09:お見合いの申し出
「貴族のご令嬢とのお見合い、ですか?」
それが告げられたのは、ジルヴァジオが魔術師学会に顔を出した数日後のことだった。
彼は手紙を片手に持って、やれやれというように肩を竦めて切り出したのだ。
――ある貴族のご令嬢から見合い話を申し込まれている、と。
「なんとも変わった趣味をお持ちのお嬢様が、僕を見初めて下さったらしい」
どうやら自分が“変わった趣味”に該当している自覚はあるようだ。
ジルヴァジオは早口で続ける。
「それで本来ならこんな手紙は無視するのだが、今回は僕が人生の中で唯一世話になった恩師が間に挟まっていてね。断ってもらって構わないから、せめて一度会いたいと言っているのだそうだ」
恩師、つまりはカウニッツから頼み込まれたのだろう。先日の魔術師学会からの呼び出しは、もしかするとこの件だったのかもしれない。
ジルヴァジオがいくら世界一の変人と言えど、魔術の才能は確かだ。そして世界を救った英雄という肩書に、黙っていれば誰もが見惚れる相貌。なるほど要素を書き出してみれば、ジルヴァジオが貴族のご令嬢から見合いを望まれるのも納得だった。
恋人の私に見合い話の話をするなんて、といった怒りはこれっぽっちも湧いてこなかった。そもそもお互い、本当に恋人だと思っているかどうかすら怪しい。
現状は当初の目的通りお互い楽しく暇を潰せているように思えるが、ジルヴァジオが飽きればこの関係は明日にでも終わるのだろう。
「意味が分からない! 断っていいならそもそも会う必要はないだろう! そんな無駄なことをしているから貴族という奴は――」
激高するジルヴァジオに、私は違和感を覚えた。
彼は嫌なことは即刻忘れるタイプだ。いつまでもぐちぐち引きずるのではなく、嫌なことに割く時間を一秒でも減らしたいといった旨の台詞がゲーム内にも登場した。
それなのに、今目の前で彼は貴族への嫌味を長々と口にしている。本来のジルヴァジオであれば、他人に相談なんかせずさっさと一人で出向いてさっさと要件を済ませてしまいそうなものだが――さてどうしてかと考え、一つの可能性にたどり着いた。
この件について、ジルヴァジオは私に協力を求めたいのではないか、と。
「それで結局、私は何をすればいいんですか?」
これ以上貴族への嫌味を聞かされ続けてはさすがにうんざりしてしまいそうだったので、私はジルヴァジオの言葉を遮るようにして問いかけた。すると彼は口どころか全身の動きをぴたりと止める。そしてゆっくりとした動きでグリーンの瞳をこちらに向けた。
「……どうして君にして欲しいことがあると分かったんだい?」
どうやら予想は当たっていたようだ。
私は驚きに丸くなったグリーンの瞳を見つめ返しながら答える。
「あなたは興味のないことにはとことん時間を割かないタチでしょう。お見合い話なんて興味のない話題の筆頭でしょうから、普通なら私に愚痴を共有せず、一人でさっさと終わらせてしまうはずです。それなのに私に共有したということは……これは前振りで、このあと私に力を貸して欲しいという本題がやってくるのかと思いました」
数秒の沈黙。そして、
「あっはっは! すごいな、大正解だ!」
弾かれたように大声を上げて笑い出し、私は驚きに飛び上がった。
同居を始めて一か月近く立つが、彼のテンションの高さには未だ慣れない。先日湖のほとりで何やら絵を描きながら、突然一人で腹を抱えて大笑いしだしたジルヴァジオを目撃したときは、驚きを通り越して若干ぞっとしてしまった。一人で絵を描いているだけなのに、何がそこまで面白かったのだろう。――尋ねてみたところで、到底理解はできないだろうから見て見ぬふりをしたけれど。
笑いを引っ込めると、ジルヴァジオは先ほどとは打って変わって笑顔で話を再開した。
「それではさっそく本題に入らせてもらおう。見合い話を断るために、一緒にラウントリーという街まで行って欲しい」
ラウントリー。その街の名前には聞き覚えがあった。特別なイベントはなかったが、旅の道中訪れた覚えがある。
