダの預言に突っかかったことがある。彼女の言葉を全く疑わないライナスたちに苦言を呈したのだ。しかしエスメラルダは決して揺らがなかった。それどころかどうか信じてほしいと、力を貸してほしいと頭を下げた。

 それでも授かった預言を疑う様子がないエスメラルダを、僕は最後まで信用しきれなかった。旅の道中、彼女は実は魔物側のスパイで、いざという時にでたらめの預言を掴まされるのでは、と考えたことさえあった。

 ――しかし彼女はやり遂げたのだ。最後まで揺らがず、大きなミスも犯さず、完璧に。



「けれど彼女は最後まで神子として僕たちを、勇者である君を導いた。逃げなかった。その姿は、世界に背を向け自分の世界に閉じこもっていた僕には……とても、眩しかった」



 今でも鮮明に思い出せる。魔王を封印し、ようやく晴れた青空を見上げるエスメラルダの横顔を。

 使命を終えた彼女は、そのまま青空に溶けて消えてしまうのではないかと心配になるぐらい、清々しい表情をしていた。




「でも、エスメラルダ本人は案外のほほんとしてたよな。俺たちに気を遣って、苦心する姿を見せないようにしてたのかもしれねぇけど」



 ライナスの言葉に頷いて、作業を再開した。



「その姿が余計に興味を引いた。彼女はその手に世界の命運を握りながらケロッとしていて、もしかしたら僕ら人間より上位の存在なのではないかと何度も疑ったよ」


「上位の存在?」


「例えば……女神とか」



 預言の神子は普段は至って普通の少女で、それが余計に彼女の異質さを際立てるようだった。

 ただ指示された通りに魔物を倒していた僕でさえ、世界を救う英雄として重すぎる重責に息がつまりそうだった。食事が喉を通らない日だって、眠れない夜だって幾度となくあった。それなのに誰よりも重責を感じていたであろう預言の神子は、けらけらと無邪気に笑って食事をしているのだ。信じられなかった。

 最初はその姿に恐怖すら感じた。不気味だと思った。そしてしばらくして、彼女は僕たち人間とは違う存在なのではないかと疑うようになった。

 全てを終えた後、エスメラルダは僕たちに告げた。「預言の神子はもう、未来を視ることはありません」と。それを聞いたとき、驚きと共に納得したのだ。彼女は魔王を倒すためにこの世界に遣わされた上位の存在で、使命を終えた後、天へ帰っていくのだろう、と。

 ――実際エスメラルダは旅の後、程なくして姿をくらませた。実際はただ人目から逃げるように住居を移しただけだったのだが、最初に預言の神子が失踪したと聞いたとき、「あぁやっぱり」と思ったものだ。



「なるほど。……それで、エスメラルダの恋人になって彼女の正体は分かったのか?」



 ライナスの視線を横顔に感じる。

 僕は再び手を止めて、近くの大樹に体を預けた。空を見上げれば、頭上に広がるは満天の星々。僕らが、エスメラルダが取り戻してくれた、空。

 天に帰ったと思われた預言の神子の足取りを追って、気づけば彼女の恋人という立場になっていた。当然のことながら、最初から恋人になるつもりで追いかけたのではない。湖のほとりに立つ屋敷でエスメラルダと再会したとき、まだこの世界に留まっている神子の正体を暴いてやるのも面白いかもしれない、と、そんな思いつきから恋人に立候補したのだ。――旅を終えた後、僕には腐るほど時間があったから。

 思いつきの提案にエスメラルダが乗ってきたことは予想外だったが、それからは思いの外楽しい日々を送ることができた。それと共に、勇者を導いた預言の神子エスメラルダの顔ではなく、一人の少女としてのエスメラルダの顔がだんだんと見えてきた。



