第10話  恋人ごっこ

「ちょっとなんとかしてよ」享子は事務所に戻るなり、城戸に食ってかかった。

とにかくこのサービスはクライアントの協力なくしては成り立たない。

「どうした?」珍しく感情をあらわにしている享子に城戸が冷静に答える。

城戸は何があっても取り乱さない。

「計画は両親に通しているんでしょうね」

「一応、概略は話してある。何かあったのか」

「何かあったのかじゃないわよ、もう少しでばれそうになったのよ」少しだけ城戸の顔色が変わった。

「大丈夫だったのか」

「なんとかね。でもあの両親危なかしいわね」

「分ったそれについては注意しておく。で接してみてどうなんだデーターどおりとっつきにくいのか」

「以外とそうでもなかった。結局本人は寂しかったんじゃないかな」

「それは分らないだろう、単に病気になって、気弱になっただけかも知れない」

「それならそれでもかまわない。気弱になった人の心を救うのも私の仕事だと思っているから」

「そうだな」と城戸は感情のこもらない声で言った。

城戸がこの仕事を、本質的なところで嫌っている事は享子も知っている。

城戸は城戸の弟陽一が入院するまでは全く普通の青年だった。

それが弟の陽一が入院したことで城戸の中で何かが変化して行った。

白血病という血液の癌を隠すため城戸は今までにないジレンマを感じることになった。

骨髄の型が親戚縁者の中で合う人がいない。

家族全員が諦めなくてはならなくなっても、直ることを本人に伝えなければならなかった。いずれは本人にも伝わる事だが、積極的に告知をする時代ではなかった。

それでもきっと陽一は自分が直らないということを、分かっていたのではないだろうかと享子は思う。

あのときの陽一の精神はひどく落ち着いていた。

それは回りの誰もが陽一は自分が直らないという事を知らなかったからと考えた。

でもそれは違うと享子は思っていた。


それは


それは、自分がいたからだと享子は信じて疑わない。

この世の不幸を一身に背負っているような享子を陽一は見ていられなかった。

陽一の中で享子の心を救うことが、自分に残された最後の仕事だと考えていたのではと思う。

だから事あるごとに陽一は享子の前に現れ、元気づけようとした。

普通なら反発するそれらの助言も、明らかに自分より大変な状況の少年からの言葉であると、享子の反発する気持ちも和らぎ、陽一の言葉の一つ一つを素直に聞き入れることが出来た。

そしてその度に享子の肩にのしかかった家族の事が少しづつ軽くすることが出来た。

それは陽一にとってもだった。

陽一もそうやって享子の世話を焼くことによって、自らの短い命にその生きた証を刻印することが出来た。

享子は陽一によって心を救われたが、それは陽一に取っても短い命の糧とすることが出来たのだった。



三日にいっぺんの割りで享子は聡の病室を訪れた。

初めのうちは、いる時間も短かかったが、段々と長くしてゆく、まだ享子は聡の病気の事は知らないことになっている。

ある日聡は享子に訊ねた。

「なんで君は俺のところに通ってきてくれるんだ」予想通りの質問だった。

「偶然が二度重なったから」と享子はあっけなく答える。

「でも俺は入院しているんだぞ」

「だから来ないというのも薄情じゃない、それに病気の時は誰かに来てほしいものでしょう。叔父さんがそう言っていたもの」

「ああ、あの叔父さんか」

「迷惑?」と言って享子は不安そうに聡を見つめた。

「いや、そんな事は」明らかに聡は喜んでいると享子は感じた。

「これだけお見舞いに来ているんだから、退院したらディズニーランド、おごってよ」

「ああ。去年か、一昨年にオープンした遊園地だろ。そんな高い物買えないよ」と聡が言う享子は驚いた。

聡はこの手の冗談を言う人間ではないというのが事前データーだった。

「つれて行けってっ言っているの。まだ行ったことないんだ。一度行ってみたい」

「まだ行ってないんだ」と聡が小馬鹿にしたように言う。

「なんかイラッとするんですけれど。じゃあ、あなたは行ったことがあるの」

「あるわけないだろう。出来たばかりだ」

「イヤ自分で去年か一昨年って、言ったばかりじゃない。それって出来たばかりって言うの?」

「できたばかりだよ」と聡はうそぶく。

「わたしをすてたやつと行く予定だったの、なんとかそれを補填したいじゃない。まあそのタイミングで出会ったわけだから、責任取って連れていってよ」享子は明るく言って聡の顔色をうかがった。