なかなか大きな街で、街を治める貴族の屋敷もマップ内に存在していたはずだ。
倉庫と思われる部屋に宝箱が置かれていたのだが、その中が
「私も一緒に行くのですか?」
「僕には心に決めた人がいますと、口で言うだけでは信じてもらえないかもしれないだろう。しかし実際に恋人を連れて行ったのなら、相手も納得せざるを得ないはずだ。こんな馬鹿げた話に時間を使いたくないんでね、一発で息の根を止めてしまいたい」
物騒な言い回しが若干気にかかったけれど、ジルヴァジオからの依頼は“恋人”として理解できるものだった。
断る理由もなく、先日ジルヴァジオに助けてもらった恩もあるので、迷いなく頷く。
「まぁ、一応、私はあなたの恋人ですからね」
「……驚いた、まさか君がその設定を覚えているとは思わなかった」
心底驚いたような表情で呟く恋人に、私はため息をついた。
「さすがにそこまで物忘れはひどくありませんよ」
「いやね、君があんまりに僕のことを気にしないものだから、時折僕はもう死んでいるんじゃないかと思うことがあったんだよ。恋人と同棲している実感があったんだね、君」
まさかそんな風に思われているとは予想外で、今度はこちらが目を見開く番だった。
しかしそれはお互い様だ、とも思う。確かに私は恋人と意識してジルヴァジオに接したことはないが、ジルヴァジオだって私を恋人と思っていない節は言動のあちこちから見受けられる。それらしい振る舞いをされたのは、お礼に頬にキスをしてくれと強請られたあの日が最初で最後だ。
今では別々に暇を潰し、食事のとき以外顔を合わせない日だって珍しくない。
「そういうあなたこそ、私を恋人のように扱っていないではありませんか」
意図したわけではないのだけれど、まるで恋人のように扱ってもらえないことを不満に思っているような物言いになってしまった。
ジルヴァジオの様子を窺ったが、彼は何やら腕を組んで考え込んでいる。その右手の人差し指はリズミカルに二の腕を叩いていて、以前も見た仕草に、きっと彼の癖なのだろうと思った。
ゲームをプレイしているときにも、旅をしているときにも気づかなかった癖。歪ながらも恋人として、一緒に暮らすようになってから知った癖。
嬉しいような、くすぐったいような、複雑な気持ちを持て余していたところ、
「よし、恋人同士のハグをしよう!」
突然の提案に、それらの気持ちは軽く吹っ飛ばされてしまった。
――恋人同士の、ハグ?
理解が追い付かず同意も否定もできないでいたら、ジルヴァジオの長い腕がこちらに伸びてくる。そして力強く抱き寄せられた。
かなり強い力で引き寄せられたせいで、どん、とジルヴァジオの胸板に頭突きしてしまう。しかしびくともしない彼の体に、“恋人”は大きく立派な体を持つ成人した男性なのだと、今更ながら思い知らされたような気持ちだった。
抵抗しないでいるとぎゅう、と更に強く抱きしめられる。一気に体が密着して、羞恥心が襲ってくる――より先に、私は痛みに声を上げた。ジルヴァジオの抱きしめる力が強すぎて、骨が嫌な音を立てているのだ。
「ちょっ、苦しいです! 痛い!」
「あっはっは! 恋人同士のハグは背骨をへし折るほど熱烈だと通俗小説に書いてあったからね!」
彼の答えにぞっとして、私は抱擁を解くように暴れる。背骨をへし折られでもしたらたまったものではない。
しかし私の抵抗なんて屁でもないというように、ジルヴァジオはその場でぐるぐると回った。身長差があるせいで私の両足はすっかり宙に浮かんでおり、彼に振り回される形になる。
私は反射的にジルヴァジオの体に抱き着いた。――このとき、ひょろりと細く見えていたジルヴァジオの体が、自分の腕が回りきらないぐらいしっかりとしていたことを知った。
「お、降ろしてください――!」
結局ジルヴァジオが解放してくれたのはそれから数分後のことで、その頃にはすっかり目が回っていた。
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