「……朝が苦手で、甘いものが好き。絵はあまり得意ではないけれど、動物を描かせると中々味わいのある絵を描く。言葉遣いは丁寧だが物怖じせず、時折グサリと胸を抉ることを言う。図太いところもあって、この僕が振り回されることもある。あとなぜか変な奴に目をつけられやすい。強く拒絶しようとしないから心配だ。それから……恋人が刺される夢を見て、いてもたってもいられず駆けつけてしまうぐらいには、素直だ」



 レディ・ジークリンデの力を借りたとはいえ、城壁を突き破って僕の許まで駆けつけてくれたときは驚いた。あのとき、初めて彼女の剥き出しになった心に触れられたような気がした。



「恋人の無事を確認して、体を震わせながら涙ぐむ……年頃の少女と何ら変わりない、ただの、少女だ」



 僕のローブを掴んだ小さな手は震えていた。僕を見上げる瞳は潤んでいた。

 琥珀色の瞳と目線が絡んだとき、僕はこう思ったのだ。



「エスメラルダは、神なんかじゃ、ない」



 ――あぁ、なぜこんなにも胸が苦しいのだろう。

 目を閉じれば、瞼の裏にエスメラルダの笑顔が浮かぶ。笑っていてほしい、と思う。そしてできることなら、その笑顔を僕に向けてほしい、とも。

 僕は他人に何かを望むことはしてこなかった。その望みがかなえられなかったとき、待っているのは落胆と失望、そして絶望だ。期待しなければ裏切られない。誰かと一緒にいる喜びを知らなければ、一人でいる寂しさも知らずにすむ。そんな屁理屈をこの世の真実だと信じて生きてきた。

 けれど今の僕はエスメラルダに――そこまで考えて、思考をシャットダウンする。冷静なもう一人の自分が、これ以上考えてはいけないと警鐘を鳴らしているのだ。



「安心した」


「え?」



 ライナスを見る。彼は信じられないものを見るような目つきでこちらを見ていた。



「あんた、そんな顔できるんだな」



 再び脳内で警鐘が鳴り響く。

 ライナスに問いかけてはいけない。ここで話を終わらせるべきだ。これ以上は――

 確信にも似た予感がしていたのに、僕の口は自然と解けていた。



「……そんな顔って、一体どんな顔だい?」


「恋してる青二才の顔!」



 ニッと歯を見せて笑うライナス。

 ――恋してる青二才の顔。

 自分の中に渦巻いている感情を、目を逸らし続け自分では名付けてやれなかった感情を、ずばり言い当てられたような気がした。

 そうか。僕は恋をしているのか。これが知りたいと願った、恋という感情なのか。

 一瞬にして目の前が開けた。なんだ、至極簡単な話だったのだ。僕が勝手に難しく考えていただけで、ライナスは僕の表情を見るなりあっという間に答えに辿り着いてしまった。

 いや、とっくのとうに答えは出ていたのだ。ただ向き合う勇気がなかっただけ。目を逸らし続けた感情を、デリカシーに欠けるライナスが目前に叩きつけてきた。

 気づいてしまったら、向き合ってしまったら、僕は選択しなければならない。尻尾を巻いて逃げ出すか、腹を括るか。――答えは二つに一つだ。



「……少し前の僕なら、そんなことを君に言われたら怒りのあまり掴みかかりたくなっていただろうが」


「恐ろしいことをサラッと言うな」



 ライナスはぶるりと身を震わせた。

 信じられないほど鈍感な彼に恋の手ほどきを受けるなんて、不覚にもほどがある。一瞬で僕の顔から恋慕を見抜けるなら、あれだけ分かりやすく自分を見つめてくる女性陣の気持ちも分かるはずだろうに。もしかしたら彼は誰の気持ちにも応える気がなく、分からない鈍感くんの振りをしていただけ――? いや、ライナスがそこまで考えていたとは思えない。

 どうであれ、今回ばかりはライナスに感謝しなければならないだろう。彼がずばり言い当ててくれたおかげで、最短距離でエスメラルダへの想いを自覚できたのだから。

 目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは、恋しい女性の愛しい顔。



「今は、悪くない気分だ」



 ――エスメラルダ。

 早く君の笑顔が見たい。


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