18:アルビーン城にて



 ジルヴァジオに悪夢のことを伝えるためアルビーン城に向かったのだが、私とレディ・ジークリンデを乗せたぐーちゃんは城門を飛び越え、城壁に埋め込まれた窓にそのまま突っ込んだ。

 ぐーちゃんの屈強な体はそのまま窓を突き破り、城内へと雪崩れ込む。レディが守ってくれたのか、幸いどこも怪我はしなかった。



「げほっ、ごほっ」


「何が起きた!?」



 城壁が崩れたことで埃や土煙が舞い、視界が確保できない。耳を澄ませば城内の人々も驚き戸惑っているようで――突然城壁が崩れて黒い物体が突っ込んできたのだから当然だろう――騒がしく、ざわめきの中からジルヴァジオの声を見つけ出すことは困難だった。

 突然、土煙の中から一人の男性が現れる。鎧を身に着けた長身の男性は、こちらに向かって立派な剣を突き付けていた。



「敵襲か!」


「ちっ、違います! 私はエスメラルダといって、その――」



 敵襲と誤解されても無理のない登場の仕方になってしまった自覚はあるので、私は素早く立ち上がって首を振った。

 険しい表情を浮かべる壮年の騎士相手にどう説明しようかと言葉を詰まらせている間に、土煙が引いて視界がクリアになる。そのせいでずらりと周囲を騎士たちに囲まれている状況が明らかになり、ますます身を縮こまらせたそのときだった。



「エスメラルダ! どうしてここに!?」


「ジルヴァジオ!」



 騎士たちを掻き分けて、大層驚いた様子のジルヴァジオが現れた。

 幸運なことに私たちが突撃した部屋にはジルヴァジオがいたらしい。いや、おそらくはジルヴァジオがいた部屋めがけてぐーちゃんが突っ込んだのだ。

 なんであれ、彼の姿を目にした瞬間、その場にへたり込みそうになった。これで誤解を解いてもらえるということ、そして夢に見たあの事件はまだ起きていないということ、その両方に心から安堵したのだ。

 ジルヴァジオは瓦礫を避けながらこちらに近寄ってくる。そして私の傍らに立つと、周りを取り囲む騎士たちに向かって笑顔で説明した。



「安心してくれたまえ。彼女は僕の恋人だ」



 途端に張り詰めていた空気が緩む。こちらに向けられていた剣が鞘に収められ、騎士たちの顔に安堵の笑みが広がった。

 おそらく彼らはこの城の持ち主であるアルバーン辺境伯の近衛騎士団だろう。こんな遅くまで集まって作戦会議をしていたのだと思うと、邪魔をしてしまった申し訳なさで背中がどんどん丸くなる。



「変人の恋人はまた変人なのですね。まさか窓から突っ込んでくるとは」



 呆れたように言葉を投げかけてきた男性に見覚えがあった。

 ――眼鏡をかけた、銀髪の男性。夢でジルヴァジオたちに追い詰められていた人物だ。



「あっはっは! 少しばかり熱烈なだけだよ」


「熱烈すぎませんか?」



 はぁ、とため息をついてずり落ちそうになった眼鏡を中指で押し上げる。その仕草からは知性を感じられて、細身の体格も相まって参謀的立ち位置にいる人物ではないかと感じた。

 夢に出てきた人物が、本当に騎士団に在籍していた。一度も会ったことがない人物の顔を、私は夢で見たのだ。その事実が、あの夢がただの夢ではなかったことの何よりの証拠のように思えて。

 だとしたら、ジルヴァジオを刺した人物も――



「あーっ! 神子エスメラルダ様ですよね? お会いできて光栄です!」



 突然大声をあげ、こちらに駆け寄ってきた男性に私は身を固くした。大声に驚いたのではない、彼の顔に見覚えがあったからだ。

 黒のツンツン頭。顎の古傷。――間違いない。私の夢でジルヴァジオを刺したあの男だ!

