06:魔術師学会からの呼び出し



 朝リビングで顔を合わせて早々、ジルヴァジオは変なことを言い出した。



「今日は決して扉を開けてはいけないよ」


「どうしてですか?」


「扉を開けたら最後、最大の不幸が訪れるからさ!」



 そのときはまた変なことを言っている、と呆れるばかりで、「はいはい」と軽く受け流してしまった。ジルヴァジオは「真面目に返事をしたまえ!」なんてたいそう腹を立てている様子だったけれど、私は耳を貸さずに朝食づくりに取り掛かったのだ。

 それからたっぷり、八時間後。日も落ち始め、そろそろ夕食の準備をしようと食材を確認している最中のできごとだった。

 この新居にやってきて初めて、玄関のベルが鳴らされたのだ。



(お客様?)



 顔を上げる。耳を澄ませたが、ジルヴァジオが廊下を歩く足音は聞こえてこない。出るつもりがないのだろう。

 仕方ないとため息をついた瞬間、再びベルが鳴らされた。久しぶりのお客様はなかなか短気でいらっしゃるようだ。

 駆け足で玄関へと向かう。そして今朝ジルヴァジオに言われたことをすっかり忘れて、私は玄関の扉を開けてしまったのだった。



「はぁい――」



 そこに立っていたのはひょろりとした体形の男性だった。

 黒髪に黒の瞳、極めつけに黒のローブと黒一色で決めた男性は、私の顔を見るなりにっこりと微笑む。えくぼの位置まで左右対称の、完璧な笑みだった。



「こちらに黒魔術師のジルヴァジオ・アッヘンバッハ殿はいらっしゃいますかな」


「えっと……どちら様ですか?」



 どうやら彼はジルヴァジオを訪ねてきたようだ。

 名を問いかければ、彼は懐から小さな紙を取り出した。そしてこちらに差し出してくる。それはどうやら名刺のようだった。



「これは失礼。私は魔術師学会のケネス・ベンサムと申します」



 魔術師学会。その単語にピンときた。それと同時に、彼が身に纏っているローブはジルヴァジオのローブとよく似ていることに気が付く。

 手渡された名刺には、名前と役職が綴られていた。ケネス・ベンサム。我が国の魔術師学会の地方理事を務めているようだ。

 ジルヴァジオが以前、魔術師学会からの呼び出しを無視していると言っていたことを思い出す。その件でとうとう地方理事が直々に訪ねてきたのだろうと思い、とりあえずケネスさんを家の中へと招き入れた。――と、



「あぁ、だから扉を開けてはいけないと言ったのに」



 ゆったりとした足取りでジルヴァジオが現れた。どうやら彼が今朝言っていた「最大の不幸」とは、学会からの呼び出しのことを差していたらしい。聞き流して正解だった。

 ケネスさんはジルヴァジオの顔を見るなり目尻を吊り上げる。



「アッヘンバッハ! いい加減一度顔を出せ!」


「断る。君たちのように粗野で乱暴で人の心の痛みが分からない愚鈍な奴らと話をするつもりはないよ」



 ジルヴァジオは完全に心を閉ざしている。取り付く島もない。

 なぜ彼がここまで魔術師学会を嫌っているのか、ゲーム内でも明かされなかった設定だ。けれどおそらくそこまで深い意味はないのだろうと思う。それこそキャラクターの根幹に関わる設定であるのならば、本編で語られていたはずだ。

 つまりジルヴァジオはただ単純に、学会と学会の人々のことが嫌いなのだろう。変わり者故に、周りと衝突しがちである人物なのはゲーム内でも幾度となく描写されていた。



「帰りたまえ」



 ジルヴァジオが扉を指さす。すると閉めていたはずの扉がひとりでに開いた。

 普段より低い声に私は内心驚いていたのだけれど、ケネスさんは眉一つ動かさない。彼は無表情で開いた扉を一瞥してから、声を潜めて“その名”を口にした。



「……カウニッツ殿が悲しんでおられたぞ」



 カウニッツ殿。その人物のことはよく覚えている。ゲームでも今世でも、勇者一行に協力してくれた心優しい紳士だ。私にとって色々と思い出深い存在なのだが今は詳細は省くとして、ジルヴァジオにとって親代わりともいえる存在で、一生頭が上がらないと話していた。

 ぴたりとジルヴァジオの動きが止まった。そして数秒後、彼が纏っていた空気が和らぐ。



「その名を持ち出すのは卑怯だろう、全く……」



 さすがの変人魔術師も、恩師の名前には弱いらしい。効果はてきめん、ケネスさんの作戦勝ちのようだった。

 ジルヴァジオは大きなため息をついた後、ケネスさんを睨みつけた。美形だけあって、すごむと中々に迫力がある。



「分かった。顔を出すだけだ。顔を出して三秒で帰る。支度をするから外で待ってろ」



 勝ち誇ったように鼻を鳴らすケネスさん。ジルヴァジオとどういった関わりがあるのかは分からないが、少なくとも親しい関係ではないようだ。

 ケネスさんを睨みつけたまま、一向に支度をしに自室へ戻らないジルヴァジオを疑問に思っていたら、彼は大股で魔術師学会地方理事殿に近づいた。かと思うとその肩をがっと掴み、壁に押し付けるように強く押す。



「外に出て! 待ってろ!」



 たかだか玄関の扉一枚隔てた外と内とではそこまで変わらないように思うが、ジルヴァジオはケネスさんがこれ以上屋敷の中にいることが我慢ならなかったらしい。先ほどの険悪具合からいって、てっきり食ってかかるかと思ったケネスさんは意外にも、私に恭しく頭を下げると大人しく外へ出た。

 憎むべき魔術師学会地方理事殿が外へ出たのをしっかりと見届けてから、ジルヴァジオは重い足取りで自室へ戻っていった。

 程なくして黒いローブを身に着けて玄関に戻ってくる。目元深くまでフードを被ったその姿は懐かしかった。ここに来てからというもの、ローブを着ている姿は一度も見なかったからだ。



「すまない。今晩は恐らく帰らないから、僕の食事は気にしないでくれ」


「えぇ、分かりました。お気をつけて」



 ちらりとこちらに向けられたグリーンの瞳に微笑んだ。ジルヴァジオはがっくりと肩を落としつつも、僅かに目元を緩める。玄関の扉を開け外へ出ていく足取りはまるで鉛でもつけているかのように重く、心の底から嫌なのだろうと私でも分かった。

 湖のほとりでケネスさんと合流するジルヴァジオ。彼らは数秒その場で会話を交わしたかと思うと、一瞬の内に姿を消してしまった。おそらくは移動魔法テレポートを使ったのだろう。

 誰もいなくなった湖のほとりを数秒眺めて、私は扉を閉めた。

今夜は久しぶりに一人での夕飯になりそうだ。


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