02:世界一の変人魔術師
人々の視線から逃げるようにして湖のほとりに引っ越した私を訪ねてきたのは、世界を救った英雄の一人であり、世界一の変人魔術師と名高いジルヴァジオ・アッヘンバッハだった。
泥だらけの靴で新居に押し入り、あちこちを物色する黒ローブの背中に問いかける。
「私、失踪したことになっているのですか? そんなつもりはなかったのですが……」
ここに来た理由を尋ねてもきっと無駄だ。彼の行動はすべて気まぐれ。分かりやすい動機を求めたところで答えが与えられるはずもない。
だから、ジルヴァジオが先ほど言い放った“失踪”という単語に焦点を絞り尋ねた。ただの引っ越しが、そんな物騒な事件になっているとはこちらとしても予想外だったからだ。
黒ローブの背中が勢いよく振り返る。彼は動きがいちいち大仰だ。
「君は時々抜けているところがあるね。誰にも行き先を告げず住居を移動させたら、そりゃあ驚く連中もいるに決まっているだろう? 教会の奴らなんかは大騒ぎだったよ」
やれやれ、と大げさに肩を竦めるジルヴァジオ。どこか芝居がかった彼の物言いは一部の仲間から「癇に障る」とたいそう不評だったけれど、私個人としてはそこまで気にならなかった。
人を逆なでするような言葉遣いをするのは確かだ。しかし発言の内容は間違っているどころか、いつだって的を射ていると感じるからだろうか。
事実、今回の失踪騒動についても、不本意ながら彼の言う通りだと思えた。
「ごめんなさい、心配をかけてしまったようですね。でも、ほら、この通り元気にやっています」
微笑み、リビングの机の上に視線をやる。そこには今朝まで編んでいた歪な腹巻が放置されていた。正確に言えば、腹を冷やさないよう作ってみようと思いつきで取り掛かり、早々に飽きてしまった腹巻の残骸だ。
ジルヴァジオは残骸を一瞥すると、近くにあった大きな窓から外を眺める。
「へぇ。確かにここなら喧しい奴らに囲まれることなく、静かで穏やかな時間を過ごせそうだ」
「えぇ! 読書をしたり、絵を描いたり、パンを焼いたり、お菓子を作ったり。それに編み物や縫い物……沢山することがあって、むしろ時間が足りないくらいです!」
だから帰ってくれないか、という思いを込めてジルヴァジオを見つめる。
正直言って、私は彼が苦手だ。ゲームの登場人物としてはキャラが立っていて、前世では好感を抱いていた。優れた黒魔術師ということで戦闘面において役に立ち、その優秀な頭脳であっと驚く作戦を考えたり人々の嘘を見抜くことも多々あったから、彼を頼りにしていたプレイヤーも多いだろう。
しかし現実世界で、実際に接する人物としてはとても苦手な相手だった。相手の一挙手一投足を観察し、心の内を見透かしたように笑う。訳の分からない絡み方をしたと思いきや、次の瞬間には興味を失くしてその場から消える。大声で笑った一秒後には、人を射殺しそうな瞳をしているのだ。
何を考えているか分からない。何を言い出すか分からない。凡人には思考回路が一切読めない、まさしく世界一の天才であり変人。
共に旅をした仲ではあるが、こうして二人きりで面と向かって話すのは初めてだ。彼が暇つぶしとはいえ、私の足取りを追ってきたことも予想外だった。
私の視線を受けて、ジルヴァジオはにっこりと笑った。穏やかな笑みに嫌な予感がする。
「先ほど暇と叫んでいたのは別人かい? それともこの家には他にも住民がいるのだろうか? それならばぜひとも紹介してくれたまえ、挨拶がしたい」
――この時ばかりはジルヴァジオの回りくどい言い回しを「心底性格が悪い」と扱き下ろした仲間に、心の底から同意した。
「……聴いていたのですか?」
「失敬な! まるで僕が盗み聞きしたような物言いをするのはやめてくれるかな。君の声が外まで響いていたからね、聴こえてしまったのだよ」
確かに先ほどは自分の他には誰もいないと思って、腹の底から「暇!」と叫んでしまったが、この立派な作りをした屋敷の壁を抜けるほどの大声だっただろうか。
ジルヴァジオが“盗み聞き”したことへの疑惑を胸の内に抱えたまま、聞かれた以上はなかったことにはできないので、彼の回りくどい物言いを責めることにした。
「それならそうと、最初から言って――」
「叫ぶくらい暇なら、僕と恋でもしないか」
「……へ?」
私の言葉を遮ってジルヴァジオが言い放った言葉の意味を、私はすぐに理解できなかった。
唖然として、色鮮やかなグリーンの瞳を見つめる。喉が渇きを訴えた。――違う、口の中が渇いているのだ。つまり私は口を半開きにしたまま、それなりの時間固まってしまっていたらしい。
ひとまず口の中を潤そうと唇を引き結び、脳裏に梅干しを思い浮かべたときだった。ジルヴァジオが再び口を開く。
「僕も暇を持て余していてね。ただ家にある魔導書は全て読んでしまったし、音楽も絵画も乗馬も剣術も飽きてしまった。つまり僕は、この退屈な日々を彩る新しい刺激を探しているのだよ!」
「はぁ……」
ふふん、となぜか得意げな変人魔術師に、気の抜けた相槌を打つことしかできなかった。
耳障りのいい中低音の声は、間違いなく私の鼓膜を揺らしているのに、言っていることが何一つとして理解できない。
未だ呆けている私の目の前に、ジルヴァジオが指先を突き付けた。まるで犯人を追い詰める探偵のような仕草だった。