 彼は人好きのする笑みを浮かべ、こちらに握手を求めてきた。細められた瞳に底知れぬ恐怖を感じて、私は思わずジルヴァジオのローブを握りしめる。



「エスメラルダ?」



 耳元で名前を呼ばれ、我に返った。

 万が一この黒髪の男性が魔物だったとしたら、私がそのことに気づいていると勘付かれてはならない。平常心で接しなくては。

 そう思うものの、差し出された右手を握り返す気にはなれなくて、私は頭を下げることで握手を回避する。



「申し訳ありません。ジルヴァジオに伝言を預かり、使い魔の力を借りてやってきたのですが、私が未熟なばかりにご迷惑を……」



 壊れた城壁を振り返り、再び頭を下げた。

 城の一部を壊し、作戦会議を中断させた。これ以上ない迷惑行為だ。ジルヴァジオやライナスの評判にも悪影響を与えてしまうかもしれない。

 しかし顔を青くさせる私の横で、ジルヴァジオは喉を鳴らすように笑った。



「なぁに、少し手元が狂っただけだ。これぐらい迷惑とは言わない。君が気に病むことはないよ」



 ジルヴァジオは指を鳴らす。おそらくは魔法を使ったのだろう、あっという間に城壁は時間を巻き戻したかのように元通りになった。

 その様を私は唖然と見つめていた。なんて便利なんだ、魔法。



「ところでジルヴァジオ殿への伝言ってなんですか?」



 例の黒髪の男性に問いかけられて、私はぎくりとした。ここで、彼の前で夢の話をするのは憚られる。

 助けを求めるようにジルヴァジオを見上げた。すると彼は私の目を見て何かを悟ったのか、一瞬真剣な表情で私を見下ろした後、すぐに軽薄そうな笑みを浮かべる。その表情から、どうやら彼がこれから一芝居打つつもりらしいことを察した。



「おや、補佐くんはなかなか野暮なことを聞くねぇ。恋人同士の伝言を、赤の他人が盗み聞くつもりかい?」



 芝居がかったジルヴァジオの口調。

 どこか棘を含んだ問いかけに、黒髪の男性は慌てて首を振った。



「い、いえ! そんなつもりでは……!」


「壁を豪快に壊してやってくるぐらいです、重要な伝言を持ってきたのだと考えるのは自然なことだと思いますが?」



 銀髪の眼鏡をかけた男性がフォローするように口を挟んできた。

 ――もしかしたらこの二人は共犯関係グルなのだろうか。銀髪の男性が囮になって、黒髪の男性が死角から手を下す。そんな作戦なのかもしれない。

 このままでは押し切れないと思ったのか、頭上でジルヴァジオが大きなため息をついた。



「……そこまで言うなら仕方ない。それに重大な伝言というのは本当だからね」



 ジルヴァジオがこちらを見下ろす。私が小さく首を振って拒否すると、彼は「分かっている」というように私にだけ見える角度で微笑んだ。そして、



「さぁ、エスメラルダ。大声で言ってしまうといい。この僕を愛していると……!」



 ジルヴァジオの言葉に、誰もが沈黙した。



「ジルヴァジオ、あの――」


「あぁ、僕も同じ気持ちだ! 寂しい思いをさせてしまってすまない!」



 強く抱きしめられる。はぁ、と誰かがため息をついたのが聞こえた。

 ――どうやら相手を呆れさせることで、この場をはぐらかすつもりらしい。



「はぁ、もうご勝手にどうぞ」



 すっかり呆れた様子で銀髪の男性は部屋から退室していく。それに続くように他の兵士たちも出ていき、部屋には私とジルヴァジオの二人だけが残された。

 すぐに本題に入りたかった私は、最後の一人がしっかりと扉を閉めたのを確認してからジルヴァジオに詰め寄る。しかし彼は「シッ!」と私の口を手のひらで物理的に封じた。

 これでは話したくても話せない。



「レディ」


『はぁい』



 どこに隠れていたのやら、レディ・ジークリンデはジルヴァジオの呼びかけに応えると、その体を膨張させ部屋全体を闇で包んでしまった。以前、ジルヴァジオの自室で見た光景と全く同じだ。

