力を失った元預言の神子は、クリア後の世界で第二の人生を謳歌する
日峰
01:預言の神子、隠居する
――その日、世界を脅かしていた魔王は封印された。
世界を覆っていた暗雲が晴れ、一年ぶりの太陽の光が大地を照らす。
全身で陽の光を浴びながら、“私”もまた、己の使命が終わったことを悟る。
「ありがとう、
つい今しがた魔王を封印した勇者が清々しい表情で声をかけてきた。
――預言の神子・エスメラルダ。未来を視、勇者を導いた神子。それが“私”だ。
どこに魔物が潜んでいるのか。どこの街がどのように襲われるのか、魔王の手が誰に伸びようとしているのか。それを“私”は“視”ることができた。――いいや、“知って”いた。
けれど今この時、“私”はもう預言の神子ではなくなってしまった。
「もう私に未来を視ることはできないようです。平和になった世界には、神子の力は必要ないということでしょう」
勇者たちの間に動揺が広がる。なぜそんなことが分かるのか、彼らは皆疑問に思っているようだった。
“私”は小さく首を振って、それ以上口を開くことはしなかった。たた微笑を浮かべ、共に険しい戦いを潜り抜けてきた仲間の顔を見回す。そうすれば聡明な旅の仲間は、それ以上問い詰めてこない。
なぜ“私”は預言の神子になれたのか。そしてなぜ“私”が魔王を封印した瞬間、力を失ったことを確信したのか。
それらの理由を公にする日はきっと来ない。
「預言の神子はもう、未来を視ることはありません」
念を押すように呟く。そして雲一つない青空を見上げた。
この青空には見覚えがある。未来を視たからではない。――前世で見たのだ。
魔王を倒した後、勇者一行は喜びを噛み締めるように硬く抱き合う。互いを褒めたたえ、帰ってきた青空を見上げ、そして“カメラ”もまた、青空に向けられる。
流れ出すのは壮大でいて感動的なBGM。旅の終わりを彩るメロディ。そうして流れ始める、エンディングロール。
――そう、預言の神子はもう未来を視ることはできない。なぜなら。
(エンディング後は最後のセーブポイントに戻されるから、クリア後の世界で何が起こるか分からない!)
前世プレイしたロールプレイングゲーム『勇者と七人の仲間』では、クリア後の世界は描かれなかったからだ。
***
私が“そのこと”に気づいたのは十五歳の頃だった。
立派な淑女になるべくパブリック・スクールへの入学を前に、“私”は王都を始めて訪れた。――そう、初めて訪れたはずなのだが、王都の街並みに妙な既視感を覚えたのだ。
既視感を抱えたまま迷路のように入り組んだ城下町を一切迷わず抜け、目的の下宿先に辿り着いたそのとき、私は確信した。
――ここ、前世でプレイした『勇者と七人の仲間』の世界だ!
そのタイトルの通り、勇者と七人の仲間が手と手を取り合って魔王を倒す剣と魔法のRPG。物語もシステムも何もかもがシンプルなつくりで、しかしそのシンプルさが息抜きに丁度いいと仕事に疲れ切った社会人を中心に支持されたとか、されなかったとか。
正直最初は信じられない気持ちでいっぱいだった。前世プレイしたRPGの世界に生まれ変わるなんて状況を簡単に信じられる方がおかしいだろう。
しかし抓った頬は痛く、夢は一向に覚める気配がない。数日後には己のおかれた奇怪極まりない状況を受け止めていた。
――なんて、そこまで騒がず受け止められたのも、自分がゲームには一切名前の出てこない、存在していたかどうかすら怪しいモブキャラに生まれ変わっていたからだろう。万が一メインキャラクターの一人に転生でもしていたら大騒ぎしていたに違いない。
難しすぎないシンプルな戦闘システムが好きだった、だとか、キャラクターたちが魅力的だった、だとか前世の記憶を脳みその奥底から引っ張り出し、思い出に浸っていたところ、“その事実”に気づいたのだ。
――数年後、この世界に魔王が復活し大きな被害を受ける。
その未来を知っているのは“私”だけ。
その瞬間の“私”はまさしく、使命感に燃えた。
ゲームでは救えなかった命も救えるかもしれない。テレビの前で呆然とした、トラウマと名高いイベントも阻止できるかもしれない!