「それでまだ僕が体験していないことを考えてみたんだが……それが恋だったというワケさ」
(どういうわけなの……)
ジルヴァジオの提案を端的にまとめると、つまり彼はこのようなことを言いたいらしい。
――暇つぶしに自分と恋をしてみないか、と。
冗談にしては悪質だ。しかしジルヴァジオの態度はとても本気で言っているとは思えない。そもそも提案の内容からして、本気ではないだろう。
いつもの変人仕草かと早々に決めつけ、私はため息交じりに問いかけた。
「冗談でしょうか?」
「本気さ」
――が、帰ってきた言葉も、その言葉を言い放った彼の声音も、思いのほか真面目な響きを持っていて。
私は再び驚き、ジルヴァジオを見上げた。彼のうねる毛先に目を奪われる。あっちこっちに跳ねる髪は思いのほか柔らかそうだ。触ったら心地いいかもしれない――なんて、彼の毛質に想いを馳せている余裕はないのだが、考えることを放棄した私の脳みそが、現実逃避をするように指令を出したのかもしれない。
何も答えない私に焦れたのか、ジルヴァジオは早口で捲し立てた。
「一人暮らしは長いから、料理は人並み以上にできると思うよ。手先も器用な方だ。そうそう、湖のほとりにキャンバスが置いてあったけれど、あれは君のだろうか? それならよかった、僕はきっと君のいい先生になれる。子どもの頃に絵画で賞を取ったことがあるんだ。賞の名前は……アー、なんだったかな。忘れてしまったけれど、髭の生えた偉そうなおじさんから貰ったから、それなりに名誉のある賞だったと思うよ。あとは……そうだな、こう見えて話題は豊富な方だと思う。客人が来たときは僕のお喋りでもてなすのさ。彼らが許す限り、何時間でも……。気がついたら客人の姿は消えているんだけどね。あっはっは!」
ジルヴァジオが突然大声を上げて笑ったことで私は我に返った。
芸術的にうねった彼の毛先から視線をずらし、グリーンの瞳を見上げる。視線が絡む。その瞬間、ぐい、と端正な顔が勢いよく近づいてきた。
「あぁ、そうそう、黒魔術はそれなりに使えるから、護衛としても中々の物件だと思うよ。一家に一人、ジルヴァジオ・アッヘンバッハはどうだい?」
「……あの、先ほどから何を……?」
縮まってしまった距離を元に戻そうと、数歩後退しながら問いかける。しかし離れた分だけジルヴァジオが近づいてくるので、私は距離を取ることを諦めた。このまま後退し続けては、いつかは壁際に追い詰められてしまうだろう。
私が足を止めたのを確認して、ジルヴァジオは問いに答えた。
「君に僕を売り込んでいる」
どうやら彼は、私に自分のアピールポイントを売り込んでいるつもりだったらしい。
旅の仲間とはいえ特別親しくない私の許に連絡なしで押しかけて、恋をしてみないかと突然提案し、私を頷かせるために売り込みを始める。一から百まですべてジルヴァジオの思考が読めない。見えない。何を考えて、どうしてこんなことを言い出したのか、全く分からない。
――未知を前にしたとき、人間が抱く感情は大きく二つに分かれると思う。未知に恐怖心を抱くか、もしくは、好奇心を抱くか。
「……どうかな。君の退屈も、少しは紛れると思うが」
私は未知に対し、恐怖を抱く側の人間だったはず。実際今世でジルヴァジオを苦手に思っていたのも、凡人には理解できない彼の思考を恐ろしいと感じたからだ。
けれどこのとき、「どうかな」とまるで私の顔色を窺うような表情を見せたジルヴァジオに対して抱いた感情は、紛れもない――好奇心だった。
彼もこんな表情をするのだという驚きと、その表情の理由を知りたいという好奇心。そしてそもそもなぜ彼が「恋をしないか」と親しくもない私に提案したのかという、大きな疑問。
ジルヴァジオの言葉に頷き、疑問を解き明かす時間はたっぷりある。なぜなら、私は腹の底から叫ぶくらい暇なのだから!
――今思えば、このときの私は暇を持て余すあまり、血迷っていたのだ。
「……分かりました。よろしくお願いします」
そう微笑んで、世界一の変人魔術師ジルヴァジオ・アッヘンバッハに握手を求めてしまうぐらいに!
目の前に差し出された私の手を、ジルヴァジオは強く掴んだ。そして大きく上下に振る。熱烈な握手だった。
「よろしく頼むよ、預言の神子エスメラルダ!」
「もう私に預言の力はありませんよ」
――さて、恋人関係が成立したわけだが、先ほどの“売り込み”の言葉からして彼はこの屋敷に住むつもりだろう。幸い部屋は有り余っているし、元王家の別荘だけあってすべての部屋に頑丈な鍵がつけられているから、私としても異論はなかった。
未だ握手を解かない恋人に私は声をかける。
「部屋は有り余っているので、お好きな部屋を使ってください。荷物が多いようでしたら、荷物用の部屋を使っても――」
「あぁ大丈夫。僕の荷物はこれだけだから」
どこからともなく現れた小さなボストンバックに纏められた荷物に、私はまんまとジルヴァジオ・アッヘンバッハの口車に乗せられてしまったのではないかと後悔したのだが、時すでに遅し。
――かくして、力を失った元預言の神子と世界一の変人魔術師の、風変わりな同棲生活が幕を開けたのだった。
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