13:誕生日パーティー
アボット男爵令嬢のお誕生パーティーに急遽参加することとなったジルヴァジオと私の身支度は、全て男爵側にフォローしてもらえることになった。
一時間ほど前にメイドが客間まで呼びに来たかと思うと、二人して別室へ連れていかれた。そこで豪勢なドレスに着替えさせられ、目が痛くなるほどの輝きを放つ大粒のアクセサリーを手渡され、最後には髪まで綺麗に整えてもらった。
鏡に映った自分を見て、その華やかさに驚く。自分が自分でないみたい――というのは陳腐な言い回しだけれど、まさにこのときのためにある言葉のように思えた。
私が支度を終えた頃、ジルヴァジオはとっくのとうに盛装し誕生日パーティーの会場であるホールに向かっていたらしい。私はジルヴァジオより十分ほど遅れて会場へ向かった。
多くの人が行き来するホールの入口で、一際目立つ人影を見つけた。
周りから頭一つ抜けた長身に、残灰を頭から被ったような特徴的な髪色。それがジルヴァジオだと一目見て分かったのだが、黒の燕尾服を着こなした彼は周りの女性たちからの視線を一身に集めていて、どうにも声をかけづらい。
彼は誰かを探すようにきょろきょろとあたりを見渡していた。普段好き勝手跳ねている癖の強い髪の毛は整髪料でしっかりと抑えつけられおり、切れ長の瞳も相まって硬派な印象を受ける。
不意にジルヴァジオは体を大きく丸めた。そして綺麗にセットされた髪を撫でつけるように押さえ、わなわなと肩を震わせる。
「うぐ、ぐ……」
ジルヴァジオに蕩けるような視線を向けていたご婦人たちの表情が怪訝なものに変わってゆく。あきらかに様子がおかしい。
不審に思い足早に近づき、未だ肩を震わせ続けるジルヴァジオに声をかけた。
「どうしたんですか?」
彼はこちらに目線を向けず、自分の足元を睨みつけながら叫んだ。
「髪をカッチンコッチンに固められてムズムズする! ゆるふわヘアが僕のチャームポイントだというのに! あぁ、ぐちゃぐちゃに掻きむしってしまいたい!」
どうやらジルヴァジオは整髪料にまみれた己の髪の毛に我慢ならないらしい。
すべての毛先が好き勝手跳ねている普段の髪を、ゆるふわと称するのは些か納得がいかなかったけれど――物は言いようだ――ジルヴァジオの震える指先が頭を掻きむしるように動いたので、思わず腕を掴んで動きを制止させる。
「駄目ですよ! せっかく整えて頂いたんですから!」
邪魔されたことに腹が立ったのだろう、ジルヴァジオの鋭い瞳が私を射抜いた。顔が整っているが故に、睨まれるとかなりの迫力だ。
一瞬恐怖に身を固くしたのだが、険しかったグリーンの瞳はすぐに丸く見開かれた。かと思うとジルヴァジオは何も言わず背筋を伸ばし、私を見下ろす。
それから数秒、彼は一切口を開かなかった。ただこちらを見下ろすばかりで、私は首を傾げる。
「どうしました?」
「……あ、あぁ、いや、なんでもない」
言葉に詰まるとはらしくない。しかしそれを指摘するより、今はアボット男爵令嬢の許へ向かうことを優先させるべきだと思い直した。きっと待たせてしまっていることだろう。
「行きましょう。きっとジルヴァジオのことをお待ちですよ」
ホールに足を踏み入れた私たちを出迎えてくれたのは、今にも泣き出しそうなほど感動に身を震わせるアボット男爵だった。その隣には、目を潤ませてジルヴァジオを見上げるご息女が立っている。
親子は二人そろって大きく頭を下げた。
「無理を言ってしまい申し訳ございません。ただ、本当に、夢のようです……!」
アボット男爵令嬢は垂れ目とそばかすがチャームポイントの、かわいらしいお嬢さんだった。ジルヴァジオを見上げる瞳から邪な感情は一切覗けず、憧れの人との対面に声を震わせている。
ご息女はしきりに恐縮していて、私にも小刻みに何度も頭を下げた。緊張のせいか回らない口で、それでも必死に感謝の気持ちを伝えようとしてくれている。その姿は健気と表現する他なく、私は今夜の話を引き受けたのは間違いではなかったと満足感すら覚えていた。
やがて楽団がワルツを演奏し始める。あれだけ貴族を忌み嫌っていたジルヴァジオも向けられるまっすぐな慕情に毒気を抜かれたのか、表面上は穏やかな笑みを浮かべてご息女をエスコートした。
