19:化けの皮



 意識を失った“彼女”を抱き止めて、“僕”は顔にかかった髪を指先で払ってやった。

 ブロンドの柔らかな髪。今は瞼の下に隠れてしまっている琥珀色の瞳に見つめられると、腹に抱えた後ろ暗い秘密を見透かされているような気持になる。

 ――預言の神子・エスメラルダ。勇者を導き、この世界を救った少女。今はこの僕、ジルヴァジオ・アッヘンバッハの恋人だ。



「レディ」


『分かっていますわ』



 部屋を覆っていたレディ・ジークリンデの闇が小さくなっていく。やがて半透明のシルエットが淑女の姿を浮かび上がらせた。

 意識を失ったエスメラルダを椅子の上に座らせる。レディはいつも右手に持っているハンカチを伸ばすように広げ、どこまでも大きくなっていく“ハンカチだったもの”で彼女の全身をくるんだ。そうすれば、エスメラルダの姿はレディのハンカチの中――闇の結界の中――に消える。

 レディは広げたハンカチを、今度は小さく折りたたんだ。そしてすっかり元のサイズに戻すと、いつものように口元をハンカチで上品に押さえる。まさか淑女が手にするハンカチの中で、預言の神子がすやすやと寝息を立てているとは誰一人思わないだろう。

 エスメラルダは僕に夢の話をするため、わざわざこの城まで来てくれた。彼女はずいぶんと自分の夢に自信がなかったようだけれど、僕は彼女の夢が正しい預言であることを確信している。

 だからこそ、エスメラルダには眠ってもらい結界の中で保護しておく必要があった。今頃近衛兵の中に紛れ込んだ魔物は、預言の神子の登場に大慌てしていることだろう。その身に危険が及ぶ可能性は高い。



「さて、魔物くんに会いに行くとしようか」



 部屋の片隅で行儀よくお座りをしている闇の猛獣――もとい、ぐーちゃんに近づく。随分とレディにいじくりまわされたようだ。



「ぐーちゃん、君にも協力してもらおう。ご主人をよく見ている君にしかできない仕事だ」



 にっこりと微笑み、ぐーちゃんの体に手を伸ばした。

 使い魔の体は魔力の塊のようなものだ。まさに変幻自在。――それこそ、人間の姿に似せることだってできる。

 ぐーちゃんにはエスメラルダの代わりに、魔物をおびき寄せる囮になってもらうつもりだ。背格好だけ彼女に似せて、顔立ちを作りこむ時間はなかったため僕が着てきたローブを被せる。そして僕が隣に立てば、遠目に見て“それっぽく”なるだろう。

 完璧でなくていい。ただ、魔物をおびき出せればそれでいいのだ。

 僕はぐーちゃん扮する偽のエスメラルダを連れて、近衛騎士団・副団長のチェスラフ殿の許へ向かった。彼こそライナスや他の近衛兵が魔物ではないかと疑っている第一容疑者であり、僕自身も潔白の身ではないだろうと考えていた。