 暗闇の中、ジルヴァジオのグリーンの瞳が宝石のように鮮やかに光っていた。



「ここなら大丈夫だ。レディの力で僕らの会話は誰にも聞こえない。それで、本当の伝言は何かな?」



 全てを見透かしたように笑うジルヴァジオは、今までになく頼もしく見える。

 この闇の空間は一種の結界のようなものなのだろうか。なんであれ、ジルヴァジオは私の目を見て「他人に聞かれては困る伝言」を持ってきたのだと見抜いたのだ。

 私は深呼吸をしてから、ようやく本題を切り出した。



「夢を見ました。ジルヴァジオが刺される夢を」


「……それはまた、物騒な夢だね」



 自分が刺される夢と聞いて、流石のジルヴァジオも動揺したのか瞳を揺らめかせる。



「私に預言の力はありません。ただの夢なら夢で良いのです。ただ……どうしても、不安で」



 俯いた私の頬にジルヴァジオの大きな手が添えられた。そしてそっと上を向かされる。

ジルヴァジオはいつになく真剣な表情を浮かべていた。きっと彼は本気で耳を傾けてくれている。

 私の夢の話をいつものような大声で笑い飛ばさず、信じてくれることが嬉しかった。



「それで? 君の夢の中で僕を刺した相手は誰だい?」



 すぐに答えることができずに言葉に詰まる。いくら夢の話とはいえ、その人物を指名してしまったら最後、ジルヴァジオに混乱を与えかねない。

 躊躇う私の背を彼の大きな手が励ますようにさする。すべてを受け入れるような包容力を感じさせる瞳に、意を決して口を開いた。



「混乱させてしまったら申し訳ありません。……ジルヴァジオが“補佐くん”と呼んでいた、黒髪の方です。ただ夢の中のジルヴァジオたちは、眼鏡をかけた銀髪の男性を追い詰めていて……」



 たっぷり、十秒の沈黙。しかしその間ジルヴァジオは一切私から目を逸らさなかった。

 伝えるべきことは伝えた。これ以上余計な情報を与えないように、ただひたすらジルヴァジオの言葉を待つ。

 今彼の頭はとんでもない速度で回転しているのだろう。そして十秒後、ジルヴァジオの優秀な頭脳はどのような結論を弾き出したのか、彼は口角に僅かながら笑みを浮かべた。



「なるほど。ありがとう、エスメラルダ」


「え?」


「こんな遅くに、僕のことを想って駆けつけてくれたんだろう?」



 ジルヴァジオの言う通りなのだけれど、確かめられるように尋ねられると頬が赤らむ。ただの夢なのかもしれないのに必死になって、城まで押しかけてしまったのだ。

 今更ながら自分の突飛な行動が恥ずかしくなって、早口で取り繕う。



「あまり、真に受けないでくださいね。私はもう預言の神子ではありません。本当に、ただの変な夢かもしれませんから」


「でも君は会ったことのない補佐くんの顔を見て表情を変えた。夢の中で確かに彼の顔を見たんだろう?」


「それは……」



 ジルヴァジオは私の小さな異変を見逃さなかったようだ。

 彼は前世ゲームでも、他人の些細な動きから様々な情報を掬い上げて、ねちねちと相手に詰め寄ることが多々あった。それを好ましく思わない仲間もいたが、今この時は彼の観察眼を心から頼もしく思った。



「会ったことのない人物を夢に見ることなどできない。預言でも授からない限りはね」



 ばちん、と至近距離でジルヴァジオがウインクする。

 基本的に高いテンションを保っているが、ウインクなんてするようなキャラだっただろうか、と違和感を覚えていたところ、



「僕は君の力を……いいや、君のことを信じている。後は僕に任せて、眠っていてくれ」


「え――?」



 突然、呆けていた私の目元をジルヴァジオの手のひらが覆った。瞬間、意識が遠くなる。とても強い力で意識を引っ張られるような感覚に、私は抗えなかった。

 がくん、と膝から力が抜ける。すぐさまジルヴァジオが支えるように腰を抱いてくれたおかげで倒れることはなかったが、全身から急速に力が抜けていって、私はもう立っていられなかった。



「おやすみ」



 優しい声と共に額に触れたぬくもり。

 そのぬくもりの正体を考える前に、私は意識を失った。


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