04:預言の力
シロップ漬けのパンケーキとの死闘にどうにか勝利した後、ジルヴァジオが淹れなおしてくれた紅茶を片手に雑談が始まった。正確に言えば、地獄のような甘さを引きずってぐったりとしていた私に、ジルヴァジオが問いを投げかけてきたのだ。
「ところで、かねてから気になって仕方なかったんだが、預言というのはどのように授かるものなのだろう」
「どのように、とは?」
「頭に声が響くのか? 夢でお告げが告げられるのか? 未来の光景を視るのか? それとも……?」
ジルヴァジオはグリーンの瞳をキラキラ輝かせてこちらを見る。まるで新しいおもちゃを前にした幼い子どものような表情だった。
彼の疑問にどのように答えるか、束の間逡巡する。前世の記憶をまるで預言のように偽って話していただけなのだが、馬鹿正直に答えるわけにはいかない。だからと言って適当に答えれば、優秀な頭脳を持つジルヴァジオに嘘を見抜かれてしまいそうだ。
考え、私の脳が弾き出した答えは。
「私の場合は……思い出すような感じです」
前世の記憶という部分は伏せた上で、なるべく正直に話すことだった。
「思い出す?」
「えぇ。私の中に過去の記憶のような形で未来の光景が存在していて、それを必死に思い返す、というような……」
実際、大まかなイベントは覚えていたものの、細かなイベントやら登場人物の名前やらが曖昧で、必死に思い出そうと日々唸っていたのだ。時には似顔絵を描いて魔物に襲われる人物を指名したこともあったが、私の絵心がなかったばかりに中々見つからず大騒動になった苦い思い出もある。
ジルヴァジオは私の答えに黙り込んだ。流石の彼でも想像がつきにくかったのか、緩慢な動きで紅茶を口に運ぶと、「なるほど」とため息交じりに相槌の言葉を吐き出す。
「それはまた、不思議な感覚だ。僕たちにとっての未来が、君にとっては過去だったのか!」
ははぁ、と何にかは分からないが小刻みに頷くジルヴァジオ。預言の力とはどんなものか、という彼の問いに対して、納得できる答えを提供できたようだ。
カップをソーサーの上に置き、ジルヴァジオはこちらに身を乗り出してきた。
「もしかしたら今日も、君にとっては過去の出来事だったりするのだろうか」
「いいえ、私にはもう預言の力はありませんから。今は今ですよ」
首を振って否定する。するとジルヴァジオは「あぁ」と相槌を打った。
「そういえばそんな話も聞いたな。大司教の座が用意されていたのに断ったとか」
私はぎょっとしてジルヴァジオを見た。
――大司教就任の話は、私と国王陛下、そして数名の大臣たちしか知らないはずだ。内々の話だった時点で私が断ったので、国民たちはもちろん旅の仲間たちにも共有されることなく立ち消えになった話なのだ。
それなのにどうして、全くの部外者であるジルヴァジオが知っているのだろう。
「……一部の関係者以外には伏せられている情報のはずですが、どこから聞いたのですか?」
「あれ、そうだったのかい。てっきり皆知っているのかと思っていたよ」
動揺する様子も悪びれる様子も一切見せず、どこから聞いたかも明かさず、ジルヴァジオは無表情で私の疑問を流した。
「それにしても大司教の座を蹴るなんて、勿体ないことをしたものだねぇ。大司教になれば、毎朝同じ祈りの言葉を捧げるだけでたんまり金がもらえるというのに!」
「私はまだ十六の小娘ですし、何より力を失ってしまいましたから」
ジルヴァジオの言葉の節々から大司教という職への悪意を感じつつ、辞退したことへ対するもっともらしい理由を並び立てる。
大司教とは、国が擁する教団の幹部ともいえる役職だ。複数の教会を束ねる長で、大司教と聞くとこの国の人々の多くは髭をこさえた恰幅のいい男性を思い浮かべる。つまりいくら世界を救った英雄といえど、十六歳の小娘が任されるような立場ではない。
そして何より、私は預言の力を失った。――元からそんな力なんて持っていなかった、というのがより正確な表現だが。
これ以上ない理由だと思い提示したのだが、ジルヴァジオは納得がいかないというように私の目前に指先を突き付けた。
「決められた原稿を読むのに特別な力は何もいらないだろう? 赤子でもできる仕事だ。それで地位も名誉も手に入る。羨ましい話じゃないか」
「さすがに赤子には無理なのでは……」
ぼやくようにいれたツッコミは予想通り流される。全く黒魔術師様は、自分に都合のいい言葉しか拾わない優秀な耳をお持ちのようだ。
ジルヴァジオは私の顔をじっと見つめ、答えを待っているようだった。ここで会話を切り上げでもしたら、今日一日付きまとわれかねない。彼は己の疑問に答えが与えられないことを何よりも嫌い、自分の納得いく答えが得られるまで対象を付け回すのだ。
表向きの耳障りのいい理由ではなく、腹の底に抱えた本音――俗っぽい答えを欲しているのだろうと思い、ジルヴァジオが好みそうな回答を口にした。
「大司教になれば確かに地位も名誉も手に入りますが、教団に縛られて一生つまらない生活を送るのはごめんですから。私はもっと自由にのんびり過ごしたいので」
数秒の沈黙。しかしすぐにグリーンの瞳が細められる。
どうやらジルヴァジオのお眼鏡にかなったらしい。若干言い回しを彼が好みそうなように変えたが、先ほどの言葉は紛れもない本音だった。
大司教になんてなれば預言の神子としてあっちにこっちに駆り出されるのは目に見えていたし、狸おやじに囲まれて彼らの思惑に巻き込まれたり利用されるのは御免被りたい。そもそも働かなくても国王陛下によって生活は保障されているのだから、地位よりも自由を取っただけの話だ。
「あっはっは! いやまったく、その通りだ! 君の意見には心から賛同する! だから僕も、魔術師学会からの呼び出しを無視し続けているしね!」
魔術師学会――。
この世界は魔術師が大きな力を持っており、その人数その功績その働きその他諸々、国が厳密に管理している。だから魔術師は皆国の魔術師学会への登録が義務付けられており、基本的に学会からの呼び出しは無視してはいけないのだけれど――ジルヴァジオは魔王封印の旅に参加する前から、学会から問題児として扱われていた。それでも学会を追放されないのは、その類まれなる能力故だ。
今回英雄の一人というこれ以上ない功績をあげたことで、ジルヴァジオはいっそう自由に振る舞えるようになったことだろう。学会が彼を処分でもすれば、世界中の人々がきっと黙っていない。魔王を封印した我らが英雄になんてことをするんだ! と。
目の前で笑い続けるジルヴァジオを見ながら、本国の魔術師学会の人々に心の底から同情した。今この時も、彼らは頭を悩ませていることだろう。
「よし、早速のんびり自由な暮らしを実践するとしようじゃないか!」
高らかに宣言するジルヴァジオに、私はもう考えることをやめて無心で頷いた。
世界一の変人魔術師の思考なんて凡人には分かるはずもない。考えるだけ時間と労力の無駄だ。だから頭を空っぽにして、話半分に聞いて、理解できない部分は受け流す。それがジルヴァジオと付き合う上で大切なことだと、恋人生活を開始して早々に理解したのだった。
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