今夜の主役である男爵令嬢と、その相手に選ばれた名誉ある魔術師は、ホールの中心でゆっくりとワルツを踊り始めた。
はじめはぎこちなく、しかし次第に彼らのステップを踏む足取りは軽くなる。緊張で硬くなっていたご令嬢の表情もどんどん明るくなっていき、時折笑顔でジルヴァジオに声をかけるほどだった。
(スマートにこなして憎らしいことで)
慣れた手つきでご令嬢をエスコートするジルヴァジオが、三時間前、ワルツなんて踊れないと叫んでいたんですよと告げ口したところで、この会場にいる誰もが嘘だと笑い飛ばすだろう。
貴族に並々ならぬ恨みを持っている様子の彼が無礼な真似をしないかと見張るつもりできたのだが、この調子なら大丈夫そうだと判断し、私は一人会場内の食事を楽しむことにした。
肉、魚、果物、ケーキ――。どれもこれも美味しそうで、私はフォークとお皿を手に並んだ豪華料理を一通り堪能した。最後に食べたチョコレートケーキが特に絶品で、甘いもの好きであるジルヴァジオにも食べさせてあげようと思い、おかわりしようと手を伸ばしたそのとき、
「失礼。預言の神子エスメラルダ様ではありませんか?」
見知らぬ男性から声をかけられた。
最近はジルヴァジオと二人で山奥に篭っていたせいで、神子と呼び掛けられてもすぐに反応できなかった。数秒おいて、自分に声をかけられたのだとようやく理解する。
ジルヴァジオ分のチョコレートケーキを手早く確保した後、頷いて答えた。
「え、えぇ、そうです」
「おぉ、やはり! あなたの美しさは一度見たら忘れられない!」
男性にしては長い金髪を持つその人は、どうやら私と会ったことがあるらしかった。男爵令嬢の誕生日パーティーに出席しているのだし、もしかすると旅でお世話になった貴族かもしれない。
そう思い必死に記憶を辿るが、一向に名前が出てこない。それどころか彼の顔を見た記憶すらなかった。
「……失礼ですが、以前お会いしたことが?」
下手に知ったかぶって後で恥を晒すより、素直に白状した方がいいだろうと失礼ながら問いかけた。機嫌を損ねやしないかとひやひやしていたのだが、目の前の男性は不快そうに顔を歪めるどころか、今にも歌いだしそうなほど上機嫌で頷く。
「えぇ! 忘れもしません、あれは勇者一行の凱旋パレードでのことでした。あなたは馬車の中から、このセルマに手を振ってくださいました!」
――そんな一瞬の邂逅、覚えているわけがない。
勇者一行の凱旋パレードには世界中から多くの人々が訪れた。人混みの中を馬車で進むのは至難の業で、数メートル進むのに一時間近くかけていたほどだ。そのせいで朝から始まったパレードが終わったのは、すっかり日も沈んだ夜のことだった。
私は馬車の中で、心を無にして民衆たちに手を振っていた。長すぎるパレードにすっかり疲れてしまい、半ば意識が飛んでいたかもしれない。
セルマと名乗った男性は確かに民衆たちの中にいたのかもしれないが、失礼ながら私の記憶には残っていなかった。
「まさかこのような場所で再びお会いできるとは! これは運命としか言いようがありません! あぁ、神よ、あなたは慈悲深いお方だ! 恋に焦がれる哀れなセルマに、チャンスをお与えくださった!」
目の前の男性は一人で勝手に盛り上がっていく。当然ついていけるはずもなく、苦笑で躱してさっさと退散しようと企てていたときだった。
「どうか、この恋に溺れた哀れなセルマの手を取って下さいませんか!」
いきなり右の手首を掴まれた。それだけでなく、グイと強く引き寄せられたことで足元がふらつく。
どうにか踏ん張って彼の胸に飛び込むことは回避した。するとそれが不満だったのか、男性は踏ん張る私の体勢を崩そうと、更に強い力で手首を引く。
「ちょ、ちょっと!」
左手に持っていたケーキの乗った皿を落としてしまいそうになって私は声を上げた。しかし男性は私の抗議の声を聞き入れるつもりなどさらさらないようで、引っ張る力は弱まるどころかどんどん強くなる。
いくら踏ん張ったところで、成人前の小娘が成人男性の力に勝てるはずもない。そもそも慣れないヒールで立っているだけでも精一杯なのだ。とうとう私は体勢を崩し、せっかく確保した美味しいチョコレートケーキを床に落としてしまいながら、男性の方へ倒れこむ――