慌てて王城に駆け込み、前世の記憶を天から授かった預言と偽って兵士に話した。どれだけ馬鹿にされようと鼻で笑われようと詐欺師として牢獄に繋がれようと、“私”は決して諦めなかった。一年と半年、“私”は訴え続け――ついに“私”の預言通り、魔王が復活したのだ。
その日から、兵士たちの“私”を見る目は変わった。
国王から直々に呼び出され、“私”は預言の神子・エスメラルダになった。
前世の記憶を頼りに勇者を導き、人々を救い、ゲームでのトラウマイベントも事前に阻止し――先日、ついにその役目を終えたのだ。
「そなたの預言の力無くして勇者の勝利はあり得なかっただろう。世界を救った神子として、それ相応の地位を用意しておる」
そして王都に凱旋して早々、国王陛下から直々にお褒めのお言葉を頂いている。
威厳溢れる髭を太い指で撫でる陛下に、私は首を振って答えた。
「いいえ、陛下。預言の力を失った私はもう神子ではありません。英雄としてではなく、力を持たぬただの一人の人間として、穏やかに日々を過ごしたく存じます」
「それがそなたの願いか」
頷く。すると陛下は目を細めた。
「まったく、無欲なものだ。だからこそ、神もそなたに預言の力を授けたのだろう」
無欲なのではなく、ただ責任ある立場に就きたくないだけだ。まだ十六歳なのに、立場に縛られて好きなこともできない人生なんて悲しすぎる。地位より自由が欲しかった。
それにこの上なく打算的な考えだが、預言の神子として顔も名前も知られている以上、英雄からただの一般人に戻ろうと食いっぱぐれることはないだろう。一生分の名誉は既にこの手の中にある。
「分かった。しかし住居の提供と生活の援助ぐらいは許してくれ」
「陛下、そんな……」
「預言の神子エスメラルダを無下に扱ったと知れれば、国民から非難されてしまう。私の顔を立てるつもりで、どうか受け入れてくれ」
国王陛下直々に頭を下げられて、私は受け入れる他なかった。――なんて、初めから断るつもりもなかったのだけれど。
「勿体無いお言葉でございます。ありがとうございます、陛下」
深々と頭を下げて謁見の間から退室する。そしてそのまま王城から出た。
頭上に広がるのは気持ちのいい青空。魔王を封印するまで分厚い暗雲に覆われていたせいで、気が付くと空を見上げてしまう。
この青空は平和の印。預言の神子として微力ながら勇者たちに力を貸した、努力の証。
ぐっと大きく伸びをした。もう私は神子ではなく、ただのエスメラルダ・ケアードという一人の人間だ。
さて、これからはクリア後の世界を、第二の人生を謳歌しよう!
――なんて、考えていたのだけれど。
「神子様! よくぞいらしてくださいました!」
入った店の店員は、私の顔を見るなり顔色を変える。そして過剰ともいえるサービスを提供した後、皆一様にこう言うのだ。
「お代は結構でございます!」
どこへ行っても同じだ。レストランに入っても、雑貨屋に入っても、露店でだって、私の顔を知らない者はいない。そして私から代金を受け取ろうとする者もいない。
それだけならまだよかった。むしろ最初は一切代金を払わずに済むなんて夢のような暮らしだと喜んだ。ちくちくと痛む良心に気づかない振りをするのも、一か月もすれば慣れてしまうはずだった。
――しかし。
「神子様!」
街を歩けば、四方八方から声を掛けられ。
「みこさまー」
自宅の前には預言の神子を一目見たいという人々が長蛇の列を作り、
「みっ、神子様ですよね!? 握手してください!」
どれだけ変装しようと、なぜか見抜かれる。
世界中の人々は、預言の神子を放っておいてはくれないようだった。
(どこに行っても監視されているようで、これじゃあ気が休まる暇がない……)
裏路地でがっくりと項垂れる。このような暗く臭い場所に逃げ込まなければ、一人でのんびりすることもできないのだ。
このままでは第二の人生を謳歌するどころではなくなってしまう。常に人々の視線に怯え、元預言の神子として振る舞うために気を張り詰め続け、早々にこの状況を打破しなければ神経症を患ってしまいそうだ。
既に動きが鈍くなっている頭をどうにか捻り、辿り着いた結論は。
「人里離れた場所に建てられた家が欲しい?」
――情けなくも、国王陛下に泣きつくことだった。
「はい。静かな場所で、祈りを捧げながら日々を送りたいと思いまして」
もっともらしいことを言い連ねつつ、今にもその立派な刺繍が施されたマントに縋りつきたい気持ちを必死で耐えていた。
陛下は髭ごと顎をさすりながら数秒考え込む。祈るような思いで慈悲深い青の瞳を見つめること数秒、彼は「あぁ」と大仰に頷いた。
「それならいい場所がある」
私は詳細も聞かず、陛下の言葉に飛びついた。一秒でも早く人々の視線から解放されたかったのだ。今思えば、自分でも思っていた以上に追いつめられていたのだろう。
