15:パーティーのその後
――アボット男爵令嬢の誕生日パーティーに出席した翌日の夕方、ポストの上に見慣れない鳩が鎮座していた。鳩は私の顔を見るなり、銜えていた手紙を首を伸ばして差し出してくる。
手紙を受け取り、差出人の名前を確かめるべく裏返した。そこに綴られていたのはアボットの名。
(アボット男爵からのお手紙!)
私は慌ててその場で封を切った。そして手紙に綴られた美しい文字を目で追う。
――まず最初に昨晩のお礼、そしてきちんと別れの挨拶ができなかったことへの謝罪、最後にドレスと燕尾服はほんのお礼だから受け取ってください、という結びで手紙は終わっていた。
パーティー翌日の夕方に私の手元に届いたということは、パーティー終了後すぐにこの手紙を書いて下さったのだろう。つくづくアボット男爵は丁寧な方だと素直に感心する。
お返事を書かなければと思いつつ、ドレスと燕尾服を頂けるという事実に心の底から安堵していた。
(返せと言われなくてよかった……)
水や泥でひどく汚れてしまった私のドレスもジルヴァジオの燕尾服も、一応はその日の内に水で丸洗いしたのだ。そして湖のほとりに干しておいたのだが――翌朝確かめたところ見るも無残な姿になっており、私は現実逃避のあまり気づかなかった振りをして朝食の準備に取り掛かった。どうやらその後、ジルヴァジオの手によって回収されたようだが、今どうなっているかは分からない。
とりあえず手紙が来たことをジルヴァジオにも報告しようと思い、その姿を探す。幸いにも彼はリビングで編み物をしており、すぐに見つかった。
「ジルヴァジオ、アボット男爵からお礼の手紙が届いていますよ」
「ふぅん、そうなのかい」
興味がないといった様子でこちらに視線すら寄こさず、一心不乱に編み物を続けるジルヴァジオ。昼間、私が編んでいる途中で放り出した腹巻の残骸をどこからともなく持ってきて、突然編み始めたのだけれど――ほんの数時間で、腹巻の残骸はセーターになろうとしていた。
それにしてもすごい集中力だ。私の言葉なんてきっとほとんど聞こえていないのだろう。
それを重々承知の上で、苦笑を浮かべて続ける。
「雨や泥でぐちゃぐちゃになっちゃいましたけど、燕尾服とドレスは頂けるようです」
あまり邪魔をするのも心苦しかったので、最低限の報告で済ませた。
てっきり適当な返事が返ってくるだろうと思いきや、ジルヴァジオは手をとめ、こちらを見る。
「それって、これのことかい?」
ジルヴァジオがどこからともなく取り出したのは、目も当てられないほどよれよれになってしまったドレスと燕尾服の残骸――ではなく、新品と見間違うほど綺麗に整えられたドレスと燕尾服だった。
驚きのあまり、私は「え!」と大声を上げてしまう。
「哀れな姿で湖のほとりに干されていたからね、少し綺麗にしてやったんだ」
どうやら回収した後、魔法で綺麗にしてくれたらしい。
ジルヴァジオは編んでいたセーターを一旦机の上に置いて、右の手にドレスを、左の手に燕尾服を持って立ち上がる。そしてこちらに歩み寄ってきたかと思うと、私の体にドレスをあてがう。
「もらえるんだったら、時折着てワルツを踊ってもいいかもしれないね。パーティーでは先生と踊り損ねてしまったし」
「先生って……私のことですか?」
「君以外に誰がいるのさ」
ジルヴァジオに先生と呼ばれることはなんだか妙にむず痒かったが、確かにパーティー会場ではこんなに素敵なドレスを着せてもらったくせして、ジルヴァジオどころか誰とも踊らなかったと思い出す。それはなんだかひどく勿体ないことのように思えたけれど、高価なドレスを汚すような粗相をせずに済んだと喜ぶべきかもしれない。
改めてジルヴァジオが綺麗にしてくれたドレスを見る。いくら男爵から頂いたとはいえ、こんな高価そうなドレスは勿体なくて気軽に着ることなんてできない。そもそも、着ていくような場面がないだろう。
体にあてがわれたドレスを胸元に抱き込むようにして受け取る。
「でもこんな素敵なドレス、よほどのことがなければ勿体なくて着れませんよ。着ていく場面もそうありませんし」
「……それこそ勿体ないね」
「え?」
ジルヴァジオは珍しく私から目線を逸らして、早口で告げた。
「なかなか似合っていたのに」
――そう言った彼の頬が若干赤らんでいるように見えたのは、部屋に差し込む夕日のせいか、それとも。
不意にグリーンの瞳がこちらに向く。かと思うと、彼は大股でこちらに近寄ってきた。そして、
「そら!」
「きゃっ!」
半ば強引にホールドを組まされ、体をあっちへこっちへ振り回される。リードというには力任せで、ワルツというにはあまりに騒がしい。
昨晩あれだけそつなく上品にアボット男爵令嬢をエスコートしていたジルヴァジオとはまるで別人だ。
「ちょ、ちょっと、急に――!」
「君のおかげで、案外ワルツが楽しいことに気が付けたよ」
――とんでもなく強引なリードをするくせして、ひどく優しく、柔らかく、微笑むものだから。
これはワルツじゃない、という文句だとか、あれだけ嫌がっていたワルツを好きになれたのならよかった、という安堵だとか、リビングで踊ったら物を倒してしまうのでは、という不安だとか――様々な感情が胸の内で渦巻いては、ジルヴァジオの微笑みを前に口から出ることなく消えていく。
次第にジルヴァジオの力任せだったリードも安定してきた。一向に踊り終わる気配は見えないが、先ほどまでのような不安感はない。
ジルヴァジオを見上げる。夕日に照らされた彼の顔は楽し気で、鼻歌を歌っていることに気が付いた。
それは昨晩、アボット男爵令嬢の誕生日パーティーで楽団が演奏していた円舞曲。ジルヴァジオの服装も髪形も違うけれど、ほんの一瞬、あの晩彼と踊った男爵令嬢になった気分だった。
――あぁ、せっかくだから一曲、ジルヴァジオと踊っておけばよかったな。
ジワリと胸の奥に滲んだ後悔に気づかないふりをして、しばらく彼のリードに付き合うようにワルツステップを踏んだ。
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