瞬間、背後から強く両肩を掴まれた。そのおかげで私は体勢を立て直し、チョコレートケーキも多少崩れてしまったものの皿の上に鎮座したままだ。
「彼女から手を離せ、嫌がってるだろう」
鼓膜を揺らしたのは低い声。振り返るまで、その声の持ち主があのジルヴァジオだと気づけなかった。
彼は私の肩を支えるように掴んだまま、男性を睨みつけた。その眼光の鋭さに男性は一瞬ひるんだが、即座に言い返す。
「なっ、なんだね急に! 赤の他人が人の恋路に口を挟むなど――」
「僕は彼女の恋人だ。赤の他人じゃない」
ジルヴァジオの返しに、男性の顔が引きつった。
動揺して生まれた隙をジルヴァジオが見逃すはずもなく、彼は薄い唇に笑みを敷いて続ける。
「それで? 人の恋路がなんだって? プレスコット子爵令嬢を拐かして激怒され、多額の金と共にお父様にトラブルを握り潰してもらったセルマ・ロス男爵令息クン」
男性の顔からさっと血の気が引いていく。震える指先でジルヴァジオを指し、何かを言いたげに口元を戦慄かせたが、結局は一言も発さず尻尾を巻いて逃げていった。
――なぜジルヴァジオが男性の名前を知っているのか、だとか、名前どころか握り潰されたはずの悪評まで把握しているのか、だとか、気になることはいくつかあったけれど、それを詳しく突く気にはなれなかった。突いたところで煙に巻かれるのは明らかだったし、野次馬根性で首を突っ込んで面倒ごとに巻き込まれたくはない。
それより助けてもらったお礼をするため、手に持っていたお皿を一旦テーブルの上に避難させ、大きく頭を下げた。
「助かりました、ジルヴァジオ」
「全く、油断も隙もあったものじゃないね」
ふぅ、と大きく息をついて、ジルヴァジオの大きな手が私の肩から離れていく。ドレスの生地がよれてしまっているのを見るに、思いのほか強い力で掴まれていたようだ。
そこではたと思い至る。ジルヴァジオがここにいるということは、先ほどまで彼と踊っていたアボット男爵令嬢がお一人になってしまっているということ――
私は慌ててあたりを見渡した。
「ところで、アボット男爵令嬢は?」
「言われた通り、ワルツ一曲はきちんと踊ってきたさ! その後君の姿を探していたら、あのヘンテコ男に迫られていたのを見つけたんだ」
役目をきちんと果たしたジルヴァジオはどこか疲れた表情をしていた。その彼の背中越しに、アボット男爵と手と手を取り合って、たいそう喜んでいる様子のアボット男爵令嬢の姿を見つける。
ジルヴァジオはきちんと最後まで彼女をエスコートしたようだ。ご息女を邪険に扱うのではないかと疑ってしまっていたことを反省する。そして彼を労わるべく、若干形の崩れてしまったチョコレートケーキを差し出した。
「あぁ、でしたらこちらをどうぞ」
目の前に差し出されたケーキにジルヴァジオは首を傾げる。
普段より幼い表情に微笑んで、再度口を開いた。
「あまりに美味しかったので、はしたないと思いつつ、あなたの分も確保しておいたんです。慣れないワルツを踊った後は心身共に疲れるだろうと思っていましたから」
グリーンの瞳が僅かに見開かれ、ケーキ越しに見つめられる。
余計なお世話だったかと後悔が胸を過ったが、今更引き下がれるわけもなく私は言い訳するように呟いた。
「朝一番に喉が焼けるような甘さをもとめるあなたには、ちょっと物足りないかもしれませんが……」
すると固まっていたジルヴァジオが素早い動きでフォークを手に取る。そして三分の一ほど切り分けたかと思うと、大きな口へ勢いよく放り込んだ。
「……確かに、ガツンと目が覚めるような味ではないが」
ジルヴァジオは一旦そこで言葉を切ると、ふ、と目元を細める。そして。
「とても、優しい味だ」
普段より小さな声。普段より多い瞬き。普段より赤い頬。
ちらりとこちらに向けられたグリーンの瞳に胸が高鳴って、なぜだろう、私はうまく笑い返すことができなかった。
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