与えられたのは四方を山に囲まれた湖のほとりに建つ、一人で暮らすにしては大きすぎる二階建ての家だった。
どうやらここは、かつて王家の別荘として使われていたらしい。しかし交通の便が悪すぎるということで――四方を山に囲まれているせいで、どの方角から来ようと必ず一つは山を越えなければならない――もう長いこと使われていないとのことだった。
馬車を乗り継ぎ、険しい山道を歩き、勇者の旅に同行した私でも今にも行き倒れそうなほど険しい道のりだったが、その苦労は目前に広がる湖の美しさにすっかり吹き飛んでしまった。
「うわぁ! きれい……!」
透き通った水面に湖を囲む山々と広い青空が映りこんでいる。キラキラと輝く水面に引き寄せられるように指先で触れると、美しい波紋が広がった。その様子をじっと見つめる。
あぁ、素晴らしきかな大自然。刺すような視線も感じないし、鼓膜をむずむずさせる内緒話も聞こえてこない。ここなら今度こそ、第二の人生を謳歌できるような予感がした。
「神子様、私どもは山のふもとにおりますから、何かありましたらいつでもお声がけください」
しわがれた声で遠くから声をかけてきたのはこの別荘の管理人。あの山道でも息一つ上がっていない恐るべき老夫婦だ。国王陛下からの信頼は随分と厚いようで、何かあれば彼らを頼るといい、とのお達しだった。
ご夫婦と別れ、私はさっそく新しい自分の住居に足を踏み入れた。流石王家の別荘とだけあってかなり贅沢なつくりで、特に吹き抜けのリビングは日当たりがよく気持ちがいい。
陛下のご厚意か食材の貯蓄は十分で、更には書斎にはたくさんの本が置かれており、画材まで取り揃えられていた。
「なんでもある! しばらくは退屈しなそう!」
――そう、今度こそ私は望んでいた生活を手に入れることができたのだと、確信していた。していたのだが。
「飽きた」
山奥の別荘で一人時間を潰すのは、一週間が限界だった。
「本を読むのも絵を描くのもパンを焼くのもお菓子を作るのも縫い物も編み物も全部全部全部飽きた! 暇!」
一人なのを良いことに腹の底から叫ぶ。
例えば、前世のようにゲームがあったのなら、もっと長く時間を潰すことができたはずだ。しかし今世、この世界には生憎とまだそのような娯楽は生まれていない。
魔法という摩訶不思議な力があるのだから、この世界の技術はもっと発展していてもよいのではないかと思う。しかし未だこの世界の主な移動手段は馬車で、子どもが時間を潰す玩具と言えば積木だった。
そのくせ建物の建築技術は明らかに進んでいたり、トイレやキッチン周りがやけに綺麗なのは――あくまで娯楽ゲームの世界に不要な現実を持ち込むな、ということなのだろう。
「何か新しい趣味でも見つけようかしら……」
深い深いため息をつき、気分転換に湖でも眺めてこようとソファから立ち上がった。そして玄関へ向かい、必要以上に重厚な扉を開ける――
「エスメラルダ」
扉を開けた先に、一人の男性が立っていた。
見上げると首が痛くなる長身。その長身を顔まですっぽりと覆うフード付きの黒ローブ。
一見すると不審者にしか見えないその人物の正体を、“私”は知っていた。
「……ジルヴァジオ、ですよね? どうしてここにいるのですか?」
――ジルヴァジオ。ジルヴァジオ・アッヘンバッハ。
類まれなる才能を持つ黒魔術師であり、この世界を救った英雄の一人。つまりはゲーム『勇者と七人の仲間』の“七人の仲間”の一人。
私の呼びかけにジルヴァジオは顔にかかっていたフードを脱ぎ、その顔面を陽の光の許に晒した。
彼は暖炉の残灰を頭から被ったような不思議な髪色をしている。生え際が濃いグレーで、あちらこちらにうねった毛先にいくにつれて色が抜けていくのだ。こちらを見下ろす瞳の色はグリーン。彩度の薄い髪とは打って変わって宝石のような鮮やかさで、思わず目が惹きつけられてしまう。
涼し気な目元に、すっと通った鼻筋。薄い唇はセクシーと一部の女性たちから評判で、早い話が美形と称するに相応しい容貌の男だった。
――彼の場合、黙っていれば、という注釈がつくのだけれど。
「なぁに、君が失踪したと聞いてね。僕も旅が終わってから逆立ちして魔導書を読むくらいしかやることがなかったものだから、暇つぶしに失踪した神子様の足取りを辿ってみたらここに辿り着いたというワケさ。やぁやぁ、なかなかいい家じゃないか! ここ、君の新居かい?」
彼は私の許可も取らず家の中へずんずん入ってくる。本来であればその無礼を咎めるべきなのだろうけれど、ジルヴァジオの奇行に慣れている身としては、「またか」とため息交じりにその広い背中を眺めるばかりだった。
――ジルヴァジオ・アッヘンバッハ。彼こそが誰よりも優秀な頭脳と優れた魔力を持ちながら、国の魔術師学会が手に負えないと烙印を押した、世界一の変人魔術師だ。
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