 ――しかしエスメラルダが授かった預言によれば、黒幕は別にいる。



「彼女を休ませるために、部屋を一室貸してほしい」



 僕が副団長チェスラフ殿の許を訪れたのは、彼がこの棟の全ての鍵を任されている責任者だからだ。それと同時に、彼に接触し僕らの行動を魔物に知らせる必要があった。

 副団長は二つ返事で頷くと、直々に客室まで案内してくれる。部屋の前で彼と別れた後、にせエスメラルダと会話するフリをしてあたりの気配を探った。

 ――あぁ、引っかかった。

 新たに背後に現れた一つの気配にほくそ笑みつつ、エスメラルダが偽物だとばれないよう背中でその姿を隠す。



「それじゃあ、おやすみ。いい夢を」



 そしてローブを着せたまま、偽のエスメラルダを部屋の中に押し込んだ。そしてすぐ、部屋に内側から鍵がかかったことを確認する。

 レディ・ジークリンデに見張りを頼んで、僕は鍵を副団長に返すため一旦その場を離れた。

 数分前に別れた副団長は、先ほどとは違い虚ろな目をして動きも緩慢だった。その姿に僕の中の確信はますます深まっていく。あと少しで魔物の尻尾を掴めそうだ。

 鍵を返した後、僕はエスメラルダに与えられた客室には戻らず、外でそのときを待った。焦らず急がず、相手が罠にかかる瞬間まで気取られてはならない。

 夜風にあたり心を落ち着かせること数分。レディ・ジークリンデの声が頭に響いた。どうやら用心深い真犯人がとうとう姿を現したようだ。

 僕はすかさず移動魔法テレポートでエスメラルダの部屋の前に移動した。

 廊下には一つの人影があった。今にも部屋に入ろうとドアノブに手をかける黒髪のツンツン頭――エスメラルダが夢に見た、副団長補佐の姿が。



「おや、僕の恋人に何の用かな?」



 声をかければ補佐はこちらを向く。その瞳は濁っていた。

 一瞬、右の瞼が痙攣した。しかし流石は今日まで近衛騎士団の目を欺き続けた人物だ、それ以上の動揺は見せず、にっこりと笑みを顔面に貼り付ける。



「……神子様に何かあってはいけないと思いまして、護衛を」


「それは素晴らしい心がけだ。しかし――護衛をするためなら、部屋の中に入る必要はないように思うがね」



 男はドアノブから手を離し、体ごと僕の方へ向けた。その刹那、息が詰まるようなすさまじいプレッシャーを全身に感じる。

 廊下の天井の隅を見た。そこに潜む二つの瞳と目が合った瞬間、まるでこちらに合図を送るように二度瞬く。

 レディ・ジークリンデは準備万端のようだ。いつ目の前の男が正体を露にして襲い掛かってきても、遅れは取るまい。



「これは、鍵がかかっているか確認するためです」


「あぁ、ここの部屋の鍵……いや、この棟の鍵は副団長くんが管理を任されているのだったね。もし預言の神子であるエスメラルダが殺され、その部屋に鍵がかかっていたら……真っ先に疑われるのは副団長くんだろうね」



 密室で起こった殺人の容疑者として真っ先に疑われるのは鍵の持ち主だろう。だからあえてこの棟の客室を希望したのだ。――疑わしき副団長に決定的な罪を被せられる機会を、黒幕はきっと見逃さない。

 副団長は確かに怪しかった。しかし逆に言えば、怪しすぎた。もし彼が本当に魔物だったとしたら、あまりのお粗末さに失笑してしまう。

 僕たちが相手にしてきた魔物はずる賢く、人間を見下していた。完璧な計画よりも、愚かな人間を嘲笑う計画を選ぶような愚かな生き物だ。今回の計画も、人間同士で疑心暗鬼に陥り殺し合う様を見たくて計画したのだろう。



「世界の英雄である預言の神子が命を落とした事件ともなれば、早急に犯人を見つけようと城内は殺気立つだろう。そんな状況で、君は勇気を出して証言するワケだ。自分は神子様の部屋の前に護衛として一晩中立っていました、実は副団長が神子様の部屋を訪ねてきたのですが、決して言ってはならないと口止めされていたのです――と。そうすれば、今度こそ副団長くんは言い逃れができないだろうね」



 副団長はブラフで、真の黒幕は別にいる。そう結論づけたものの、真の黒幕の存在をあぶりだす術に頭を悩ませていた。それがまさか、恋人が預言を授かってやってきてくれるとは。

 補佐の黒かったはずの瞳が闇の中で赤く光る。それはきっと、力を使っているせいだ。彼は己の影を使って、部屋の中の預言の神子を今の内に排除してしまおうとしているのだろうけれど――中で寝ているのは神子ではなく、彼女の愛らしい使い魔。無駄な努力だ。



