第11話  これが本当の聡なの?

次の日享子が聡に会いに病室に行くと様子が豹変していた。

母親が病室の外にいて、不安げな表情で中をうかがっている。

ちょっと覗くと、あたりに物を投げつける聡にオロオロした看護師が必死になって落ち着くようになだめていた。

「どうしたんですか」享子は母親に尋ねた。

骨髄が移植できなければお手上げであるということを母親が聡に言ってしまった。

母親はドナーの目処が立たないことも、もう打つ手がない事も聡は分っていると思っていたらしい。

そこで母親は、聡をもう何も出来ないけれど、元気を出すようにみたいな事を言ってしまった。

なんとうかつなことを、どこまで理解しているか分らないところに持ってきて。

いや、たとえ分っていたとしても、伝え方がある。

分かっていないのはもとより、分かっていても、はっきり言われることで、冷静でいられないことがある。

とにかくどうにかしなければならない。

享子は息を整えた。

そして数を数える。

イチ。

ニ。

サン。

そして病室に入った。

「どうしたの、何があったの」享子の酷く驚いた姿に聡の動きが一瞬止まった。

看護師の顔に助かったという色が浮かんだ。

それでも病室を出て行こうとしなかったのは立派と思った。

「ほっといてくれ。君には関係のないことだ」享子の顔を見たせいか、吐き捨てるような言い方のわりに、かなり冷静さを取り戻しているようだった。

「どうしたの。何があったの」享子はベッドの横にすがりつくように膝をつくと。

驚いたように言う。

そしてもう一度同じ言葉を言う。

でもイントネーションがちがう。

二度目の享子の言葉は泣きそうな感じの弱々しい物だった。

これが演技なのかと言われれば、確かに演技かもしれない。

でも享子の心はリアルだ。

そしてそういう事は伝わるのだ。

そしてそのせいで、聡の顔から険しさがうすらいだ。

「いや」聡は完全に冷静さを取り戻したようだった。

すがりつき泣きそうな顔の享子に今の状態をどう伝えたら良いのだろうと、考えているようだった。

そして享子は涙声でたたみかける。

「いったいあなたに何が起こっているの。私は力になれないかも知れない。でも、でも私一人が何も知らないのは辛い。何も知らなければ一緒に戦えない」後の方は泣いていた。

看護師はこういう場面に慣れているはずなのに、もらい泣きをしていた。

でも母親だけは酷く冷たい視線を享子に向けていた。

いつもそうだ、いくら上手にやっても、いやうまくやれば、やるほど忌み嫌われ、感謝などされない。

うわべだけではありがとうとは言うけれど、心の底にその言葉は存在しない。

でもクライアントは分っていない。

決して演技ではこういう風には出来ない。

そこには恋人となる人への思いや、同情や、回復して欲しいと言う祈りがある。

演技で涙が流せるほど享子は器用でもないし、演技派でもない。

その度に享子の心は削りとられて行く。

そしてはかり知れないダメージに数日は立ち直れない。

でもそれには誰も気付いてくれない。

それは城戸であっても。



「白血病なんだ」病院の庭を歩きながら、聡が口を開いた。

「白血病?」享子は初めて聞いたかのように、驚いたように言う。

聡本人が自分が白血病だと、享子に言ってくるとは思わなかった。

「きっと知っていると思うけれど、不治の病でね」と言って聡が享子の顔をのぞき込んだ。

享子の顔は青ざめている。

何度遭遇してもけっして慣れることはない。

だからこれは演技ではない。

陽一が白血病だと知らされた時の衝撃は、今も忘れられない。

そのたびに思う、自らの口で白血病だと告白させる。

それは自分の命がつきる事を、誰しもその現実から目を背けたいことなのに、どうして自分はそんなにも辛いことをさせているのだろう。

「でも治らないと言うことじゃない。血小板という物を移植すれば大丈夫なんだ」

「血小板て?」

「背骨の中にある血を作るところ」

「移植するとあげた人の血小板がなくなってその人が白血病になるの」

「そんなこことはないよ、移植と言ったって、血を分けてもらうような物なので、ドナーは自分の血小板で血が作れるからなんともない」

「何だ、だったら私のあげるよ」分っていて享子は無邪気に言う。

「ありがとう。でも型が合わないとだめなんだ。で合う人は何万人に一人で。その目処が立たなくなった。それでさっきのようになった。ごめんね、嫌なところを見せたね」そこまで言って聡は何かを考えているように下を向いた。

享子は驚いていた。

聡がこんなにも素直に謝るなんて。

明らかに聡の中で何かが変わってきたようだった。

そして聡は顔を上げて何かを言いかけた。

でも言葉が出てこない。

「なに」と享子がたずねる。

ここでどういう言葉が出るか、享子は予想がつかなかった。

「うん。もう来なくていいよ」

「えっ」享子は驚いたように言う。

「俺はもう多分治らない、半分くらいは覚悟していた。でも心のどこかでなんとかなるかもとも思っていた。それがだめになった。とてもかわいらしい彼女も出来た。

治ったらああしようとか、こうしようとか思った事もたくさんあったけれど、きっともうだめだ、さようなら」

「ちょっとまってよ」享子は怒ったように言う。

「えっ」

「何よそれ。そんなのってないでしょう。そんな話を聞いて、ああそうですか。さようならなんて言えると思う」

「でも君みたいな女の子は、人の生き死に関わらない方がいい。辛い思いをするだけだし、その思いが残ってしまうかも知れない。君はまだ俺の事を好きにはなっていないだろう。でも俺は君のことを好きになりかけている。だったらお互いにもっと深くつながらないうちに離れた方が良い。その方が悲しまなくていい。君のことが好きだから、悲しませたくないんだ」データーではこんなに優しいことを言う人ではないはずだった。

中倉聡は、実は根底のところでは、こういう優しさを持っていたのに、誰にも伝わらなかったのか、ここ数日の享子との接触でこういう風に考えるようになったのか、享子には判断がつかなかった。

「イヤだ」

「えっ」

「そんなのイヤだ。もう手遅れだよ。私はもうすでにあなたのことを好きになっているんだから」

そう言って、享子は中倉聡の目をみつめた。

でもその目は決して演技などではなかった。

享子の心が聡に傾いているのが分る。

「だったらなおさら君は俺から離れるべきだ。俺は君を悲しませたくないんだ」

これが本当の中倉聡なのか。

享子はなぜ人が死ぬと悲しいのか考えたことがある。

両親と妹が死んだときは、経済的なことや、これからのこと。

考えることがありすぎて、不安と自分だけが生き残ったことに負い目があり、それで悲しいのだろうと思っていた。

では城戸陽一が死んだときは。

それはただ、ただ、悲しかった。

自分の心の中にぽっかり穴が開いたようだった。

そう、享子は穴だと思った。

人は自分の心の中にその人のスペースを作るんだ。

だから、死ぬとそこに穴が開く、その喪失感で悲しいのだと思った。

そう考えれば中倉聡というスペースが享子の心の中にすでにある。

だからもう後戻りは出来ない。


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