17:悪夢か、預言か



 ――視界の悪い夜の森。魔術師ジルヴァジオと勇者ライナスは一人の男性と対峙していた。

 騎士の鎧を身に着け、眼鏡をかけた銀髪の男性。ジルヴァジオは彼をじりじりと追い詰め、そして――その背後に立つ一つの人影があった。

 気配を感じたのか、ジルヴァジオは慌てて振り返る。瞬間、人影が彼の胸元に飛び込んだ。

 見開かれるグリーンの瞳。彼の許から離れていく人物。数秒の後、ジルヴァジオはどさりとその場に倒れこんだ。

 ジルヴァジオは腹を抱えてその場にうずくまる。彼の手は大量の血で染まっていた。――先ほどの人影に刺されたのだ。

 状況を把握したライナスが人影に切りかかる。しかしその人物は彼の剣を軽い身のこなしで躱すと、その場から姿を消した。

 ライナスは慌ててジルヴァジオに駆け寄る。かなり出血しているようで、その顔からはどんどん生気が失われていった。そして、ゆっくりとグリーンの瞳が閉じられる――



「ジルヴァジオ――!」



 叫び声と共に、私は目を覚ました。

 目の前に広がるのは夜の森ではなく、見慣れた自室の風景。傷ついたジルヴァジオも、彼に駆け寄るライナスの姿もない。

 それなら、先ほどまで私が見ていたものは――



「ただの夢……?」



 ぽつりと呟き、額の汗を拭った。

 夢にしてはやけにリアルだった。ジルヴァジオを刺した人物の顔もはっきりと思い出せる。ツンツンした短い黒髪を持ち、顎の傷が印象的な、騎士団の鎧を着た若い男性だった。傷ついたジルヴァジオを見下ろす瞳は怪し気に赤く光っていて――

 そのとき、一つの予感が脳裏をよぎった。もしやこれは“預言”ではないか、と。



(でも私にはそもそも、預言の力なんてない……)



 ただ前世の記憶を辿っていただけで、それは預言とは言えない。過去の記憶を夢に見て思い出すこともあったけれど、今回とは訳が違う。プレイヤーはクリア後の世界を知ることができなかったのだから。

 悪い夢を見ただけだと自分に言い聞かせる。預言の神子とされた私が下手に首を突っ込めば、現場を混乱させてしまうかもしれない。だから――

 ベッドに横になる。そして再び寝てしまおうと強く目をつむった瞬間、ジルヴァジオを刺した男性の姿がフラッシュバックした。

 初めて見る顔だった。それなのにはっきりと思い出せる。街ですれ違った人物の顔を無意識に記憶していて、脳が勝手にその役に宛がっただけなのか、それとも――

 私は再び体を起こした。そしてベッドから抜け出す。



(夢ならそれでいい。でも伝えるだけ伝えよう)



 手早く身支度を済ませ、私は自室を出た。

 廊下の窓から見える空はまだ暗い。しかし山を一つ越えるには時間がかかるから、今から屋敷を出れば街に着くころには日も登っているだろう。

 水と少量の食料を持って、私は玄関の扉を開けた。――と、細長い影がテープのように玄関口に張り付き、行く手を阻まれた。



『ちょっと、どこに行くんですの?』



 そして耳元で女性が囁く。

 私はあたりを見渡した。すると玄関の天井に輝く二つの瞳を見つける。その瞳の持ち主を、私は知っていた。

 レディ・ジークリンデ。ジルヴァジオが契約を結び、力を借りている闇の世界のご婦人だ。

 玄関口に張り巡らされているテープのような影は、おそらく彼女の力によるものだろう。



「レ、レディ・ジークリンデ?」


『ジルヴァジオが留守中、あなたのことを見張るようわたくしに言いつけたのですわ。一体どこ行くつもりですの?』



 影で完全に玄関口が塞がれてしまう。どうやら彼女は私を外に出すつもりはないらしい。

 ジルヴァジオの許に向かうにはまずレディを説得する必要があると理解し、私は口を開いた。声が震えてしまったのは、彼女から受けた仕打ち――かなり一方的に恨まれて、闇の中に引きずり込まれそうになった――を思い出してしまったからだ。



「あ、あの、変な夢を見たんです。ジルヴァジオたちが大怪我をする夢……」


『つまりは預言を授かったと?』


「分かりません。私にはもう預言の力は無いので」



 影に潜むレディの瞳が細められる。私の言葉を信じていいのか見極めているようだった。



『でしたら、夢の話をしにわざわざジルヴァジオのところまで行くんですの?』


「夢なら夢でいいんです。でも万が一、夢と同じことが起きたら……一生後悔することになります」



 玄関口を塞いでいた影に隙間ができる。足元に差し込む僅かな月の光は、彼女の心が私の方へと傾きつつある証拠のように思えた。



『ここから城まで、どれぐらいあるか分かっておりますの?』


「今のうちに山を降りて、街で馬車を拾います」


『聞いて呆れますわ! 馬車で何日かかると思っているのかしら!』


「何日かかっても構いません」



 闇の中、妖しく光る瞳をじっと見つめ返す。値踏みをされるような、心の内を探るような視線に思わず目を逸らしてしまいそうになったけれど、奥歯を噛みしめてぐっと耐えた。

レディの瞳がぱちりぱちりと数度瞬く。それから彼女は影の中から“出てきた”。

 私の前に佇むレディは半透明のシルエットで、蜃気楼のように揺らめいている。夜とはいえ、闇の住人がこうして表に出てきて大丈夫なのか心配ではあったが、私が声をかけるよりも早く、レディが軽やかに口笛を吹いた。



