第13話 それはあなたではなく、聡のため
享子は病院に様子を見に行った。
もう仕事は打ち切られているから、病室を見舞うことはない。
誰かに見つかるのもめんどくさいので変装していった。
変装は享子にとって下見の時に良くするので普通の事だった。
最も、変装といっても普段と違う格好で印象を変える程度だった。
中倉聡にとって白井享子は真面目な女子大生というイメージなので、派手な印象の服装で病院に行った。
見舞客を装い、花束を持っている。
聡の病室の側まで来ると、以外と静かだった。
聡の性格からして暴れているか、物でも投げているかと思ったから、享子は少し拍子抜けをした。
でもかえってその静けさが、異様な雰囲気だった。
ドアが半開きになっていたのでその前を横切ったが、中を伺うことは出来なかった。でも聡の気配はなんとなく感じる。
まさか声を上げることも出来ない位、弱っているのか。
享子は近くのベンチに座った。
別にそれでどうなるという事ではなかったが、なんとなくそうしていたかった。
いったいどれ位の時間が立ったか分らなかったが、享子は強い視線を感じた
まさか聡に見つかったかと思って、恐る恐る顔を上げるとそこには母親が立っていた、
「あなた」という母親の顔には安堵の色が浮かんでいた。
仕方なく享子は聡の母親を連れて、まず聡が来ないだろうというところまで移動した。
「勘違いしないでいただきたいんですけれど、仕事をもう一度すると言うことではないので。ただあの状態で打ち切ると言うのはどうなんだろうと思って、様子を見に来ただけです」享子は酷く事務的に聡の母親に伝えた。
「あの状態で打ち切るというのは良くなかったんでしょうか」
「そうですね。良い子になったと言われましたが薬が効いていただけです。やめればまたすぐに元に戻るという事です」
「ならあの時に言ってくだされば」と若干の非難をこめて母親は言う。
「聞く耳を持っていらっしゃらなかったですよ」と若干の嫌みを込めて享子は答えた。
「あの子、もう口もきいてくれないです。前は怒鳴るなり物を投げるなり、意思表示があったんですけれど、今はもう何を言っても何も反応してれくなくて、治療もほぼ拒否している状態でどうにもならないんです。まさかこんなことになるなんて」そしてまた泣き出した。
この母親は泣き慣れていると享子は思った。
泣くことで心の平穏が保てると言うこともある。
この母親はその事を無意識に分って居る。
まだ母親はいい、まだ泣けるから、本当に良くないのは泣くことも出来ない状態だ、おそらく今の聡はそんな状態だろう。
こんな事なら、はじめから白井享子の存在などない方がどれだけましだったか。
妹がそうだった。
陽一がそうだった。
両親がそうだった。
今まで看取った恋人達がそうだった。
そして聡もその状態なんだ。
こういうときこそ誰かが側についてあげなければならない。
享子の中で何かがはじけた。
「お母さん、今度こそ大変ですよ。もしもう一度私が仕事をすると言うことになれば全面的な協力が必要です。いままでみたいに見ていれば良いと言うというわけにはいきませんよ」
「何でもします」
「そして今度こそ決して降りることは出来ませんよ。今度打ち切ったら。聡君の自我は完全に崩壊します。死ぬ前に死ぬくらいの苦しみを味わう事になりますよ」
「分りました」
「それから今度はお母さんにも演技してもらいます。それが出来なければこの仕事は出来ません。それでいいですか」
母親は何かを決心したように大きく頷いた。
そこから特訓が始まった。
一度いなくなった享子をまた元のように聡のところに出入りさせるには、それなりのシナリオが必要だった。
それでも今回は母親が真剣になってくれたので、その特訓はかなりスムーズに進んだ。
でも知らない人に芝居をしてもらうのである。
普通は家族には要求しない事も多い、切羽つまった人間の目は厳しくなる。
所詮素人である、まして親兄弟の付け焼き刃な演技など簡単にも破られる。
もし全員が演技者となってくれたら享子の仕事もどれほど楽だろうと思う。
でも今度ばかりはそうも言っていられない。
この仕事がうまくいくかどうかは。
母親の演技にかかっている。
とりあえず今回は必死になっているようで三日間の練習で見られるようにはなったが実際の本番ではどうなるか享子は心配出ならなかった。
でもやるしかない。
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