第12話  まさかの中断

「中倉聡の両親が今回の仕事の中止を申し出てきた」

城戸は衝撃的なことがあっても、極めて事務的に伝える。

その日も享子が事務所に戻って、休んでいるときだった。

「どういうこと」享子は食べていたせんべいを落とすと、気の抜けたように聞き返した。

「見ていられなくなったらしい」

「みていられないって」

「お前があまりにうまくやっているからさ」

「なにそれ。それのどこが悪いの」

「最近中倉聡がとても優しくなったらしい。看護師や母親が手を焼いていた男が自分の死を正面から見つめ、健気に残された人生を悔いなく生きようとしている」

「結構なことじゃない」

「だからそんな息子に嘘をついていることが嫌になったと言うことだろう」

「それじゃあ、全部話すの」

「そこまでは分らない。とにかく我々には手を引けと言うことだ」

「そんな。でもそんな事をしたら、聡はどうなるの。聡の心は。こんなこと初めてだわ」

「ああ、初めてだ」珍しく城戸が悔しそうな声を出した。

城戸が感情を出すことは極めて珍しい。

かくして享子の仕事は意外な終わりを迎えた。

でも享子の心の中には聡のスペースができあがり。

ぽっかりとその分の穴が開いた。

死んで開く穴ほどの衝撃はないが。

やはり喪失感はある。

そして聡の事だ、聡は自分とのことに明らかな喜びを感じている。

最後までその喜びを持たせてあげるのが、享子の仕事だ、ここでやめることが聡にとってどういうことになるか、両親は分っていない。

聡は大きな喪失感を抱えて死んで行く。

いずれにしろ享子に出来ることはない。



半月ほどして、享子は事務所に呼び出された。

次の仕事かと思い事務所に行ってもみると、中倉聡の両親が来ていた。

享子は聡が逝ったんだなと思った。

「ここへ」城戸が自分の隣の席を指した。

珍しいことではあった。

享子がクライアントに現場以外で二度顔を合わせることは今までなかった。

「その節は大変お世話になりました」母親の方が丁寧に頭を下げた。

横で父親も頭を下げる。

まさか報告とお礼に来たのか、それも今までにないことだ。

「いえ」と控えめに享子も答える。

「中倉さんはもう一度「最後の恋人」をしてくれないかと言っておられる」

「はっ」てっきり聡が逝ってしまったと思っていた享子は一瞬何を言われているのか分らなかった。

「あれから聡が荒れて、荒れて」という母親の顔を見ると、確かにやつれたようにも見える。

「手がつけられなくなったらしい」と城戸が言う

「でしょうね」享子はさも当たり前に、そんな事はわかりきっていたという風に言い放つ。

「こうなることは分っていたと言うことですか」

「ええ、聡君は心のよりどころを見つけ心穏やかになったんです。それをあなた方はとりあげたんですよ」

「あなたには感謝していました。これで後は私たちで看取ることが出来ると思ったんです。でも、あなたが来なくなって、元に戻ってしまったんです」

「それで、もう一度ということですか」聡の両親が頷いた。

「無理ですね」享子は冷たく言い放った。

「そこをなんとか」

「嘘をついたら、その嘘は最後まで突き通さなければならないんです。でなければより一層傷つけることになります。お父様と、お母様は、聡君が傷つく事を承知で私たちのサービスを打ち切ったんですよね」享子は自分の言い方がきついことに気付いた。

それは聡の心、そして亨子自身の心の穴、両方のダメージへの怒りだった。

「あの子本当に素直になって。あんなに良い子に嘘をつくことが出来なくなって。後はわたしたちでと。まさかこんな事になるとは」母親がハンカチを顔にあてて、泣き出した。

「どうにかなりませんでしょうか」と初めて父親が口を開いた。

「無理です」もう一度享子は言い放つと、中倉夫妻は帰って行った。

「こんなことになるんだったら。打ち切りの時にフォローしておくんだったな。次回おなじことがあったら、フォローするようにしよう」そんな城戸の言葉を無視して、享子は中倉夫妻が出て行った扉をいつまでも眺めていた。


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