『ご主人様がお呼びですわよ!』



 口笛に呼ばれてやってきたのは使い魔、ぐーちゃんだった。

 ぐーちゃんは甘えるように私の足元に鼻先をこすりつけた後、お利口にお座りをしてレディ・ジークリンデを見上げる。力関係としては、やはりレディがぐーちゃんのご主人様にあたるのだろうか。

 レディはぐーちゃんと目線を合わせるようにしゃがみこむと、その小さな体に手を伸ばす。そして、



『後でジルヴァジオに元に戻してもらいなさいな』



 彼女の美しい指先がぐーちゃんの毛先に触れた瞬間、小さかった体が一瞬にして膨張した。私をゆうに包み込めるほどの大きさに膨らんだぐーちゃんの体を、レディが指先や傘で整えていく。その姿はぐーちゃんを作ってくれたジルヴァジオと重なった。

やがてレディの手によって、かわいらしかったぐーちゃんは大きく立派な闇の狼へと姿を変えた。



『ほら、お乗りなさいな』



 まず初めにレディがぐーちゃんにまたがって、こちらに手を差し伸べてくる。その手を取り、私もぐーちゃんにまたがった。

 私の背中にはぴったりとレディの体がくっついていて、その冷たさに鳥肌が立つ。一方で毛皮に覆われたぐーちゃんの体は温かく感じられて、私は頬ずりするように身を伏せた。

 瞬間、合図もなしにぐーちゃんが大きく地面を蹴る。



「うわわわわっ」


『ちょっと、しっかり捕まってなさい! 振り落とされますわよ!』



 後ろからレディに体を支えてもらってどうにか落ちずに済んだ。

 私はぐーちゃんの首元にひしっと抱き着いて、風の抵抗をなるべく受けないようにするため更に身を倒す。

 すさまじい速さでぐーちゃんは夜の森をかけていく。あっという間に一つ、二つ、と街を飛び越えていった。

 これならば、今晩中にジルヴァジオの許に着けそうだ。



「ありがとうございます、レディ」


『ジルヴァジオのためですわ。……あなた自身はともかく、あなたの預言の力は信頼しておりますし』



 分かりやすい“ツンデレ”具合に微笑んで、私は再び「ありがとうございます」とお礼を口にした。レディが助けてくれなければ、今頃ひぃひぃ言いながら山道を降りていたことだろう。



『でもあなたの力さえなければ、ジルヴァジオは旅に出ることなくずーっとわたくしと二人っきりでいてくれたのよねぇ』


「す、すみません」



 背筋に鋭い視線を感じて身を縮こまらせる。

 レディ・ジークリンデからしてみれば、私はジルヴァジオと自分を引き離した元凶だ。そのせいで恨まれて、危うく闇の中に引きずり込まれそうになったのは記憶に新しい。

 こうして対面するのはあのとき以来であるし、そもそも一対一で話すのは初めてだ。だから必要以上に怯えている自覚はあった。



『別に、あなたを責めているわけではありませんわ。最終的に決めたのはジルヴァジオ本人ですもの』



 責めているわけじゃない、と言いつつも、レディの冷たい指先が私の背中をつまんだ。思わず「痛い」と文句が口から零れ落ちそうになったが、彼女の機嫌を損ねてぐーちゃんの背中から蹴り落されでもしたらたまったものではないので、どうにか飲み込む。



『ただ、あなたの隣で楽しそうにしているジルヴァジオを見るのが腹立たしいだけですわ』



 レディの呟きに私は首を傾げた。

 現在だって旅での道中だって、いつだってジルヴァジオは一人で楽しそうに笑っていた。私がいてもいなくても彼は大声で笑い、人生を楽しむはずだ。



「楽しそう、ですか? 彼はいつもあんな感じでは……」


『その分かってませんって態度が一番腹立ちますの、やめてくださる?』


「す、すみません」



 落ちた声のトーンに動揺して、私は反射的に謝罪する。そうすれば抓られていた背中が解放されたが、それきり会話は途切れてしまった。

 重い沈黙がいたたまれず、何か他の話題を探そうと視線を巡らせる。レディと話している間にもぐーちゃんはどんどん進んでくれていたようで、眼下に見えるのは整備されたレンガ造りの道だ。どうやらかなりとかいに近づいてきたらしい。

 やがて大きな城壁が見えてきた。おそらくあの城こそ、ジルヴァジオたちが向かったアルビーン城に違いない。



「あっ、あのお城、多分――」



 指を指して後ろのレディに声をかける。その間にもどんどん城は近づいてきて――しかし一向にぐーちゃんの足は止まらない。走る速度が遅くなるどころか、目的地を前に更に加速しているように感じた。

 このままでは城壁に突っ込んでしまう。私は慌てて声を上げ、制止するようにぐーちゃんの首元に強く抱き着いた。



「あれっ、ぐーちゃん!? 止まって!?」


『この使い魔はジルヴァジオのところまで一直線ですわ』



 背後でレディが諦めなさいと囁いた。どうやら彼女もぐーちゃんも、城に向かって突っ込む気満々らしい。

 目の前に迫るアルビーン城。ぐーちゃんは軽々と城門を飛び越え、とある窓に標準を合わせて地面を蹴った。そして、



「ぐーちゃん、止まって――!」



 ――私の叫びもむなしく、ぐーちゃんは頭から壁に向かって突っ込んだのだった。


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