「ちなみに、部屋で寝ているのは神子ではなく彼女の可愛い飼い犬だ。せいぜい噛まれないよう――」


「いった!」



 どうやら警告を終える前に、ぐーちゃんの鋭い歯に嚙みつかれたようだ。それもかなり強く。

 男の体が弾かれたように扉の前から逃げたので、思わず喉奥で笑ってしまった。魔物も噛まれたら人間と同じように「痛い」と叫ぶらしい。新発見だ。



「あぁ、失礼。もう少し早く警告するべきだったかな」



 もう疑う余地はない。補佐くんこそが真の黒幕で間違いない。

 レディ・ジークリンデに目配せし、背後から彼女の影で体を拘束してもらう。慌てる男の足を払って、その場に膝をついたところを抑え込んだ。



「ぐあっ」


「疲れるから、あまりこの手は使いたくなかったのだけれどね」



 とんとん、とその額を人差し指で叩いた。するとそこにぴしり、とヒビが入る。



「エスメラルダを手にかけようとした魔物を、許すつもりはない」



 ヒビに指先を突っ込み、そのまま一気に“皮”を剥いだ。



「ぎゃ、ぎゃああああああ――!」



 中から出てきたのはどす黒い魔物。無理やり皮を剥いだせいか、その体は形をうまく成せず溶けかかっている。ぴくぴくと小刻みに痙攣しているのを見るに、まだ辛うじて息はあるらしい。

 なかなかグロテスクな光景に舌を打ち、ひと思いに魔法でとどめを刺した。耳を劈く断末魔が耳障りで、先に喉を潰せばよかったと後悔した。

 あたりに散らばった血は魔物のものではなく、おそらく補佐の“皮”から分泌されたものだろう。――そう、魔物が被っていた補佐の“皮”は本物の彼のものだった。



「なっ、何事だ!?」



 悲鳴を聞きつけたのであろう勇者ライナスが寝間着のまま駆け付けた。そして廊下に広がる惨状に思わず目を伏せる。

 彼の顔色は寝起きという点を考慮しても青ざめていて、そういえば彼は勇者でありながら血が苦手だったと思い出す。――いや、勇者だからこそ血が苦手なのだ。血まみれの光景は、彼が人々を守れなかった証に他ならないのだから。



「あぁ、勇者くん。たった今、文字通り魔物の化けの皮を剥がしたところだよ」


「副団長補佐のヤン殿……?」



 あたりに充満する血と魔物の臭いに顔をしかめながら、ライナスは魔物が纏っていた皮の顔から黒幕の正体を正しく理解したらしい。

 彼は魔物の骸と僕の顔を何度か見比べた後、はぁ、と肩を落とす。



「こんなことできるんだったら、最初からやってくれよ」


「万が一相手が魔物ではなく人間だったら、強引に皮を剥がせば内臓が辺りに飛び散って見るも無惨な姿になっていたよ。相手が魔物だという確証がなければ、こんな力技はできない」



 僕の言葉からその光景を想像してしまったのか、眉を潜めながらライナスは悪態をつくように尋ねてくる。



「……それなら一体いつ、補佐殿が魔物だって確証を得たんだよ」



 それは愚問だった。



「今晩、お告げを聞いた。神なんて信じたことがない僕が唯一信じている……神子のね」


「それってまさか……」



 ライナスは察したようではあったが、彼女の名前を口に出すことはしなかった。

 眼下に広がった散々たる光景にため息をつく。あれこれ散らかしてしまったから、掃除が大変そうだ。

 横たわった魔物の骸。そして強引に剝がされた“皮”。

 廊下の掃除はレディ・ジークリンデとぐーちゃんにお願いするとして、骸と皮の処理は僕がするしかないだろう。とりあえず、もう少しすれば他の近衛騎士団員もかけつけてくるだろうから、最低限彼らが驚かないような状況にしておかなければ。

 僕は“皮”――本物の副団長補佐・ヤン殿だったものを回収し、窓の外から夜空を見上げた。



「かわいそうに。本物の彼はもう殺されてしまっているだろう。弔ってやらなければ」



 ライナスが目線を伏せる。

 血濡れになった己の手を見つめながら、心の底から思った。ここにエスメラルダがいなくてよかった、と。


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