聡は少し目を伏せて黙った。

知らない設定とはいえ酷いことを言っている。

余命幾ばくもない人間に、ディズニーランドに連れていけ、一緒に楽しもう、一見すると元気づけているようだが、自分には実現できない事、という事実が本人のストレスになることがある。

でも聡はすぐに顔を上げた。

「何だよお前。ディズニーランドに行くためにここに来ているのか」

「それがほぼ大半の理由かな」

「あっひでー」聡が言うと、享子がクスクス笑った。

聡がかなり無理しているのが分かる。



その夜、城戸から電話があった。

基本的に連絡は夜である。

病院から享子が事務所に電話を入れる事はないわけではないが、誰に見られるか分らない。

城戸からの電話の内容は享子が頼んでおいた事の返事だった。

基本的に亨子自身がクライアントである聡の両親に話すことはない。

万が一でもそんな姿を聡に見られたら、全てが無駄になってしまう。

とはいえ享子からの要望や状況を確認する事は必要になってくる。

そうなると城戸が間に入る、今回は厳重注意だ。

演技が出来ないなら、接触しないで欲しい。

「両親には注意をしておいた。ただ素人だから、十分に注意してくれ。後、告知についてはほぼされているようだ」

「ほぼというのは」

「自分が白血病と言うことは、知っている。半分の確立で自分は死ぬということは認識しているようだ」

「骨髄の型が合う人がいないとうことは分っているみたいよ。だとしたら、確率半分じゃないでしょう」実際、聡の見せる表情や、言葉には、覚悟のニュアンスが多く含まれている。

「型が合わない事で打つ手がない、までは分っていないんじゃないか、と言っている」

「いやー、それはどうかな」

「両親としては、打つ手なしの諦めムード。今回が最後の入院という位置づけらしい。以外と早く修羅場になりそうだ」

修羅場と言うのは意識がなくなる数日前からの状態をいう。

そこで死にたくないだの、別れるだの、感情の爆発が起こる。

そのあたりが一番エネルギーをつかう。

単に演技をしているのではない。

そこには感情移入だってする。

言うなれば感情的には本当に近しい人が亡くなるのと同じダメージをうける。

疑似恋愛は感情の上では疑似ではなく、

リアルなのだ。

だから享子の心もただでは済まない。

まるで本当の恋人を失ったほどのダメージを受ける。

「そう、わかりました」と言って享子は、またあの思いをするんだと思う。

「あっ、それから」

「はい」

「聡は、お前に自分が白血病だということを絶対に言わないように口止めをしているらしい。最後までお前に弱みを見せたくないんじゃないか」

「分りました。どうもありがとう」

「ああ、頼むぞ」

「はい」と言って享子は電話を切った。

修羅場となると毎回必ず陽一との事を思い出す。

それは疑似であってもリアルに感じる、恋人との死別、この思いと重なり、享子の心の負担は大きくなる。


またあの陽一との最後の時と同じ思いをするのかと思うと憂鬱になる。

ちょうど時期も同じ二月だ。

享子にとって二月は決して忘れる事が出来ない月だった。

陽一が自分の前で死んで行った事を忘れる事が出来ない。

それは自らの心の半分をもぎとられたような、一種独特の空胴感があった。

同じ月に家族が死んだときは、差し迫った自分の生活の不安があった。

その頃、享子は大学に合格していたから、そこに自分は行くことが出来るのか、学費はどうなんだという不安があった。

家族がいなくなるというのはそういうことだった。

そういう差し迫った状態があると、悲しんでばかりもいられなかった。

でも陽一が死ぬというのは享子に物理的な問題は起きない。

だからこそ悲しかったし、自らの体の一部をもぎとられる喪失感があった。

そして陽一の断末魔の状況は、純粋だからこそ享子の心を深くえぐった。

あのときの思いは未だに享子の中に強く残っている、きっと二月が来る度に、陽一の事を思い出すだろう。

享子の中で二月は永遠に終わることのない喪失の月だ。

あんな思いは二度としたくないと言うのに、今の享子は悲しむ事を生業としている。


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